音楽の遊園地, 芥川也寸志, 旺文社文庫 140-3, 1982年
・作曲家、芥川也寸志のエッセイ集。岩城宏之、中村紘子、茂木大輔等々、文章を書くことでも有名な音楽家の著作と比べても遜色無く、楽しい内容だと思います。その生い立ちを考えると当然か!? しかし、その音楽作品はまだ聴いたことがなかったりするのですが……無意識には耳に入ってるかな?? 軽い語り口の軽い話題に混じって、著者のヘビーな音楽観が時おり顔を覗かせます。年代的にみて、音楽家によるエッセイのはしりでしょうか。
・「今までの長い歴史のなかで、動物たちがいかに音楽の発展につくしてきたかは、はかりしれぬくらい大きなものがあります。」p.8
・「ねこの皮をなめしますと、オッパイのあとが八個のこります。これを三味線の胴に張る場合は、ふつう一匹を二枚に使いますので、四個の乳孔のあとが黒点となって、胴皮の表面にのこります。ねこ皮の三味線をよく"四つ"ということがあるのは、このためです。」p.9
・「オーケストラのなかで常席を占め、オーケストラ全体の引き立て役であるティンパニーには、この子牛の皮が張られておりますが、いちばん上等なのは、生まれる直前の腹子の背中の部分の皮だそうです。」p.10
・「ですから、ヴァイオリンという楽器は羊のオナカを馬のオシリでこすって、音を出していることになります。」p.12
・「ことにアントニオ・ストラディヴァリは、史上最高のヴァイオリン作りの名匠とされ、現存する楽器数はヴァイオリン約540、ヴィオラ12、チェロ約50で、それらの多くは更にそれを使用していた名演奏家の名前を冠して呼ばれています。」p.17 なんとな~く、Vnは100本くらいかと思ってましたが、500以上もあるんですねぇ~
・「その演奏家のいうのには、男のヴァイオリン弾きがうまくなろうと思ったら、まずすてきな恋人を持つに限る、というのです。楽器を恋人のように抱け。そして愛撫しろ。恋人を愛撫するごとく、楽器を弾け。それが上達の最短距離である。」p.20 これだぁぁ!!
・「はじめにリズムありき――これは指揮者の開祖といわれるハンス・フォン・ビューローの吐いた名文句です。」p.23
・「ある特定の楽器と、それを演奏する人間たちとの間には、ある奇妙な共通性があります。 どこのオーケストラにいっても、ホルン吹きはみんな理屈っぽい性質の持主であり、その反対にトロンボーン吹きはいずれも楽天家であり、十中八九、飲ん兵衛ときまっております。トランペット奏者には長命の相があり、いままでトランペット吹きが若死したという話はきいたことがありません。 有名なフルート吹きは、不思議と白髪型であり、禿げている人はほとんどおりません。ところが、有名なオーボエ吹きは、不思議にみんな禿げております。」p.28
・「オーケストラには、昔からタブーとされている曲目があります。(中略)その一つは、ラヴェルの作った「ダフニスとクロエ」の第二組曲です。有名な曲で、しかもよく演奏されるくせに、この曲をやると、必ず楽団員の中に事故が起こるといううわさは、戦前のヨーロッパではかなり広く信じられておりました。(中略)ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」も、誰でも知っているポピュラーな曲であるにもかかわらず、これを演奏すると必ず内部にもめごとが起こる、というジンクスもかなり広く信じられています。」p.31 こ、これは……知らなかった。。。
・「作曲家にとって、最も恥辱的な言葉は、自分の作った作品が何かに似ている、といわれることです。」p.42
・「次は音程があまりひどすぎます。ドレミファソラシドが正確にうたえないようでは、とても歌手とはいえません。ところが事実は、そういう連中が堂々とテレビに出て、さも得意気に振舞ったりしています。もっといけないのは、本当は歌がそんなに好きではないということが、ありありと見てとれることです。(中略)たとえどんな種類の歌であろうと、歌というものは断じて心の所産であるはずです。」p.67
・「演奏は、いつも音楽誕生の現場であります。」p.88
