ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

4月12日

2010年04月12日 | Weblog


携帯電話を購入してかれこれ一年程経つが、
未だに着信音が自分のものなのか一瞬にして
判断できない。と言っても、滅多にかかって
くることもないし(番号を知ってるのは十人
にも満たない)、殆ど電源を切ってるので当
たり前ではあるが、そうなると一体何のため
の携帯かという話になるが、緊急用だからこ
れでいいのだ。それより、勝手に付いてきた
オプション契約を解除しなくては。わざわざ
面倒くさいようにしている相手の戦略が本当
に腹立たしい。面倒くさいから、なかなか手
続きをしようとしない自分がここにいる。

昨日、もう零下にはならないだろうと書いた
ら、水木辺りはまた冷え込み零下になるかも
知れない予報が。全く、これじゃあ三寒四温
どころか一寒一温だ。元々春というのは、イ
メージとしてはポカポカ陽気の穏やかなもの
があるが、春の嵐と言う言葉があるくらい、実
はそんなに安定した季節ではない。と、自分
を納得させようと勝手に書いたが、思いつい
ただけで根拠があるわけではない。単なる印
象の話だ。いずれにしろ、もう少し暖かいの
が続いてくれないと、ヤゴ観察がじっくりで
きない。桜よりは、ビオトープのヤゴの方が
自分にとっては遥かに重要なのだ。

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4月11日

2010年04月11日 | Weblog


流石に零下にいくこともなくなり、徐々に寒
さも和らぎつつある。が、その割に暖かさを
実感できないのは、寒暖差で皮膚感覚が麻痺
しまったせいだろうか。

金曜から今日にかけて、諏訪地方は御柱一
色である(本当はそんなこともなく関心のない
人も結構いて彼らはいつも通りの生活を送っ
ている)。で個人的にはインターネットで木
落し中継を見たりしているのだが、ちょうど
今その一本目の木落しが終わり、先頭に乗った
人の(花乗りと言う)家族にインタビューを
していたのだが、ちょっと笑ってしまった。
小学生らしき娘はハキハキ答えていたのだが、
中学生か高校生らしきお姉ちゃんの方が何と
もとほほだった。お父さんの勇姿はどうでし
たか?と聞かれると、ユウシ?と意味が分か
らず周りが教えてやっと理解したらしく、え
へへなどと結局まともに答えられず、直ぐに
インタビューアーも相手を変えた。花乗りも
いいが、お父さんもう少し娘の教育を何とかし
た方が良いのでは、と思わずにはいられない
光景であった。立ち上がれ日本!センス良い
ね(な訳ないな)。
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血管ハウス

2010年04月10日 | トマソン


ここのところ壁シリーズが続いているが、考 えてみると、このブログを始めた頃にその壁 シリーズというのをやっていた。ということ は最近再び原点に戻ってしまったのだろうか。 世の中須らく、壁に始まり壁に終わるのだ、 なんてことは絶対ないが(単に、壁マニア壁 フェチという嫌いもなきにしもあらずだが)、 ついつい壁に目がいてしまうのは確かな事実 である。ということで最近発見した一番フレッ シュな物件。これもトマソンということにな るのか。血管ハウスだ。要するに壁のひび割 れの補修なのだが、普通はモルタルなどで修 繕する。しかしこれは色があまりに生生しい。 血そのままやないか、という珍しい物件。ちょ っと「准芸術」にも近いかもしれない。見よう によってはポップな感じもする、でもないか。
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壁に歴史あり

2010年04月09日 | Weblog


今日の写真は、所謂「原爆タイプ」の普通に
見られるものである。しかも地味めな。が、
よく観察すると、これがなかなか味わいがあ
った。しっかりと時を刻んだ壁であったのだ。

まず、全体では「原爆タイプ」の基本通り、
隣のいえが無くなり(剥がされ)その家の形
が壁に残された。その部分を、前からある素
材と同じような素材(モルタル)で塗って修
復した。しかし、庇の部分は(写真の①)壁
が違う素材だったのだが、そこでその部分だ
け変えるほどの配慮(職人気質)はなかった。
そこまでの完成度は求めなかったのだろう、結
果、庇の形は素材の違いとしてくっきり残る
こととなった。そして次に、窓だ。新たに一つ
ほしくなった。そこで作ったのが写真の②の
窓。左の庇のあった点線上(写真④)がバラ
ンス的には良い位置だったのだろう。そして、
晴れて二つの窓が壁に映えることとなった。
しかし、暫くすると、前からあった窓(写真③)
の方が老朽化してきた。そこでその窓を新
しくサッシににすることにした。その結果、
まえからあった窓(③)の方が、新たに出来
た窓(②)よりみかけは新しいものとなった。
と、こんな壁でも、人知れずそんな歴史を刻
んでいたのだ(全ては推測)。
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4月8日

