「行く春や鳥啼き魚の目に涙」
あまり知られていない句を二回続けたので今回は誰でも知っているが句の意味がイマイチ理解しづらい作品を取り上げた。
この句が読まれた状況は、芭蕉がいよいよ奥の細道の旅に出発するのを俳諧の弟子たちが見送る場面である。
この時、芭蕉は40歳だから45歳の没年から考えると最晩年に近い。
当時、未開の東北地方〈失礼〉を徒歩で旅するということは命がけであった。
そのことを芭蕉も弟子たちもよく知っているから見送りの際の惜別の感情は特別のものであった。
行く春「や」と初句切れで「や」を使ったあたりに芭蕉の詠嘆の情が見て取れる。
あとは弟子たちの様子を「鳥啼き」「魚の目に涙」と擬人化の表現で詠み下している。
旅に出発する段階で誰もが過酷な旅と死の危険を感じている。
あらためて当時の旅の困難さを思い知らされる。
ゆく先々の逗留場所が決まっている場合はいいが弟子のいない地方では歌仙も巻けないから路銀も不足する。
寺の堂宇に巡り合えればいいが、人家の軒先や野宿も覚悟しなければならない。
最晩年の旅は予想以上に体に堪えたであろう。
前にも触れたが、連句から発句が独立していく過程と旅の過酷さは表裏一体なのではないか。
芭蕉が奥の細道の旅で体現したからこそ、日本の短詩文学が現在に続いている。
芭蕉の功績はいくら褒めてもほめたりない。
この「蛤塚」に刻まれた「蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ」の句は、芭蕉が江戸を出発した際の「行く春や 鳥なき魚の 目は泪」と対をなしているということでした。
このバス旅行は、スタートからゴールの岐阜まで、2年半もかかったので、この千住の句は、すっかり忘れてしまっていました・・・(-_-;)
>すっかり忘れて... への返信
「蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ」の句は、芭蕉が江戸を出発した際の「行く春や 鳥なき魚の 目は泪」と対をなしている.
なるほど、いつも教えていただきありがとうございます。
バス旅、2年半もかかったんでしたっけ。
貴重な経験でしたね。
歴史の先生は「奥の細道」のガイドとして有名なんでしょうね。