・「したがって、競いあい、戦いを挑むことを好まないタイプの人は、まるで演奏家としての資格はありません。」p.89
・「交響曲のような絶対音楽は、いっさいの標題、音楽以外の映像や観念から解放された音楽ですが、ブラームスやモーツァルトを意識的に映画音楽として用いることがあるのは、両面との間に生じる違和感、つまり逆効果をねらったものにほかなりません。」p.105
・「世界じゅうの国家のなかで、音楽的に最もすぐれていると思われるのは、フランス国家 "ラ・マルセイエーズ" です。」p.114
・「私は、今の日本国歌 "君が代" が、日本の全国民の信任を得ているとはどうしても思えませんが、だからといって、ただちに廃棄すべし、とも思いません。」p.117
・「ところで、もう一方の馬のしっぽはどうかといえば、これまた近ごろは需要に追いつけず、その強さと相まって、次第に化学繊維が用いられ始めました。こちらはまだテスト中ともいえる段階ですが、やがては音楽界に貢献した馬も、羊同様の運命をたどることになるでしょう。」p.133 化学繊維の弓の毛には未だお目にかかったことがありません。すぐに消えてしまったのでしょうか。『低価格! 丈夫で交換不要! 松ヤニ不要! 抜群の発音!』なんてあったらいいな。
・「科学の究極の目標は、生命の誕生にあるといわれています。つまり、生命のあるものと、ないものとの接点に向かって、探究が続けられてきたわけです。 音楽でも、これと全く同じことがいえそうです。まさしく音楽であるものと、断じて音楽ではないものとの境目に、音楽の本質がかくされているといえるでしょう。」p.140
・「ジャン・コクトーは「雄鶏とアルルカン」の中で、「芸術とは科学を肉化したものである」といいました。これは芸術の本質をいい得て、けだし名言と申すべきでしょう。」p.142
・「ですから、天下に名だたる大カラヤンといえども、うっかり振り間違えることがよくあります。アップで指揮者をとらえるテレビ・カメラのおかげで、幾度となく私はその瞬間を目撃しましたが、しかし、そのあとのごまかし方の上手なことといったらありません。ありゃあ、やはり天下一品です。」p.143
・「つまり、どんな作品にも、かならず、ある秘密がかくされています。 その秘密がなかなかばれないとき、人は、これを傑作といい、その秘密を、たくみにかくし通せる能力を持った者を、人は、大作曲家と呼ぶのです。」p.153
・「魅力ある音楽は、魅力のある人間からしか生れない。これはまず、絶対の理屈といえましょう。」p.155
・「ソフォクレス "女は見るべきものにして、聞くべきものにあらず"」p.161
・「モーリァック "多くの女性は、教養があるというよりも、教養によって汚されている場合の方が多い" 「娘の教育」」p.163
・「静寂の世界を絶対の美として認めないかぎり、音楽は作ることさえ出来ないのです。」p.171
・「元来、人間の耳というものは、眼や口とはちがって、相当器用な人でもパタパタと開いたり閉じたりすることはできません。嫌いなものは一切口にせず、見たくないときは眼をそらす、などということはできないのです。」p.180
・「"はいこれはサービスでございます" といって、欲しくもない品物をつけてくれる商店はいまや普通になってしまいましたが、ほんとうのサービスは、値段をまけてくれるなり、同種のものの中からいちばん良質のものを誠意をもって選び出してくれることであって、欲しくもないものをくれることではないはずです。」p.187
・「ですから文化とは何か、これをひとことで答えろといわれたら、私は「人間が生きよく、人間らしくすばらしく生きていくこと」だと答えます。」p.192
・「週刊朝日<芥川也寸志の音楽手帳> 読売新聞<東風西風> Amica<音楽つれづれぐさ>などに連載したものや、新聞・雑誌への寄稿のなかから、軽い内容のものばかりを選び出して、やや無秩序に、どこからでも気軽に読んで頂けるように配列したのが、この「音楽の遊園地」です。 1973年にれんが書房より刊行されていたものが、今回装を改め、より多くの方々に読んで頂ける文庫版となって、私は大変しあわせです。」p.196
