やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続
第1話 何故、彼らが奉仕部に来たのか誰も知らない。 △+
守りたい、この笑顔
製作が変わって、でも何の説明もなくいきなり前期のラストシーンだけが
ダ・カーポするという、いきなり「どうしてそういうやり方しかできないんだ!」
とかヒッキーが言われてるのを見て、こっちから視聴しだした人は
ポカーンとなったに違いないw
まあ、ぶっちゃけホンとトークだけで見られてしまう作品なんで
画が変わってもあんまし影響がないように個人的には思うのね
強いて言えば女の娘(と戸塚)がちょっと今風の描き方になって
ヒッキーが前よりちょっと普通の人間っぽくなってるってぐらい。
あと、最初から3人だからちょっと空気がまろいね
ヶ浜さんが誘って、ヒッキーが答えて、ゆきのんがつっこむ形で安定
最初はヒッキーとゆきのんがサシだったからね、アザレアの葉のように
ちくちくしたトークが痛気持ちよかったのだけど、ちょっとおとなしい。
ま、かわりに礼儀を知らない相談者にピシャリと「出て行きなさい」とゆきのんが言うところが
格好いいね、文化祭の責任者になって貫禄がついたかんじだ。
京都を舞台としたデート支援という名のダブルデートは丁寧に描かれていて
昼と夜でそれぞれヶ浜さんとゆきのんで相手と印象が変わるのがうまい
彼等がどういう関係性にあるのか、口頭で説明することなく理解できるはず。
レーカン! 第1話 「わたし、視えるんです。」 △+
みえるひと
あれですね結構ガチで「心霊」っぽいハナシなのに
ぽやぽや天然少女が主人公だから、それもやんわり受け取れるね
「視点」によって怖いモノにもなり、大してそうでもなくなり
っていうのが良く分かるね、そして友達には「そういうのが」苦手な
人を配置するのが定番やね、人も幽霊も「異物」として「排除」するのでなく
「仲良くする」っていうそういう理想郷が仮構の世界ぐらいではなりたって欲しいもの。
1話目を見た限りではそれが達成しそうな見込みはじゅうぶんだ。
響役の木戸衣吹さんはツンツンしてるよりこういうおっとりした役のほうが好感。
黄昏時の紅さがすごいね、これなら「亡者」と遊ぶことができるかもしれない
と思わせる。そしてこの画はアニメーションじゃないと難しいだろうから
動画になったことの意義は充分にうかがえる初話だったとおもう
食戟のソーマ 第1話 「果て無き荒野」 △+
あれですね主人公がおもしろメニューで精神攻撃でセクハラするのが
持ち味だけど、「チャーハン」のような基本的なメニューだと
腕の差がはっきり出て誤魔化せないのが、せちがらいねw
このおはなしになぞらえるなら馬鹿馬鹿しいハナシの裏側の
今風のえっちい女の娘の描き方のうまさがそれにあたる。
まあそういう感じで少年誌的「逸脱の悦楽」が当作品には感じられるきがする
「地上げ屋」とかそれの解決が「料理バトル」とかニヤニヤしてくるね
まあこっそり一番ショックだったのは食材が妨害の為に
ぐちゃぐちゃになっていたとこだったかなあ、そこも無駄にしっかり
描かれていたのがよい、いやだめだけどw
電波教師 第1話 高校教師始めました △(+)
声優は選ばれた存在なんだ!
さてw 1話目から胸くそ、いや、のどに悪そうなハナシでしたね
どうなんだろう、少年マンガ的強引な解決と「いじめ」っちゅうリアルに
死人がでている永遠の社会問題のとりあわせは。
同じような展開だと「残響のテロル」とかあったけどね
あっちはガチでひどい世界を描いてそれをぶっ壊しにきてたね
「いじめ」とはその残酷な「集団性の無意識の仕打ち」を受ける側にとっては
「世界を破壊する」ほどの覚悟でもって臨まなければならないのよね
その差異が「人それぞれ」ってことのあかしなのだけど
当作品はどうだろう、そういう「ガチ」さのズレがあるようなな
主人公が「オタ」ってのもけっこう難しいよね「オタク」を描くことが主題なら
まだやりようもあるけど、いちおう「実社会」の仕事だから
「元天才」みたいなこざかしい設定をつけたして何とか繕っているかんじ。
ガンスリンガー ストラトス 第1話 戦端 もう一人の僕 △+
ゲーム的な「同キャラバトル」って「平行世界にいる自分同士の戦いじゃね?」
っていう自覚からこのハナシはスタートしているのであって
「それっぽい雰囲気づくり」の為に出だしの神社、烏鷺、そして消えた少女で
たぶらかしにきているね、その後は世界をふつうにスタートさせている
アニメーションとしても不可ではない。
平行世界の主人公に「日本は階級社会だ」とか言わせるのがいやなやつですねw
正面から言うと損だからこういうやり方で心の澱をはきだすのが黒いね
でっぱからこういう「黒さ」を扱うのは勢いのうえでアニメーションとしては
「損」だとおもうけど、それを不断にかつ上等に描くのなら
いろいろ看過できないところではある、またそれの反発としての「銃撃戦」なら
非拳銃社会の日本においては正しい「創作的テロリズム」であるといえよう。