ヘヴィーオブジェクト
第24話 野に咲く花に鎮魂の歌を ベイビーマグナム破壊戦 II とまとめ △+
明日に向かって、えくそだすっ!
基本的なことだけど主人公を2人のオトコノコに分けたのが、よいね
別に「男の友情」とか期待したいワケじゃなくて(それもあるが)
もっと根底的な機能としてこのホラばなしを1人の「英雄」に背負わせるような
無茶なことをしなくて済むし、ヒマなら浮ついた「兵士トーク」してればいいし
「相棒もの」としての利点が存分に発揮されていたとおもう。
「科学的考証」とかはまあ理系担当の人がやってくれるんで
それ以外のいろいろ興味を感じさせるとこがよいかねえ
「戦場トーク」をはじめとして主要人物以外には味方にも死人がでたり
ペンギン見たり農園で茶を飲んだり、メイドがいたり、本筋以外にもうまみがあるのが
物語として視聴していてよかったかとおもう
逆に言えば主要人物の「死」はそういう「余興」を「分断」してしまうのよね
「そんなことしてる場合じゃない」とか「真面目にやれ」とかといった理由。
だからまあこの「死にそうで絶対に死なない」ってのは
最高の娯楽ということでもあるのね、当作品はそれが徹底してたかとおもう
「ヘヴィー」と銘打っておきながら「ライト」そのものを描くしたたかさってのは
かまちーさんが創作者として成長したってことなんかもしれないねえ。
おそ松さん 第25と おそまつさんでした とまとめ △++
そんなことより野球しようぜ!
もともとの「おそ松」の出自が「ギャグ漫画」っちゅう
「子供向け」の出自だったのだから
「夜のおそ松」になったのなら「大人向け」に調整したとこで
何も問題は無いわけで、かつ現代の「笑い」に適合する味つけをすると
どうしてこうなった
ということになる、文句を言う作者も天の上だしな(笑)
うまいのはそういう「もうみんな覚えてへんやろ」ってのを逆手にとって
あるネガティブなアバターを6つ子や他のキャラに託したり
いろいろブラックな話題にベタベタ触れたりできたわけで
「キャラクターの抽象度」が上手い具合に作用していたかとおもう。
「完全な新キャラ」だと時間がかかるし「既存の手近な作品」だと
そのイメージがあるからいじりにくいってのがあるんで
それの隙間を狙うとこうなるのかもしれん。
しかしまあ「パロディ」から「こぼれ話」果ては「泣かせ」まで
どれもハズレの少ないことよな、これは「笑い」ができる人は
他のもしくじらないということを証明しているかのようではある
「視聴者」の心のスキをつくようなキャラ・状況を即座に作り出して
それを目の前に提示する、それはおおよそ「御粗末」な行為ではないだろう
でも「ギャグだから」でその叡知は適当におとしめられる
それはどんな高等な表現行為も所詮は「自慰行為」にすぎないといわんばかりだ。
ハルチカ~ハルタとチカは青春する~
第12話 共鳴トライアングル とまとめ △++
「エニグマ(謎)」ってのはそれが「気になる」人には
確かに「1話を持たせる」モチベーションになるわけで
それを「12回」やればとりあえず1クールは走り抜けるわけだ
そして「謎」の報酬は「仲間」っちゅうしかけ
これは「人手がそもそも足りない設定」においてはわかりのいい目的になるね
まあそんな感じでこのおはなし「とりあえず見る」分にはとてもいい、問題はその先だ
「音楽」で一定の「成果」を期待するなら「寄せ合い」が「一体」に
なるぐらいの訓練と飛躍が必要だろうけど、さすがにそこまで練度が
描けたかというと、足りなかったろうねえとおもう、だからこその「銅賞」だ
そして「一体」を信じるにはやっぱり仲間達といろいろ遊んだり喧嘩したり
そういうところが必要になるわけで、それにもう1クールかかる、といったとこ。
きほん「ハル・チカ」で問題が解決するんでその先、そう「知力」でも
解決し難い「技術」的なとこや、「親睦」的なところが
ハルチカコンビの仲の良さほどに他の人に拡張したのを披露するには
もうちょっと時間が足りなかった、というところなのよねえ
