「鳥海山の空の上から」ができあがった。
最初に鳥海山のことを知ったのは、2010年5月の、まほろば倶楽部のスキーツアーだった。
その時に、鳥海山にとりつかれた。
以来、去年までの4年間に、6回鳥海山にいった。
祓川から山頂まで登ったこともあるし、山頂直下で敗退したこともあった。
鳥海湖でゆっくりと花を眺めて過ごしたこともある。
行くたびに、好きな山だなあと思う。
実は、この話しは、もうずっと前、おそらく10年前に、構想ができていた。
それが、なかなか納得いくように書けずに、もう完成することはないかなあと思ったりもした。
ところが、2010年に鳥海山に出会った時に、書けると思った。
小峰書店さんに原稿を送らせてもらったのは、去年の11月だった。
その年のうちに、縁あって、Iさんに編集を担当して頂けることになった。
編集長時代から、ずっと知っていたが、直接担当して頂いたのは初めてだった。
毎回編集の方にはお世話になるけど、今回もほんとうにお世話になった。
編集の方の一言で(実際にたったの一言)、この本のスタートの雰囲気はガラリと変わったのだけど、こんなに変わったのは、処女作以来だと思う。
今思うと、力を与えてくれた、ありがたい一言だった。
佐藤真紀子さんの絵も、ほんとうにすばらしく、大好きな鳥海山をあますことなく、描いてくださった。
私がこの本にこめた思いを、じっくりとくみ取って描いて頂けて、ほんとうにありがたいと思う。
私にとって、忘れられない一冊となった。
佐藤さんに「最後の夏休み」以来、久しぶりにお会いできたのも嬉しかった。
表紙

中の表紙 これはニッコウキスゲの花。わたしが一番好きな花です。

この本ができあがるまでに、はいろんな方のお世話になった。
真っ先に感謝したいのは、「ちょうげの男」鳥海荘のひろ社長さん。
何度も一緒に鳥海山に登ってくださったり、本になる過程でも、やっかいな質問にもかかわらず、何度もいろいろ調べてお返事をくださった。
ほんとうにありがとうございました。
他にも一緒に鳥海山に上ってくれた友人たちにも、たくさんの感謝を・・。
最初に鳥海山のことを知ったのは、2010年5月の、まほろば倶楽部のスキーツアーだった。
その時に、鳥海山にとりつかれた。
以来、去年までの4年間に、6回鳥海山にいった。
祓川から山頂まで登ったこともあるし、山頂直下で敗退したこともあった。
鳥海湖でゆっくりと花を眺めて過ごしたこともある。
行くたびに、好きな山だなあと思う。
実は、この話しは、もうずっと前、おそらく10年前に、構想ができていた。
それが、なかなか納得いくように書けずに、もう完成することはないかなあと思ったりもした。
ところが、2010年に鳥海山に出会った時に、書けると思った。
小峰書店さんに原稿を送らせてもらったのは、去年の11月だった。
その年のうちに、縁あって、Iさんに編集を担当して頂けることになった。
編集長時代から、ずっと知っていたが、直接担当して頂いたのは初めてだった。
毎回編集の方にはお世話になるけど、今回もほんとうにお世話になった。
編集の方の一言で(実際にたったの一言)、この本のスタートの雰囲気はガラリと変わったのだけど、こんなに変わったのは、処女作以来だと思う。
今思うと、力を与えてくれた、ありがたい一言だった。
佐藤真紀子さんの絵も、ほんとうにすばらしく、大好きな鳥海山をあますことなく、描いてくださった。
私がこの本にこめた思いを、じっくりとくみ取って描いて頂けて、ほんとうにありがたいと思う。
私にとって、忘れられない一冊となった。
佐藤さんに「最後の夏休み」以来、久しぶりにお会いできたのも嬉しかった。
表紙

中の表紙 これはニッコウキスゲの花。わたしが一番好きな花です。

この本ができあがるまでに、はいろんな方のお世話になった。
真っ先に感謝したいのは、「ちょうげの男」鳥海荘のひろ社長さん。
何度も一緒に鳥海山に登ってくださったり、本になる過程でも、やっかいな質問にもかかわらず、何度もいろいろ調べてお返事をくださった。
ほんとうにありがとうございました。
他にも一緒に鳥海山に上ってくれた友人たちにも、たくさんの感謝を・・。