ひとひら (総括)
まったくあなたって娘は・・・主役を演じたんだから
もっと堂々としていなさい
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あたりまえといえば当たり前の話しだけど
「らき☆すた」にしろ「キスダム」にしろ、そこに
出てくるキャラクターたちは‘完璧’な
「演技」をしているわけだ。
勿論、そこには様々な制約やあるいは個性が
あるのだけど、自分が主演であることに尻込みしたり
舞台で声が突然出なくなったりなんてことは
まずありえない。
ところが、我らが麦チョコは緊張すると声がでなくなる
なんていうアニメではなかなかレアな
設定の持ち主だったりする。
あげく「口パクじゃ駄目ですか」とか
「み、見ないで下さい・・・」とか言い出すしまつ
そういうネガティブさが新鮮だった。
まあ、「無口キャラ」の亜種ともいえるかもだが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ふりむくと、目標としていた「ひとひら」の講演
よりも、本番までのあれやこれやが実はメインの話し
だったのかな、と思い出す。講演自体は内容を結構
端折っちゃってたし、存亡をかけたライバルである
演劇部の講演なんかは瞬くあいだに終わってたし。
そうやって考えると「目的」を失った後も
なんとはなしに見ていたのにも納得がいく。
まあ、胸を躍らせてってことは
ないにしろ、ね。
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しかしまあ、これといったつっこみどころもなく、
かといって、メタ的にいじりまわそうなんて気も
さらさらなく、何か緩やかな引力のあるお話だった。
こういうのを何ていえばいいのか
―そう、「ちょっといいはなし」だよ。ちょっといいはなし。
神曲奏界ポリフォニカ (総括)
まあ、テケトーに視聴していたのだけど
最後の話し付近で少し想ったとこがあった。
内容がうろ覚えなんだけど、「神曲」っていう
「精霊」っていう超自然生物に力を与える歌を
「録音」しようとしてた元あるじの遺志を継ごうとしていた
精霊と、精霊の力を悪用して都市テロを起こそうとしていた
やつらの話しだったか。
で、テロうんぬんの方は割愛して、「神曲」を「録音」
しようとする試みの方をとりあげたい。
結局、その録音装置では精霊に力を付与することはできな
かったわけなのだけど、「歌」そのものが「力」なんだって
オチをつけたわけだ。
さてさて、この「ポリフォニカ」って作品は、最近では
珍しくも何ともない多メディア展開している作品だったと
私は記憶している。
そういった作品には「原典」を主張しないのが当世の
儀礼だとは承知のうえで、仮に原典たる「譜面」があったとして
そうしたときにこの「アニメ版」のポリフォニカとはどういう
関わりを持つのだろうか。
作品の都合上「音楽」はどうにもこうにも必須なわけで
例えば「小説版」だとそのあたりの処理は微妙な問題を
はらんでいるのだけど、ぶっちゃけ「ゲーム」や
そして「アニメ」なら「実際」に音を出せばよいのである。
ところが、「音」ってやつは少なくとも私にはどうも
手に負えないしろもので、とにかくある程度「音楽」が
成立していたら金も味噌も「いいもの」のようにちょっと聞き
感じてしまうので困る。
そのあたりはまあ音楽の成績が平均2だったやつの戯れ言なの
だといえばそれまでなのだけど、ではそれと
「目に見えているセカイ」の齟齬がひどかった時にどうすれば
いいのか、と考えてしまったのだ。
つまりこの「ポリフォニカ」って作品は他メディアであることの
特性が活きていない「駄メディア」作品っていえば済むことで
「アニメーション」っていう混声メディアの申し子でそれが
ばっちり露呈してしまったというわけ。
かっこつけていうならコンチェルトにはいささか力不足で
あった、とも。同人とかなら「カラオケ上手」レベルで
満足しても、アニメには「コンサート」程度を期待してしまう
といったところか、それともこういう考え方は固いのだろうか。