・作曲家、芥川也寸志のエッセイ集。岩城宏之、中村紘子、茂木大輔等々、文章を書くことでも有名な音楽家の著作と比べても遜色無く、楽しい内容だと思います。その生い立ちを考えると当然か!? しかし、その音楽作品はまだ聴いたことがなかったりするのですが……無意識には耳に入ってるかな?? 軽い語り口の軽い話題に混じって、著者のヘビーな音楽観が時おり顔を覗かせます。年代的にみて、音楽家によるエッセイのはしりでしょうか。
・「今までの長い歴史のなかで、動物たちがいかに音楽の発展につくしてきたかは、はかりしれぬくらい大きなものがあります。」p.8
・「ねこの皮をなめしますと、オッパイのあとが八個のこります。これを三味線の胴に張る場合は、ふつう一匹を二枚に使いますので、四個の乳孔のあとが黒点となって、胴皮の表面にのこります。ねこ皮の三味線をよく"四つ"ということがあるのは、このためです。」p.9
・「オーケストラのなかで常席を占め、オーケストラ全体の引き立て役であるティンパニーには、この子牛の皮が張られておりますが、いちばん上等なのは、生まれる直前の腹子の背中の部分の皮だそうです。」p.10
・「ですから、ヴァイオリンという楽器は羊のオナカを馬のオシリでこすって、音を出していることになります。」p.12
・「ことにアントニオ・ストラディヴァリは、史上最高のヴァイオリン作りの名匠とされ、現存する楽器数はヴァイオリン約540、ヴィオラ12、チェロ約50で、それらの多くは更にそれを使用していた名演奏家の名前を冠して呼ばれています。」p.17 なんとな~く、Vnは100本くらいかと思ってましたが、500以上もあるんですねぇ~
・「その演奏家のいうのには、男のヴァイオリン弾きがうまくなろうと思ったら、まずすてきな恋人を持つに限る、というのです。楽器を恋人のように抱け。そして愛撫しろ。恋人を愛撫するごとく、楽器を弾け。それが上達の最短距離である。」p.20 これだぁぁ!!
・「はじめにリズムありき――これは指揮者の開祖といわれるハンス・フォン・ビューローの吐いた名文句です。」p.23
・「ある特定の楽器と、それを演奏する人間たちとの間には、ある奇妙な共通性があります。 どこのオーケストラにいっても、ホルン吹きはみんな理屈っぽい性質の持主であり、その反対にトロンボーン吹きはいずれも楽天家であり、十中八九、飲ん兵衛ときまっております。トランペット奏者には長命の相があり、いままでトランペット吹きが若死したという話はきいたことがありません。 有名なフルート吹きは、不思議と白髪型であり、禿げている人はほとんどおりません。ところが、有名なオーボエ吹きは、不思議にみんな禿げております。」p.28
・「オーケストラには、昔からタブーとされている曲目があります。(中略)その一つは、ラヴェルの作った「ダフニスとクロエ」の第二組曲です。有名な曲で、しかもよく演奏されるくせに、この曲をやると、必ず楽団員の中に事故が起こるといううわさは、戦前のヨーロッパではかなり広く信じられておりました。(中略)ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」も、誰でも知っているポピュラーな曲であるにもかかわらず、これを演奏すると必ず内部にもめごとが起こる、というジンクスもかなり広く信じられています。」p.31 こ、これは……知らなかった。。。
・「作曲家にとって、最も恥辱的な言葉は、自分の作った作品が何かに似ている、といわれることです。」p.42
・「次は音程があまりひどすぎます。ドレミファソラシドが正確にうたえないようでは、とても歌手とはいえません。ところが事実は、そういう連中が堂々とテレビに出て、さも得意気に振舞ったりしています。もっといけないのは、本当は歌がそんなに好きではないということが、ありありと見てとれることです。(中略)たとえどんな種類の歌であろうと、歌というものは断じて心の所産であるはずです。」p.67
・「演奏は、いつも音楽誕生の現場であります。」p.88