そしてこの世の結果はその「もうちょっと」で大概決まっているということが
何かに真剣に挑戦している人だけによく分かるというにがさだ。
蒼の彼方のフォーリズム 第12話 もっと…飛ぼう!! とまとめ △++
空へ・・・
もともとのゲームから「女の娘とイチャイチャする」とことか
「オトコノコの主人公」からヒロイン陣に視点を移すとか
「FSを中心に描く」とか、大胆な改変が為されていますよね
そのバッサリいってるとこがまことに的確だったかと思う
アニメーションとしては「挫折を乗り越える」こと
そして「空を美しく飛ぶこと」、それさえ達成できればあとは
みんな後からついてくるんですよね、そしてそれを信じることが難しい。
なんかみんな「原作付き」だと「忠実に再現」しなきゃならないような
先生が黒板に書いたことをノートに丸写しすればそれでいいような
教育の弊害を信じてるんですよね、そこでは教育が本来望んでいる
「人間」や「知」に関する興味関心が死んでしまっているということだ。
メインヒロイン2人が「白」と「黒」にわかれて「挫折」の側面を
うまく処理したのも分かりがよかったねえ、そんな感じで
「到達」する為の道のりが実に綺麗に整備されていたかとおもう
「学園モノ」ならもうちょっと「遊び」が欲しかったろうけど
「スポーツもの」のように目的に向かってずんずん進むものとして
当作品は実に「うまくやった」とおもう、「続きはゲームで!」という意味合いにおいても。
あ、あと最後に、作中でうどんを食うアニメは良作が多い気がするね、なんとなく
でも見てると腹が減るんだよなあw
Dimension W 第12話 辿りついた未来 とまとめ △++
「4次元」つまり「時間」と「空間」の概念を超越してるってわけで
そこでは既存の「人間主義」であることが簡単にバーストするわけだ
「肉体」も「物語」も簡単に砕け散って、ロボットや遺伝子操作の化けものや
過去と未来がいったりきたりっていう実に挑戦的な世界が広がるというしかけ。
キョーマはそういうSF的に分断された「古い人間の名残」を
ミラっちゅう「人間みたいなロボット」と一緒に「辿る」っていうのが
ハナシのスジなわけで、そしてそういう「名残が」逆説的に
活き活きと甦っていたのは視聴した人は勿論ご存知のはず。
もち論「SF」としてもしっかりしてるのよね、というか
そうでないとこのおはなしは成立しない。
きょうびの漫画とかラノベとかだと「設定」としてそういう
「常識の破壊」をいちいちこさえなければならないのだけど
「SF」ならばそれが「ああSFだからね」で済むわけで
それが実に久方ぶりに確認できたような、そんな気がする
そういう「SFだからね」という共通認識さえも最早過去のものに
なっているのが現在なんだろうなあ、というおっさんの郷愁も併せて。
ラクエンロジック 第12話 運と 論理と Luck and Logic とまとめ △+
最終話のタイトルは「or」ではなくて「and」なんすよね
「選択」ではなくて「統合」を求めている
ラスト前のオルガさんのようにある一方的な関係性の求めるのではなく
共に歩む道を選んでいるということだ。
基本、「異邦者(フォーリナー)」が相手ではなく「己」との戦いやったね
「人間同士」の戦いですらない、そのきれいな思想。
逆に言えば目的がないともいえるけどでもこの「無目的」かげんってのは
「カードゲーム」や「スマホゲー」的な設定の空気さ加減と
「ゲームプレイ」自体が目的の現代的なそれと合地しているとも言える。
そういう中で「物語」ではなくゲームシステムである「トランス」を動画として
その目的の中心にすえるのは合理的(ロジカリー)であるといえよう
また、1クールという時間はそれでコトを済ますのに適した時間でもある
とまあ全てがうまく合理的にきれいにまとまったような当作品だけど
最後にひとつ、7話の「お風呂シーン」だけが異様に質が高かった
っちゅう記憶があるw アニメで「CG処理」できる部分が増えているなかで
あそこだけはおそらく人間の手によるたまさかの奇跡(笑)