まったくあなたって娘は・・・主役を演じたんだから
もっと堂々としていなさい
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あたりまえといえば当たり前の話しだけど
「らき☆すた」にしろ「キスダム」にしろ、そこに
出てくるキャラクターたちは‘完璧’な
「演技」をしているわけだ。
勿論、そこには様々な制約やあるいは個性が
あるのだけど、自分が主演であることに尻込みしたり
舞台で声が突然出なくなったりなんてことは
まずありえない。
ところが、我らが麦チョコは緊張すると声がでなくなる
なんていうアニメではなかなかレアな
設定の持ち主だったりする。
あげく「口パクじゃ駄目ですか」とか
「み、見ないで下さい・・・」とか言い出すしまつ
そういうネガティブさが新鮮だった。
まあ、「無口キャラ」の亜種ともいえるかもだが。
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ふりむくと、目標としていた「ひとひら」の講演
よりも、本番までのあれやこれやが実はメインの話し
だったのかな、と思い出す。講演自体は内容を結構
端折っちゃってたし、存亡をかけたライバルである
演劇部の講演なんかは瞬くあいだに終わってたし。
そうやって考えると「目的」を失った後も
なんとはなしに見ていたのにも納得がいく。
まあ、胸を躍らせてってことは
ないにしろ、ね。
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しかしまあ、これといったつっこみどころもなく、
かといって、メタ的にいじりまわそうなんて気も
さらさらなく、何か緩やかな引力のあるお話だった。
こういうのを何ていえばいいのか
―そう、「ちょっといいはなし」だよ。ちょっといいはなし。
神曲奏界ポリフォニカ (総括)
まあ、テケトーに視聴していたのだけど
最後の話し付近で少し想ったとこがあった。
内容がうろ覚えなんだけど、「神曲」っていう
「精霊」っていう超自然生物に力を与える歌を
「録音」しようとしてた元あるじの遺志を継ごうとしていた
精霊と、精霊の力を悪用して都市テロを起こそうとしていた
やつらの話しだったか。
で、テロうんぬんの方は割愛して、「神曲」を「録音」
しようとする試みの方をとりあげたい。
結局、その録音装置では精霊に力を付与することはできな
かったわけなのだけど、「歌」そのものが「力」なんだって
オチをつけたわけだ。
さてさて、この「ポリフォニカ」って作品は、最近では
珍しくも何ともない多メディア展開している作品だったと
私は記憶している。
そういった作品には「原典」を主張しないのが当世の
儀礼だとは承知のうえで、仮に原典たる「譜面」があったとして
そうしたときにこの「アニメ版」のポリフォニカとはどういう
関わりを持つのだろうか。
作品の都合上「音楽」はどうにもこうにも必須なわけで
例えば「小説版」だとそのあたりの処理は微妙な問題を
はらんでいるのだけど、ぶっちゃけ「ゲーム」や
そして「アニメ」なら「実際」に音を出せばよいのである。
ところが、「音」ってやつは少なくとも私にはどうも
手に負えないしろもので、とにかくある程度「音楽」が
成立していたら金も味噌も「いいもの」のようにちょっと聞き
感じてしまうので困る。
そのあたりはまあ音楽の成績が平均2だったやつの戯れ言なの
だといえばそれまでなのだけど、ではそれと
「目に見えているセカイ」の齟齬がひどかった時にどうすれば
いいのか、と考えてしまったのだ。
つまりこの「ポリフォニカ」って作品は他メディアであることの
特性が活きていない「駄メディア」作品っていえば済むことで
「アニメーション」っていう混声メディアの申し子でそれが
ばっちり露呈してしまったというわけ。
かっこつけていうならコンチェルトにはいささか力不足で
あった、とも。同人とかなら「カラオケ上手」レベルで
満足しても、アニメには「コンサート」程度を期待してしまう
といったところか、それともこういう考え方は固いのだろうか。