意志のなかにいる

コメントあるようでしたらお気兼ねなく、記事に関連があるのが望ましいですね。

Ours battle yet to come (アニメ感想)

2015-09-27 22:18:29 | アニメの感想2015年Season3






のんのんびより りぴーと 第12話 一年がたった とまとめなのん △++









れんちょんが「たけのこの中に人がいるかもしれない」とおもうやさしさよな
まあ「慈しむべきモノ」が周りを囲んでいて、そこから逆に慈しみを受けていて
それが当然周りの人にも適応されるという、そういうチンケな邪念の抱きようが無い
深くて懐かしい緑の空間に満たされている安心感がある。
あとはまーみんなのんびりとやってるよね、漠然としすぎだけど
言葉や行動に「矯正」ってのがまったくかからないような印象
ウケをとってやろうとか格好をつけようとかそういう力み返りが一切なくて
それでいて「無気力」とは無縁ななんというか人間のコミュニケーションがある
それはやろうとするととても難しい何かで、それが「当たり前」のように
やっているのが当作品のすごさ、といったところだ
目の前に広がる緑源郷をただただ視る、そのなんとしあわせなことだったか、とおもう。
そして1年もたつとそれが「懐かしい」となるんだろう
それが人が生きる時間ということなんだ。











がっこうぐらし! 第12話 そつぎょう とまとめ ○








それでも、わたしたちはここにいます―







このおはなしはとても親切ですよね、ボクたちが「見やすい」ように
「しんどい」ハナシをやるということということに関して。
由紀ちゃんの視ていた「がっこう」はすなわちボク達が「ぴょんぴょん」するのに
最も適合した視点で、そしてそれが「必要悪」的に必要だというオツムのよさ
そしてだんだんと「現実」から目を背けられなくなってくるのと
ボク達が視聴を止められなくなるぐらい関わってくるのと
調度歩調があっている、その計算のすごさといったらないね。
もしこれが最初からどばどば血まみれの「パニックもの」だったら
「一発ネタ」で終わっていたとおもうのね、ボク達がこの残酷な世界を
受け入れるのに十分な仕込みを果たしたからこそこの「そつぎょう」まで
目が釘付けになったのだと思うし、「下校の夕焼け小焼け」で危機を脱する
なんていういささかファンタジーじみた大業で〆ることも受け入れられたのだとおもう
あとはまあ視聴していて「映画的」な演出がちらほら、それも違和感なく
提示されていたのがよい、とかく他分野の「演出」ってのは「クサい」
ものなのにまあそれが生きてくる下地のつよさあってのことだったのかと
なにせすぐ背後には「死」がせまっていて生きていることに飽きている人間の
余剰なものに対するツッコミができぬ逼迫感があったからねえ
その足取りはけっして速いものではなかったけれど、ボク達を確実に
「学園生活部」のみんなのように追い込んでいったかとおもわれる
こういう「視ざるを得ない」チカラを有した作品が
現代的「にちじょう」フォーマットを利用して甦ることに畏敬の念をおぼえる。











Classroom☆Crisis 第13話  史上最大のプレゼン と報告書(まとめ) △+









「1話目」と「13話目」が同じ構成やね、どっちもナギサ救出
物語の〆としては伝統的なあり方でまあ教科書的といえんくもない
「アニメーション」としてはキャラクターまわりを描いてといったとこで
実写の「ドキュメンタリー」だったら「嘘くさい」となるけど
アニメーションとしては期待するぐらいの分量だったかとおもう
そんなこんなでそれぞれの長所がさまざまなる対立を経て
最終的には昇華されるというまあ実にうまい仕上がりだったかと
しかし、なんだろうねえこの「もの足り無さ」とでもいう何かは
有名な経営者の本を読んで感銘を受けてもじゃあ次の日から
自分の仕事に組み込めるのかとなるとうーんとなるあのもどかしさとでもいうか
結局「A-TECは優秀だから」で事が済んでしまっていたような
気がするのね、いやそれに疑問があるわけではなく彼等が優秀なのは
作中でも充分覗えるのは確かなのね、ただこの「優秀さ」ってのは
果たして「つごうのいい物語の為の優秀さ」なのか
「あるやむをえない試練の中で見せたまことの人間のチカラ」なのか判別しかねる
ってのがあるのね、まあいちいちクラスメーツ全員にスポットをあててたら
このスッキリとした終わり方になるための尺がとれなかったろうから
贅沢なんだろうけど、その「贅沢」を達成しうる特別な「何か」が
当作品にあったかと言われると口ごもってしまうところはあるね
傍観者でいやみなことをタラタラ言ってて最低な奴だけど、そんな印象がぬぐえない。











Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ツヴァイ ヘルツ!
第10話  世界の片隅で君の名を △+










「スピンオフ」で「平行世界」という概念を持ち出すとはどういうことか
「いくつもの正編」という時の平等感と無力感とそれに対抗する
「今ここにある事態」ということの主張、何だかよくわからなくなってきたけど
「聖杯」としてイリヤと美遊が世界を隔てた「双子」であるのはきまりがいいね
そして双子の片割れがピンチの時、もう片方がそれを救うといううつくしさ
しかも失われた片方の武器を手に二刀流で闘うというのが覚醒の説得力を増させる
おそらくはほうぼうの「聖杯戦争」においてキーパーソンとして狩り出された
金色の王がラスボスをやってくれたのもまた都合がよい、そうやって
現代的「正義」たる「殺さない大火力」と「友情」でうまくカタをつけましたね
「stay night」のほうはあんまし「友情」を押してないんで
こっちの方面で勝負していくのは正しいとおもう、そして友情に伴う「日常」成分は
今回充分にあったかとおもうね、美羽のイリヤに対する想いが
イリヤまわりの友達にも少しづつ広がっているのも覗える、そんな夏休みだった。





























コメント
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