紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

義兄の死

2021-11-22 17:28:27 | 18・家族のことなど

昨日、義兄(姉の夫)Aさんのお通夜、本日は告別式が執り行われた。



こんなコロナ禍なので、家族葬で見送った。遠いフランスのパリに住んでいる姪も日本にくることができ、通夜の前日PCR検査も陰性となったので、葬儀に参列することができた。
姪が飛行機の中にいるときに、義兄はなくなったが、パリを離れる前にSkypeでお互いの顔を見ることはできたそうだ。

義兄が明け方、家の中の事故で亡くなったのは、11月13日だった。まだ73歳で、そう年はいってなかったが、なにか心に思うことがあったのか、姉や家族のために、自分が亡くなったあとのことをあれこれ書き記していたという。

天気予報によると、今日は大荒れの日で、いかにも嵐を呼ぶ男、Aさんらしい日になりそうだ、と夫と話していた。ところが、こんなにあっという間に亡くなったこともそうだし、Aさんの持つ力が、晩年になって失われたのかもしれない。天気はそれほど荒れなかったので、参列者は助かった。けれど、それもまたさみしかった。

夫がAさんと知り合ったのは、まだ10代の頃で、Aさんは大学の寮の寮委員長だったという。
その後新卒で入った会社も同じで、Aさんは先輩だった。その会社はじきに倒産したので、道は分かれたが、Aさんが姉と結婚したこともあり、縁はとぎれることはなかった。

Aさんは、子どもの頃から海の近くで育ち、海が好きな少年だったそうだ。戒名には「海」の一字が入っている。

心よりご冥福をお祈りします。

夫は、今日の船で三宅島に帰り、私は一足おくれで、明日の飛行機で帰る予定である。


母の七回忌

2019-04-24 12:08:47 | 18・家族のことなど
私のが他界したのは、1月8日だった。
本来なら、その頃七回忌の法要をするのだけど、姉妹の予定が合わずにのびのびになって、昨日ようやくお寺に伺って、お経を上げていただくことができた。
ご住職様も、お母様もお元気そうで、お目にかかれたのが嬉しかった。

ご住職様と私とは、ほぼ同じ年だけれど、いつも心にしみる話をしてくださる。

お経を唱和する間、心を込めて私たちも一緒に唱えた。
あまり信心深くない私であるが、このときは、心が清められる気がする。

終わったあとは、両親のお墓参りをした。

山の上なので、いつもながら、眺めがいい。





それがすんだあとは、ホッとしながら、「ミューゲブラン」へ。



三人で会うのも何年かぶりなので、会席料理に舌つづみを打ちつつ、近況や、これからのことなど、話は尽きなかった。













注)料理の写真はトントンからお借りしました。


無事に義父の七回忌が終わりました

2019-01-21 07:38:00 | 18・家族のことなど
一昨日の土曜日、無事に義父の七回忌が終わった。
去年が義母の三回忌。
それまで、ずっと毎年法事があって、それが少しとぎれることになり、ちょっとホッとした。

夫は前日から千葉の実家に泊まったので、調布からは前日着いた息子家族と私とでいった。

あやかと息子は、走って駅までいったので、私とお嫁さんの方が遅く着いた。
さすがに、3歳で2kmマラソン、完走しただけのことはある。
大きくなったものだ。
そうしたところ、別々の電車に乗ることになり、私と嫁さん、息子とあやか、で笹塚までバラバラ。(苦笑)



でも、途中で会えたのでよかった。



法要が終わり、阿弥陀寺の前で。



その後昼食を食べたあと、実家へ行く。



実家は、義母が亡くなって3年経ち、住む人がいないので、手放すことになった。

母の形見の着物など整理して、夜は寿司を食べてから帰ってきたので、ずいぶんおそくなってしまった。
小さい子は、イタリアンでピザなどがいいかと思っていたら、お寿司が好きだというので、ちょっと笑ってしまった。
ケーキを買っておいたら、ケーキは好きじゃないと言うし。
ボタンエビ、まぐろ、いくらをおいしそうに食べていた。

昨日は、お嫁さん達が帰った午後、姉がきて、一緒に川崎のたかちゃんの家にいった。
今年はなり年ということで、夏みかん、ゆずをもらってきた。



いつもありがとう。

そして、夫は昨日、すごい風の中、船で三宅島に向かい、着発で、なんとか三宅島に渡れたそうだ。
私は来週月曜日に仕事があるので、その翌日帰る。
今回疲れたので、帰りは飛行機にしようと思う。