2010年04月08日 | Weblog


今日の写真はトマソンではないが、なにか訴
えるものを感じさせる良い物件。木の位置が
あまりに壁の真ん中で、しかもかなり接近し
ているのが、ちょっと普通ではないという感
覚を与える原因かと思うが、まるで押絵かと
見間違うくらいの出来である。壁の汚れ具合
もいい感じであるし、裏フォトジェニックと
いったところであろうか。緑たっぷりではな
いこの時期が見頃である。

と話は変わるが、昨日は対セルビア戦。0-3
で完敗だった。手数をかける日本とは対照的
に、シンプルな攻撃で軽く得点するセルビア。
お互い国内組だが(国外組はセルビアの方が
遥かにレベルは上)何だか日本の力の無さを
まざまざ見せつけられた試合であった。強力
なディフェンダー不在の日本は、いつでもこ
ういう具合にやられる危険性を秘めている(今
のやり方では)。まあ、全てはもう遅いのだ
が。
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トマソン フォール型別名

2010年04月07日 | トマソン


昨日の「フォール型」だが、他の写真を見 ていたら同じような形のものがでてきた。 鉄塔である。そこで別名「滂沱の涙型」と 言ったところにもう一つ「鉄塔型」という のも付け加えたい。と、どうでもいい話が 続く訳だが。
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トマソン フォール型

2010年04月06日 | トマソン


まあこれも広義においては「原爆タイプ」と 言っても良いかも知れない。名付けて「フォ ール型」。つまり滝のように見える壁の染み のことだ。これが結構多い。経年に拠るとこ ろは以前取り上げた「南画タイプ」と同じだ が、「南画タイプ」のようにその生成過程が 分かるものは、なるほどと思うことができる のだが、同じ壁の作品でもこの「フォール型」 は、今ひとつそこの所がはっきりしない。が、 その作品性というか存在感にはなかなかのも のがある。一昨日の写真にも一部それらしき ものが認められるが、今日のものには叶わな い。今のところの最高傑作である。別名「滂 沱の涙型」である。ああ、家が泣いている。
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初蜻蛉

2010年04月05日 | 生き物 自然


なかなかポカポカ陽気にならないと昨日書い
たら、その後日が差して結構暖かくなった。
というこで昨日はちょっと春らしい天気であっ
た。そんな陽気に誘われて、越冬していたト
ンボが陽を浴びに家の庭に飛んできた。今年
初のトンボである。全部で六匹ほど。種類は
成虫で越冬する「オツネントンボ」である。
時たま餌の蚊を捕るために飛立つが(それが
なかなかの狩人ぶり)、それ以外は日向ぼっ
こという風情。冬の間は殆ど絶食だろうから
その食欲は旺盛である。遠目には土色一色で、
まあ地味なイトトンボなのだが、あの体で(体
長4センチ)冬を越したと思えば、愛おしさ
も倍増というものである。それに今回接写し
てよく分かったが、土色一色に見えた体表は、
なかなか渋い模様が施されている。まるで蒔
絵のようではないか、と、オツネントンボを
見直してしまった。
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4月4日

2010年04月04日 | Weblog


寒暖差が刺激となり(医者が言うには)痒
みが出てきて(元々乾燥肌)ボリボリ掻く
内に、例によって赤い湿疹がひどくなって
きた。これ以上行くとかさぶただらけにな
るのでその前に早め早めのケアーと思い、
医者へ行く。塗り薬と痒み止めの錠剤を貰
う(予定通り)。よくしたもので、これで
ピタっと痒みは止まる。以前、一ヶ月以上
放っといたら偉い目にあい、それ以来早め
早めを心がけているのだ。今回は一週間ほ
どの様子見であった。

しかし、なかなかぽかぽか陽気にならない。
つばめの姿も一度目撃しただけだし、蝶は
「テングチョウ」らしきものをこれも一度
目撃しただけ。尤も、いそうなところに出
かけてないので見る確率が低いというのは
あるが、それでも例年はもっと普通に見か
ける。今のところ生物界の活動はやや遅れ
気味といったところである。

地元では、「御柱祭」が始まり、この寒い
なか川に入ったり参加してる人は元気であ
る。「木落し」もやってるが、相変わらず
上社の「木落し」はしょぼい。テレビでよ
く見る御柱の木落しは、上社ではなく下社
なのだが、知らない人は同じと思い上社の
木落しを見て騙されたと思ってしまうよう
だ。有料で見たら尚更だろう。長い距離を
人が乗って落ちる下社の木落しは、来週の
九、十、十一日だ。見所は激しく転げ落ち
る氏子達の様なのだが、現場に行くとなか
なか始まらなく焦らしに焦らされる。これ
もテレビで見て楽しむのが一番。唯、現場
の雰囲気、御柱の落ちる轟音は体感しない
と分からないが、これも一度体験したから
もう充分なのである。
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ゲアトルーズ本編

