ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

今週の細々したこと 2009.1.4(日)~1.10(土)

2009年01月11日 22時05分06秒 | 日記2005-10
皆様こんばんは。もし今の職業に就いていなかったらブックオフの店員になっていたかもしれないとふと思うぴかりんです。

●1/4(日)
・賀 正
 自宅に帰り着くと、年賀状が何通か届いていました。ここしばらく年賀状を書いていませんが、それでも届いたのは、車店や楽器店などお店からのものも含めて15通ほど。中には久々に小学校時代の担任の先生からなんていうのも。毎度申し訳ないです。

・古本屋巡り釣果
  
 正月休み中とこの日に合わせて巡ったブックオフをはじめとする古本屋は計8店。ゲットした本は、文庫25冊・新書3冊・マンガ3冊・雑誌1冊の計32冊とまずまずの出来。

【練】2009年 初練習@北広島弦楽合奏団
 北広島弦楽合奏団の練習に参加。今年の弾き初め。楽器をさわるのは12/29(月)以来一週間ぶりと、自分にしては長く空いたが特に違和感無し。曲はチャイコフスキーの弦楽セレナードをメインにてんこ盛りの内容。朝の9時半から15時まで練習時間があっても全然足りていない感じです。これは必死でさらわないと。

●1/5(月)
・仕事始め
 仕事始め、とはいってもまだ職場は静か。通勤途中、長いこと工事をしていた学内の階段が見事に出来上がっているのを見つけました。以前は急勾配だったものが、二段構えになり、使いやすく作り直したようです。

・ついてない
 年が明けてから、どうもケッつまずくような小さな不幸が連発し、イライラしっぱなし。今年の見通しはどうも暗そう。初詣に行っていないせい?

●1/6(火)

●1/7(水)
・ブログ通信簿
http://blogreport.labs.goo.ne.jp/
 しばらく前にちょっと流行ったものを今になってふとやってみた。結果は "影響度" のみ "5" であとは普通。性別や年齢も自動判別された結果なのですが、ブログ年齢は "22" と若く出たのは意外でした。知り合いのブログのアドレスなんかも入力してみるとなかなか面白いです(※一部ブログは未対応)。

●1/8(木)

