弱虫ペダル 第35話 勝利する男 △+
視聴していて「いい顔してるなぁ」ってよく思うね
ま、今回は御堂筋クンと新開さんの「顔芸合戦」があったからなおのことなw
ただまあ馬鹿にしているだけじゃなくてこういう風に「顔」で「表現」
するのって意外と少ないかもなあ、なんて思うわけで
今日日の絵描きのみなさんは見た目はキレーな「一枚絵」を描くことには長けているけど
人間のちょっとした表情とかを書き込むってどうなん、ってのはある
まー今時はみんな見る側も「人の顔」なんかマトモになんか見ずに
スマホの画面とばっかりにらめっこしてるから
当世事情に即しているといえばそうなのだろうけど
まあそのあたりのスマホに奪われている「退屈さしのぎ」を
当作品では凌駕しているのは確かだとおもわれるね
「いかにスマホから眼を奪うか」ってのが当世のアニメーションにおける
課題となっているかとおもう
極黒のブリュンヒルデ 第10話 「生きている証」 △++
どうていを1つ
1コしかないぞ、それ(笑)
奈波の「記憶に残せるような友達が欲しかった」ってのと
「友達だからこそ辛い記憶を残したくない」っていう矛盾した想いが痛切ですね
まあその後に村上の記憶領域を大量に使ってそれこそ「心の中に生きている」
ってなってるとこが笑えるw
「気にしなーい」って寧子が超気にしているのも笑えるし
そこでカラオケに行った記憶が消去されているのに気づけるのは泣ける
水着回なのに「次」の可能性が絶望的に無いとかのんびりしてるんだか
やけくそなのか、多分その両方の矛盾の中で必死に生きている彼女たちを見てると
まあなんかちょっとただ事ではない「記憶領域」に刻まれているのは確か
最後の画、ヴァルキュリアの白と空の青、そして血まみれの地面の赤のコントラストが
まあこの物語の鮮やかさを残酷に描いていたかと
龍ヶ嬢七々々の埋蔵金 第10話 対決 △+
くそメガネ
戦場がさんざ馬鹿にしていた「くそメガネ」のせいで
負けるカタルシスがあるねえ
慎重な大人だったらいくら半人前の現冒険部部員達でも
「まとめて相手にする」とかやんなかったろうけど
あえてそういうナメたことをすることで緊張感を楽しもうという
趣旨なのかねえ、といったところ。
こちらも「顔芸」とまではいかないけど表情や感情が露わになるとこが
あって気持ちよく「若人」が描けているかとおもう
そして最近、七々々ちゃんの笑顔が見れてないなーとおもうことに、寂しさをおぼえる
デート ア ライブ II 第10話 「反転」 とまとめ △(+)
闇堕ち
もともとは「精霊をデレさせる」ってのが大義名分?で
「選択肢」とかいかにも「ギャルゲー」を想起させる要素とかが
あったのだけど、第2期になって破壊活動とかがいよいよ
巨大化して、そのあたりの要素がだんだんと忘れられていった感じがある。
まあ「無理の無い展開」ってのはこういうモノなのかもしれないけど
角川がこぶしを入れて展開していることが
当初はあった「ギャルゲーで世界を救う」っていう馬鹿馬鹿しいが
現代の「ギャルゲー脳でかつ高火力好きな僕らのニーズ」を満たすっていう
無謀な挑戦に待ったをかけるようになっている気はする。
結果として「不良から女の娘を救う」ってのを「ギャルゲー要素」抜きで
やるような感じになってしまったワケで、それが「進歩」っちゅうなら
それはそれで結構なことなのかもしれないけど
なんとなーく「Fate」のできそこないのような中途半端なモノに
なってしまったような印象ではある。
「ラノベ」的に最初にハッタリをかますのは得意でも
それと心中できるような作品っていうとほとんど無いワケで
当作品も「終了」ではなくて「転向」の道をいっている気がする
そして作品が捨てた「信念」を五河士道なるゾンビにひっかぶせてると言っても
いいかもしれない。