・「したがって、競いあい、戦いを挑むことを好まないタイプの人は、まるで演奏家としての資格はありません。」p.89
・「交響曲のような絶対音楽は、いっさいの標題、音楽以外の映像や観念から解放された音楽ですが、ブラームスやモーツァルトを意識的に映画音楽として用いることがあるのは、両面との間に生じる違和感、つまり逆効果をねらったものにほかなりません。」p.105
・「世界じゅうの国家のなかで、音楽的に最もすぐれていると思われるのは、フランス国家 "ラ・マルセイエーズ" です。」p.114
・「私は、今の日本国歌 "君が代" が、日本の全国民の信任を得ているとはどうしても思えませんが、だからといって、ただちに廃棄すべし、とも思いません。」p.117
・「ところで、もう一方の馬のしっぽはどうかといえば、これまた近ごろは需要に追いつけず、その強さと相まって、次第に化学繊維が用いられ始めました。こちらはまだテスト中ともいえる段階ですが、やがては音楽界に貢献した馬も、羊同様の運命をたどることになるでしょう。」p.133 化学繊維の弓の毛には未だお目にかかったことがありません。すぐに消えてしまったのでしょうか。『低価格! 丈夫で交換不要! 松ヤニ不要! 抜群の発音!』なんてあったらいいな。
・「科学の究極の目標は、生命の誕生にあるといわれています。つまり、生命のあるものと、ないものとの接点に向かって、探究が続けられてきたわけです。 音楽でも、これと全く同じことがいえそうです。まさしく音楽であるものと、断じて音楽ではないものとの境目に、音楽の本質がかくされているといえるでしょう。」p.140
・「ジャン・コクトーは「雄鶏とアルルカン」の中で、「芸術とは科学を肉化したものである」といいました。これは芸術の本質をいい得て、けだし名言と申すべきでしょう。」p.142
・「ですから、天下に名だたる大カラヤンといえども、うっかり振り間違えることがよくあります。アップで指揮者をとらえるテレビ・カメラのおかげで、幾度となく私はその瞬間を目撃しましたが、しかし、そのあとのごまかし方の上手なことといったらありません。ありゃあ、やはり天下一品です。」p.143
・「つまり、どんな作品にも、かならず、ある秘密がかくされています。 その秘密がなかなかばれないとき、人は、これを傑作といい、その秘密を、たくみにかくし通せる能力を持った者を、人は、大作曲家と呼ぶのです。」p.153
・「魅力ある音楽は、魅力のある人間からしか生れない。これはまず、絶対の理屈といえましょう。」p.155
・「ソフォクレス "女は見るべきものにして、聞くべきものにあらず"」p.161
・「モーリァック "多くの女性は、教養があるというよりも、教養によって汚されている場合の方が多い" 「娘の教育」」p.163
・「静寂の世界を絶対の美として認めないかぎり、音楽は作ることさえ出来ないのです。」p.171
・「元来、人間の耳というものは、眼や口とはちがって、相当器用な人でもパタパタと開いたり閉じたりすることはできません。嫌いなものは一切口にせず、見たくないときは眼をそらす、などということはできないのです。」p.180
・「"はいこれはサービスでございます" といって、欲しくもない品物をつけてくれる商店はいまや普通になってしまいましたが、ほんとうのサービスは、値段をまけてくれるなり、同種のものの中からいちばん良質のものを誠意をもって選び出してくれることであって、欲しくもないものをくれることではないはずです。」p.187
・「ですから文化とは何か、これをひとことで答えろといわれたら、私は「人間が生きよく、人間らしくすばらしく生きていくこと」だと答えます。」p.192
・「週刊朝日<芥川也寸志の音楽手帳> 読売新聞<東風西風> Amica<音楽つれづれぐさ>などに連載したものや、新聞・雑誌への寄稿のなかから、軽い内容のものばかりを選び出して、やや無秩序に、どこからでも気軽に読んで頂けるように配列したのが、この「音楽の遊園地」です。 1973年にれんが書房より刊行されていたものが、今回装を改め、より多くの方々に読んで頂ける文庫版となって、私は大変しあわせです。」p.196