●1/9(金)
・現実逃避
 休暇をとって、カメラを抱えて現実逃避の旅へ。

・またか
 またもや、ついてない出来事が。今回はかなりダメージ大。ガックリ。

●1/10(土)
・大雪
 夜中に室蘭に戻ると大雪でエラい事に。2~3年前の正月にも似たようなことがあったなぁ。

・低空飛行
 今週は精神状態の低空飛行が続く。出るのはため息ばかり。原因はハッキリしているが体が動かず。

~~~~~~~
↓ランキング参加中です。応援の1日1クリックをお願いします♪
●人気ブログランキング投票
上の文字列または画像をクリックすることで、当ブログに得点が入ります。1日につき1回のみ有効です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ

2009年01月11日 08時14分56秒 | 読書記録2009
カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ, 中島義道, 新潮文庫 な-33-5(7746), 2005年
・人生に悩む架空の青年T君へ宛てた筆者からの手紙、という形で、筆者自らがこれまで会得した "カイン(マイノリティ)として生きる術" を平易な言葉で語る。
・マイノリティとしての実体験についてはいまいちピンとこないが、普段からぼんやりと頭の中にあり、形を成していなかった事柄について見事に言語化されている部分が随所にあり。
・「ぼくはたいへん不幸な少年・青年時代を送ってきて、ほとんど死ぬ瀬戸際をさまよっていたのだが、血の出るような気持ちでそう書いても、現実のぼくに会うとほとんどの人は信じてくれない。」p.9
・「善良な読者は概して想像力が乏しくて困るが、書く物の印象と現実の作家の印象は異なってあたりまえ。(中略)何かここには浄化作用とでも言えるものが働いているらしい。日ごろ携わっているテーマが思いきり暗いことばかりだから、生き方はその反動でかえって明るくなるというメカニズムである。」p.10
・「ぼくは少年のころや青年のころと同様、いまもはなはだ不幸であるが、一つの強さはぼくがまったく幸福を求めなくなったことにあるのかもしれない。他人にも自分にもほとんど期待しなくなったことにあるのかもしれない。(中略)つまり欲しいものがほとんどなくなると、ひとは強くなるということだ。」p.12
・「ひとは、無性に欲しいものがあり、それをほとんどの他人もまた望んでおり、しかもそれを手に入れることが可能な場合、確実に不幸になる。  しかし、人間とはこういう条件のもとに、また幸福をも感ずるものだから、ぼくは幸福にも不幸にもなりえない。幸福と不幸との彼岸にいる。」p.13
・「ぼくが「弱い人」に言いたいこと、それはきみが強くなりたいのだったら、強くなる修行をしなければならない、ということだ。だが、それには多大な犠牲が伴う。」p.16
・「強くなるためには、きみは膨大な数の他人を捨てねばならず、彼らを無視しなければならず、彼らの期待にそむかねばならず、彼らから嫌われなければならず、彼らに迷惑をかけねばならず、あえて言えば彼らを(精神的に)殺さねばならない。」p.17
・「ぼくはきみになんにもしてやれないけれど、一つだけ自信をもって言えることがある。「とにかく死んではならない」ということだ。  正確な理由はわからない。しかし、とにかく死んではならないんだ。」p.23
・「これはぼくのカント解釈だけれど、「たったこのまえ生まれてきて、たちまち死んでしまうこのぼくという存在は何なのか」という問いを求めつづけること、これが最高の生きる目的なんだよ。答えが与えられなくとも、答えを求めつづけることそのことに価値がある。」p.27
・「だが、そのころぼくは思った。なぜこんなに生きるのが辛いのだろう、と。それには何か理由があるはずだ、と。それを知りたい、と。」p.29
・「「どうにかしてやりたい」と日々思いつづけ、きみの願いなら何でもかなえてやりたいと願っている。とても理解のある「いい親」だよね。  そして、いいかね。そういう「いい親」こそ、きみをしばりつけ、きみを生きにくくさせている張本人なんだよ。それを打ち捨てろと言ったって、一気にはできないだろうけれど、まずそれを自覚しよう。」p.39
・「50歳を過ぎて、ぼくは自分の人生を洗いざらい見直して、やっとその残酷な構造が見えるようになったんだよ。  ぼくは、自分が「いい親」に温かく見守られた「いい子」であり、幸せ者だと錯覚していた。」p.47
・「哲学的であること、それは病的であるということだ。この等号をぼくは信じていた。それはとても危険な信仰であった。(中略)こうして、ぼくは「哲学病」に自分を追いこむことしかないと思うようになった。」p.65
・「ぼくに向かって「何さまだと思ってるんだ!」と怒鳴りつづける人は、ある少年が期待の重みから抜け出すことのできない苦しみを知らない。」p.72
・「あまりにも苦しいときは「ぼくは死ぬ、ぼくは死ぬ……」というおまじないを唱えるのだった。ぼくは、どんなに苦しくても死のうとしなかった。なぜなら死ぬことが冷や汗が出るほど怖かったから。そんなとき、時折「離人症体験」がぼくを襲った。」p.73
・「きみは『旧約聖書』の「創世記」にあるカインとアベルの話を知っているだろう? 兄のカインと弟のアベルはともに主に供え物をしたが、主はアベルの供え物を喜び、カインの供え物を喜ばなかった。そのために、カインは憤り、嫉妬のあまりアベルを野原に連れ出して打ち殺してしまったという恐ろしい話だ。」p.80
・「主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。  (「創世記」第四章13-15節)  これがカインのしるしだ。あらゆる人間は、このしるしがついているわずかの者とついていない圧倒的多数の者とに判然と区分される。」p.81
・「少年たちがすぐにキレるのは、ぼくの考えによると、正しい怒り方を学ばなかったからだと思う。正しい怒り方とはなにか? それは、なぜ自分が現在の状況に対して怒っているのかを正確に認識し表出する能力を基本にする。」p.91
・「「いい子」はある日突如として、自分が犠牲者であることを悟る。まわりの者がいかに一致協力して自分を駄目人間に仕立てあげてきたかがわかる。怒り心頭に発し、「だまされていた!」という一言がからだ全体を貫く。もはや、親がどんなに謝っても、許すことができない。(中略)ある種の「いい子」は、こうしてある日大変身を遂げて、その後の人生を親に対する復讐に費やすのだ。家庭内暴力やひきこもりはこうして起こるものだ、とぼくは思っている。」p.110