2010年04月03日 | 映画


ゲロゲロ少年Yに借りた「ゲアトルーズ」を
見る。内容は、ある貴婦人の、旦那(今ま
さに別れようとしている弁護士)嘗ての恋
人(詩人)、そして今の若い愛人(結局は
主人公が弄ばれた才気ある音楽家)三人に
纏わる愛の物語である。個人的には一番見
る気が起こらない内容である。しかも主人
公の「ゲアトルーズ」がどうにもピーター・
オトゥールに見えて全く魅力的でなく、更
に見る気が失せ、普通だったらパスすると
ころなのだが、映画には不思議な魅力があ
り結局最後まで見ることとなった。

この映画、1964年制作とある。正直なと
ころよくこんな映画を当時作ったものだと思っ
た。画面に登場するのは、殆どがこの三人、
実際しゃべるのもこの三人で、しかもその喋
り方というのが、画面の正面を向いたまま棒
読みに近いもので、会話なのだが視線が混じ
ることはない。唯一交差するのは別れ告げる
とき。こんな全く不自然な会話が映画の八割
方を占めるのだ。ゲロゲロ少年がブレッソン
を更に削いだ映画とか言っていたが、これは
むしろストローブ=ユイレの世界だ。

時代そして舞台となる場所もどこだか分から
ない、がそんなことは全く関係ない。むしろ
どこでもないがどこでもあるというのが正解
だろう。そこで舞台上で繰り広げられる会話
劇と殆ど同じようなものが展開される。とな
ると、舞台でいいじゃないかという疑問がど
うしても浮かぶ。確かに、そう思われても致
し方ないように見える、が、やはりこれは映
画であった。例えば、固定されたと思ってい
たカメラが突然舐め回すわすように移動する
様は、まさに映画の醍醐味。無理やり切り取
られている画面は、それ自体虚構である証明
のようなものであるが、その上で画面上に出
現する世界は、「感動する物語」という枠を
飛び越えた、ある種の感動を与えてくれる。
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蕎麦屋の客

2010年04月02日 | 食べ物



外の看板の蛍光灯がチカチカしているのを
報告しながら、「更科」に入店。いつもの
ように田舎そばの大盛りを食べ、蕎麦湯を
飲みつつ新聞を(スポニチ)見ていると、
一人の男性客が入ってきた。初めて来たよ
うである、メニューを入念に見ながら暫く
考えている。そして注文を聞いたときに発
した言葉は「お勧めは何ですか?」、また
かとそれを聞いた私は思った。蕎麦屋に来
てお勧めもないだろう、蕎麦に決まってる
だろうが、とこころの中で呟いた。基本は
盛り蕎麦なのだから、それを食べるのが蕎
麦屋の基本である、と当たり前のように思
うのだが、どうも世間的にはそういうもの
でもないと思わされる昨今の状況なのであ
る。

今回の客以外でも、しょっちゅうそういう
場面に遭遇する。傾向としてはうるさそう
な客、つまり結構味にはうるさいよ、といっ
たタイプに見える人間ほどそういう質問を、
さも良い質問であるかのような態度で発す
る。だから聞いてると余計に腹立たしくな
る。味にうるさいよタイプなら、尚更食べ
るものは決まってくるだろう、盛りしかな
いだろう、と。でないなら、自分の好みと
いうものがあるのだから、天ぷらでも鴨で
もそれに沿ったものを注文しろ、と言いた
い。反論としては、その店独自の売り物が
あるのではないか、ということになるのだ
ろうが、それだったら大体メニューに書い
てある。何のためのメニューなのだ。入念
に見ていたのは見逃さないよ。

以前にも書いたが、食べ物ブロガーもこう
いう傾向にある。何だか、インターネット
の普及に比例して、鬱陶しい客が増えつつ
ある状況のようである。自分の基準ではな
く、流布している情報が基準の人間が多す
ぎるのだ。
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謎の図形

2010年04月01日 | Weblog


時に、原爆タイプでもなく、何か意図的な
形に成っているのだがそれが不明という、
謎の図形が残されている壁がある。今日の
写真がそれ。明らかに塗残しているのだが、
単純な塗残しにしては位置があまりに中央
過ぎる。しかも、形がほぼ左右対称という
何かしらなデザイン的意図を無理やり感じ
ようとすれば感じられる形。或いは、作業
の途中にちょっと遊んでみました、という
ものにも見えなくもないが、それにしては
もうすでに時間が経ちすぎている(ずっと
この状態なのだ)。やはり謎の図形と言う
しかないようだ。
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