お墓参り

2017-03-03 20:47:48 | 18・家族のことなど
昨日は夜おそくに、東京に戻った。
北海道スキーのようすは、おいおいアップします。

3月3日、夫が農業の仕事で三宅島から出張できていたので、今日は義姉と待ち合わせて、千葉までお墓参りにいった。
3日は義母の月命日。

久しぶりに甥と、義姉とも会えて楽しかった。




夫は今日三宅島に渡る。
私は3月中、もう一回八甲田スキーにいくし、3月28日ははずせない仕事だし、31日は病院なので、それがすんでから三宅島にいつ帰るか考えよう。






義母の法要

2016-12-25 14:02:22 | 18・家族のことなど
昨日は、奇跡的に、みんなそろって、義母の1周忌にいった。
三宅島、熊本、広島、大阪、人数がそんなに多くないにもかかわらず、全国あちこちから、みんなが千葉の阿弥陀寺に集合した。

お経を上げてくださった後、ご住職様が最後に、義母がいつも心にとめていたことを話してくださった。

義母はほんとうに、よく感謝の言葉を口にしていた。
母の書。座右の銘。




法要を無事に終えて、船橋で昼食。






車や電車で、自宅に戻って、やれやれと思ったのもつかのま、こうたが夕食の最中から、吐き気と下痢。
これは、風邪か? ノロか? うつっているとこれからおそろしいことがおきそう。

今日はクリスマスのごちそうを、みんなで食べることになっていたが、あやかちゃんに移ると大変なので、息子夫婦は今朝家に帰った。




娘親子と夫と私は、明日どうなるでしょうか。夫は今晩の船で三宅島に渡る。

娘たちは、明日の昼頃の便で広島に向かうことになっている。
万が一明日帰れないと、そろそろ帰省ラッシュに入り、大変なことになりそう。





昨日~今日

2016-11-06 14:58:28 | 18・家族のことなど
昨日は、千葉の夫の実家にいって、来月に行う義母の一周忌の相談など。

出かける直前、O笹さん(ダンナさん)と連絡がとれて、とも君も一緒に「そば・やくも」でランチ。

あわてて出かけて携帯を忘れ、とりに戻った。

夕方千葉に到着。

義姉さんが、ケーキを買ってきてくれて、わたしの誕生日(今日)をお祝いしてくれた。サンクス♪ 
おぉ、とうとう高齢者の仲間入りである。




今日は、義姉さん夫婦と4人で、お墓参りにいった。

4人で新しくなった墓石を見て、義母の字はすごくいいし、言葉(感謝)もすごくいいと、みんなで満足。




桜の花(?)が咲いていた。




それから、同期会に出席する夫と一緒に、急いで帰ってきた。

いろいろ買いそろえ、今晩の船で、三宅島に行く。揺れないことを祈るのみ。



義母の新盆

2016-08-14 15:06:31 | 18・家族のことなど
今年のお盆は、義母の新盆なので、お寺のご住職様にきて頂き、お経を上げて頂いた。

千葉の家に、義姉夫婦と長男、我が家のみんなが結集。

10:00~ということだったが、夫は前泊、あとは、調布の自宅から娘とこうた、私が電車でいき、息子夫婦とあやかちゃん、しんじが車でいった。

電車の私たちは、ぎりぎり到着。間に合ってよかった。

その後、船橋の「稲荷屋」さんで、昼ごはんを食べた。







息子のお嫁さんは、4:00の新幹線で、あやかちゃんと山形に向かうので、私だけが見送りにいき、その他の人は、また息子の車で調布にもどった。

東京駅は、帰省ラッシュですごい混雑。
指定席をとっていた新幹線は40分のおくれ。なんとか乗り込めた4:00の新幹線自由席で、お嫁さんとあやかちゃんは、実家に帰った。

東京駅のあまりの混雑ぶりに、私はすっかり人酔いし、くたびれた。

夫は、その日広島の娘のダンナさんから送られてきた、釣ったばかりのイカ、アジ、イサキ、アカイサキなどを大量にさばいてから、夜の船で三宅島に戻った。
いつもの二等船室は、600人定員のところ、1000人も乗り、座席なししかとれず、特二等で帰ったそうである。

娘たちが東京にいるのも、今週の木曜日まで。残り数日を残すだけとなった。

1か月こちらに滞在していたが、こうたの成長著しく、離乳食をもりもり食べるようになり、昨日はとうとう、はいはいができるようになった。






父の十三回忌

2016-04-22 16:03:10 | 18・家族のことなど
父の命日は、2月18日だった。
本来ならその頃法要を営むのであったが、妹も私も、孫が生まれ、どうにもこうにも身動きがとれなかった。
そして、ようやく昨日姉妹3人で十三回忌の法要を行った。
法事は、命日の前に行うともいわれるが、その後でもいいのです、とは以前いわれたご住職さまの言葉。

お経を上げてくださったのは、ご住職さまだった。
いつもご住職さまの話しは、心に響く。

私たちもお経を唱えながら、父の御霊にお話をされるようにとすすめてくださった。

そんなこともあり、お墓参りをしている間じゅう、両親の話をする。

その後、近くのミューゲブランでランチ。




たいてい、法要は冬なので、このような時期にきたのは初めてだった。
大てまりの花も見事に咲き開いて、すごくすてき。

庭の花も丹精されていてた。

クレマチスの花。




いつもながら、静かでおだやかなひととき。食事もほんとうにおいしかった。(トントン撮影)






今週は、月曜日の、玄関のタイル張り替え工事に始まって、いろいろ忙しかったが、無事に法要も終わり、ホッとした。



法 事

2016-02-21 21:03:05 | 18・家族のことなど
一昨日から実家に出かけ、今日帰ってきた。

昨日は義母の納骨と四十九日の法要。

従兄弟や、息子家族や、甥たち家族が集まった。







あいにくの雨の中、お寺さんにお経をあげてもらい、無事に終わった。

昼の会食のあとは、実家にみんなが集まった。

久しぶりに孫のあやかちゃんと対面。あやかちゃんは、だっこすると泣く。
寝かせたままだと、泣かずに、声をたてて笑うようになっていた。





夕食後解散。







次にこんなに大勢で集まるのは、新盆でしょうか。
こんな風に甥たちにも会えるのは、義母のおかげですね。





義母のこと

2016-01-07 07:02:36 | 18・家族のことなど
大晦日の12月31日に、突然倒れた義母が、1月3日の早朝亡くなった。
5日お通夜、昨日の6日に葬儀がとりおこなわれた。
今年の正月は、ほんとうにめまぐるしく過ぎた。

それまで、とても元気にしていた義母は、大晦日、姉夫婦と一緒に紅白歌合戦を楽しそうに見ていたそうだ。
10:30頃アイスクリームをおいしそうに食べている途中で、崩れるように体勢を崩したとのこと。
あれっと思って、話しかけると、ろれつがまわらず、そのまま意識を失った。
すぐに救急車で、救急病院のICUに搬送され、脳梗塞と診断されて、手上てをうけたが、ダメージが大きく、回復にはいたらなかった。

元日に、病院に駆けつけると、名前を呼びかければ、答えてくれた。
「力」とそばにいた最後の5人目の孫の名前を呼び、「あやかちゃん」と、その日は連れてこなかった、生まれたばかりのひ孫の名前も口に出した。

けれど、翌日には、もう呼んでも答えてくれなくなった。
ほかの孫たちも九州などから駆けつけてきて、病室はにぎやかになった。

その翌朝、義母は、苦しむこともなく、静かに眠るように亡くなった。

それまで、義母は、とても元気だったが、唯一足が痛いというので、3週間に1度、千葉から埼玉の松原治療院まで通って、鍼治療を受けていた。
鍼はとても気持ちよさそうで、片道1時間半もかかるのに、いつも行くのが待ち遠しいようだった。
三宅島にいってからも、こちらに戻るたびに、義姉と交代で付き添っていた。鍼の後は、一緒にランチをして、いろいろ話しをするのが楽しみだった。

義母は友だちも多く、12月にも旅行にいったばかりで、そのお仲間も葬儀に来てくださっていたが、ほんとうに楽しい集まりのようだった。

書道のお仲間にも楽しくお付き合いさせて頂いていて、最後に棺に般若心経を書いたものを入れてくださった。

義母が最後の書道展に出した書。義母が寝ている部屋に、飾られていた。




ここ最近は、いろいろな人への感謝の言葉ばかり口にしていたが、元気な中でも何か感じるものがあったのかもしれないと思う。

生まれて2ヶ月にして、葬儀に参列することになったあやかちゃん。親戚や義母の友だち、たくさんの人にごきげんでダッコされていた。




昨年5月、87歳の誕生日のお祝いの写真。
Cさんのお腹の中には、すでにあやかちゃんがいた。




そんな正月を過ごしたが、来週早々には、私は広島に行く。
すべて終わってみると、義母が私を心おきなく広島へ行けるようにしてくれたのかとも思う。