・「こうした自分の体験から、きみに言っておきたい。全部自分が悪いのでもなく、全部親が悪いのでもない。きみは正しく自分を責めねばならない。責めることをやめよ、とふたたび善人たちはきみに命ずるが、それはきみにはできない相談だ。」p.117
・「善人たちは友人をもつこと、恋人をもつこと、みんなと喜怒哀楽を分かち合うことを当然のように主張する。とりわけ、ひとりは耐えがたいことを当然のように語る。だが、ぼくはひとりが好きだった。いまでも好きだ。  ぼくはひとりで食べることが好きであり、ひとりで酒を飲むことが好きだ。(中略)ひとりにまさるものはない。」p.121
・「いいかい。絶対ひとに迷惑をかけたくないと思ったら死ぬしかないのだよ。しかし、死ぬことは、きみの親やきみの友人やきみの先生や膨大な数の他人に多大な迷惑をかける。だから、それさえできない。つまり、誰も生まれてきた以上は、ひとに迷惑をかけることをやめることはできないのだ。これはわれわれの運命なのだ。」p.129
・「何と言われようともきみは自己中心主義に徹しなければならない。きみは、油断すると、前後左右のマジョリティのしかけてある罠に落ち込む。」p.142
・「時代を語ることのできる者、「昔はこうではなかった」としみじみ語ることのできる者は、自分が時代とともに歩んでいると思い込んでいる。自分の生活がその時代とぴったり一致していて違和感のない者である。」p.149
・「ぼくには、なぜみんな学校が楽しそうなのかわからなかった。なぜ、みんな偏食なく食べることができるのかわからなかった。そして、とりわけなぜみんな死ぬのが怖くないのかわからなかった。何もかもわからなかった。  そして、いまでもわからない。なぜ、みんなわかったふりをするのか。なぜ、みんな問いつづけようとしないのか。なぜ、みんな紋切り型の回答を出して無理にでも納得しようとするのか。何もかもわからない。」p.151
・「マジョリティすなわち善良な市民は、こうして自分たちの傲慢さを反省することが絶対にない。これはほんとうに罪なことである。」p.153
・「ぼくにとっては、よっぽどいまの社会のほうが居心地がいいよ。いまは、かならアブノーマルなことを言っても受け入れてくれるだけの精神のゆとりがある。集団生活が厭でたまらないことは、ひきこもる者が100万人近くいるいまでこそ大声で言えるが、当時は言えなかった。自分の子供がかわいくないなんて、当時は言えなかったが、現代はこれもすんなり受けとめてくれる。  ぼくたちにとってはなかなか生きやすい時代の到来というわけだ。乾杯しようじゃないか!」p.154
・「ぼくは論旨を明快にするために、マジョリティ(善人)とマイノリティ(カイン)をあえて暴力的に対立させているのだが、そのことを自覚したうえで言うと、マジョリティとはいつの時代でも、救いようがなく鈍感な奴らなんだ。自分たちだけがまともであると全身全霊で確信し、おのれを批判的に見ることがまったくできないんだね。そうした神経の回路がまったく発達していないんだね。」p.157
・「カントはそう教えてくれる。  それを知ったとき、ぼくは救われる気持であった。そうだ、ぼくは他人にこだわる必要はないんだ。わかってもらいたい、愛してもらいたい、気づいてもらいたい……という要求をもつ必要はないんだ。ぼくのまわりにうごめく人々は、ただぼくに「対している」だけの存在なんだ。ぼくが意味を与えればいいのであって、それ以上の意味を詮索するのは無駄なのだ。」p.174
・「森羅万象はぼくの表象にすぎない。ぼくは、このことを確信した。そして、ぼくは誰からも危害を加えられない存在になった。完全に安全になった……。  だが、ぼくは喜んでいいのだろうか? ぼくは自分の安全と引き換えに、すべてを失ったのだ!」p.175
・「ぼくは、たしかにあまり苦しまなくなった。だが、楽しいこともなくなったのだ。ぼくは他人を愛すること、憎むこと、恨むこと、知りたいと思うこと、軽蔑すること、尊敬すること……が真剣にできなくなった。他人はあまりにも「気にならない」存在に変貌してしまった。」p.176
・「こう書いていても、ぼくは自分が相当変な男になったもんだと自覚するよ。だが、カントの最大のメッセージは「幸福を第一に求めてはならない」ということだ。もう以上の分析から、当然ぼくが幸福から見放されていることはわかるだろう? 人間は「存在する」さまざまなものや他人との交流のうちで幸福であるからだ。」p.181
・「だが、カントは人間は幸福を無条件に求めてはならないことをぼくに教えてくれた。幸福を第一に求めることは、むしろ悪なのである。それこそが「根本悪」なのだ。(中略)カントは真理を第一に求めねばならないと言う。ぼくの解釈によれば、何をしても「どうせ死んでしまう」という絶対的不幸の枠組みが真理である。この枠組みをけっしてごまかさずに生きるとき、ひとは幸福にはなりえない。このことをずっと直視して生きること、それが哲学的に生きることなんだ。」p.183
・「こうして、残酷なことに、われわれが(道徳的に)正しいことをしていると自覚していればいるほど、社会的に正しいことと認定されている行為であればあるほど、その行為は正しくないのである。」p.193
・「ぼくは自分の体験から確信するのだ。ひとが悩み苦しみながら真剣に選択したこと、そこにはまちがいがない。それは、いつだって「正しい」選択なんだ。」p.201
・「こうした重要な選択において、ぼくは自分でもおかしくなるほど要領が悪いのだ。いわば、厄介なほうへ厄介なほうへ、困難なほうへ困難なほうへ、自分が苦しむほうへ苦しむほうへ、と選択しているのだ。」p.202
・「書くというのは不思議な作用で、きみが何かのために書くのではないと心の底からわかったらしめたものだ。きみはきみを救うために書くのですらない。きみは、書くことによって救われないことを知っているからかくんだ。きみが救われないことを確認するために、確認しつづけるために書くんだ。  また、ぼくの話をしよう。絶対的不幸はあらゆる些細な日常的な不幸を蹴散らしてくれるが、ぼくを究極的には救ってくれない。それを確認するために、ぼくは書きつづけている。救いが最高の生きる目標になった瞬間、ぼくは書くことをやめるだろう。」p.208
・「書くとは、自分に向かって語ることだとぼくは思っている。他人(読者)は、ただそのための手段にすぎない。」p.208
・「繰り返し言おう。「なぜ生きるのか?」という問いに対して、「それを知るために生きるのだ」という回答が、いちばん優れているようにぼくは思う。きみはなぜ書くのか?  それを知るために書くのだ。」p.210
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする