どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

<おれ>という獣への鎮魂歌 (50)

2006-08-04 05:43:12 | 連載小説

 いくつになっても、男は駄目なものだ。
 おれの脚はまだ健在なのに、おれの頭は思考の瓦礫でいっぱいになっていた。おれは、賄いの主婦に気兼ねしながら、宿のおそい朝食をとった。
 同宿の者たちは、疾うに出発したらしい。ここから、オートバイや自家用車で木ノ浦海岸や伝統の揚げ浜塩田を回っていくのだろう。
 平時忠一族の墓を詣でる者もいるかもしれない。せっかく奥能登に来たからには、あれもこれも観て帰らねば、損をしてしまう。
 普段のおれなら、若者たちに対抗して、早起きしていたはずだ。だが、この日は、老夫婦にまで後れを取って、冷えかけた味噌汁を啜っていた。
 自由な足を持たないおれは、鉢ヶ崎から路線バスに乗って、昨日降り立った蛸島駅まで引き返した。そこからは、国鉄能登線が一日数便の運行を行っている。眠りながら回復するには、願ってもない路線だと思った。
 穴水行きの電車は、予想に反して混んでいた。
 長い間、奥能登の住民が待ち望んだ鉄道が開通したのは、もう十年も前のことだという。以来、金沢方面から列車を乗り継いで、終点珠洲の蛸島に至り、この地を基点に奥の奥まで観光客が訪れるようになった。
 ローカル線の車両を、つい軽んじてしまうものだが、夏の間は、この線路上を乗客の期待と夢を乗せて、ガタンゴトンと行き交っていたのだ。
 観光客の利便はもとより、それ以上に、奥能登住民の鉄道への渇望はすさまじかった。海の交通手段を除けば、生涯この辺鄙な土地に閉じ込められてきた民にとって、鉄道の開通は、新鮮な風の流入をうながす夢の乗り物だったのだ。
 夏だけでなく、観光シーズンが終わる晩秋から翌春にかけては、背負籠に海産物を満載した担ぎ屋のおばさんや、出稼ぎで往来する老若男女で、床まで溢れ返ることがあるという。
 国鉄能登線の車両が、鼻息荒く風を切り、雪を撥ね退けて前進する光景が目に浮かんだ。
 こうして、奥能登の物産と文化が、珍しいもの、味わい深いものとして、鉄路の上を逆流していった。来るとき津幡で嗅いだ魚の匂いも、あるいは物売りが運んだ海産物の一つだったかもしれない。
 おれは、眠りをむさぼることを諦め、きょう一日の行動を、あらためて自分に問いかけた。恋路の宿に入る前に、おれの幼児期が存在したはずの不確かな場所を、一目なりとも視ておきたい思いが湧いてきた。
 姫にあった生家は、主を失ってのち、人手に渡っていた。血塗られた家屋敷は、二束三文で引き取られたという。父が守るはずだった先祖の墓は、おれが尋ねた寺で無縁仏になっていた。
 一箇所に寄せ集められて苔むした墓石を見ていると、営々と血をつないできた一族の無念が伝わってきた。
(とんだことを仕出かしたものだ)
 おれは、惨劇の発端となった母の不始末を弾劾した。
 同時に、幼児のような父の性格に嫌悪を覚えた。
 だが、もっとも憎むべきは、ニイチャンだった。母と父を殺めた直接の犯人ということもあったが、おれの首に手を回して腐り豆の糸を吐き出した行為が、一番許せなかった。
「おまえ、乳も出ないおっぱいに、なんで触るんや?」
 敵意を感じているような、ぬめった目つきが許せなかった。
 おれは、先祖の墓を前に、断絶された血への償いを模索した。母と父の迂闊さには、すでに罰が下されている。残るは、ニイチャンだけである。
 ニイチャンは、いま、どこにいるのだろう?
 初めて浮かんだ疑問だった。
 少年院送りになったのだろうか。それとも、裁判を受けさせられたのだろうか。どちらにしても、もうシャバに戻っているはずだ。
 刑期を終えて、世間は更生を認めたかもしれないが、おれが下す罰はまだ未決のままだった。
 急遽、柳田村への道をたどろうと決意したのは、先祖の唆しがあったからかもしれない。耳元ですすり泣く霊の声が聞こえ、あいつを殺せと、朽ちた塔婆の先端をその方向に傾けていた。
 花器の溜まり水に湧いたボウフラが、あちらこちらで羽化する季節だった。忍び泣く声にも似た藪蚊の襲来があり、浮き足立ったおれは、あわてて重い腰を上げた。
 おれは、食われた腕を掻きながら、いつしか、宇出津駅発のバスの座席で揺られていた。
 柳田村は、能登で唯一、海に接することのない地区である。
 海を持たない代わりに、周囲から隔絶した習俗と信仰を持った。他の地域が、多かれ少なかれ、海路でもたらされる堺、出雲、酒田、松前辺りの文化に影響されていたのに対し、ここの村は自然の要塞にも守られて、独自の伝統を残してきた。
 バスを降りて、おれは、うっすらと記憶にあるニイチャンの家をめざした。
 大きな柿の木の根元に、その家はあった。遠くから様子を窺っていると、年老いた夫婦が庭先に出てきて、何やら豆のようなものを干し始めた。
 他に、人の気配はなかった。はじめから、この村にニイチャンが戻れるはずはないと考えていたが、痩せた茅葺き屋根の様子から、この家の住人が身を潜めて、ようよう生きてきた気配が感じ取れた。
 おれは、観光客を装って、白山神社の方向へ足を踏み出した。
 そのとき、男の方が微かに顔を動かし、頬被りの手拭の陰からおれを見たような気がした。密かに観察していたつもりが、逆に見張られていたようだ。
 おそらく、村人から孤立しているだろう生き方が、油断のないしぐさに現れていた。
 昔ほどの結束があったなら、半鐘の一つも叩かれかねない状況だった。おれは、慌てそうになる気持ちを腹腔に収め、あくまでも白山神社をめざす旅人の顔を作って、ゆっくりと歩を進めた。
 あと一ヶ月半もすれば、再びこの地の祭りが廻ってくる。屈強の村人たちが、十数メートルの大キリコを担いで、七つの集落から柳田白山神社に集まってくる。肩が潰れるほどのやぐらに歯を食いしばって、祭神を迎えにくるのだ。
 おれは、記憶に残る大ケヤキを探した。
 幼い日のおどろきのままに、白山神社のご神木は枝を伸ばしていた。伝説の地の濃密な空気を吸って、青々と葉を繁らせていた。
 おれは、懐かしさの混じる感情で、この産土神に参拝した。
 東京巣鴨の白山神社で、ミナコさんとの縁結びを祈ったことが、遠い出来事のように想いだされる。
 ミナコさんのいないマンションを見張って、変質者のように息をひそめていた冬の夜の寒さが、急に甦ってきた。現在、同居するところまで漕ぎつけて、なお一体になれないもどかしさに苦しんでいる。
(あんな白鬚じじいに、ミナコさんを渡さないぞ)
 口にすれば、またもミナコさんに笑われるだろうが、四柱推命の権威ある本だと評判の著者の写真が、いま、おれの気がかりになっていた。
「なにを言ってるのよ、七十歳過ぎの老人よ・・」
 そういわれても、おれの心中は収まらない。東京を遠く離れてしまったことさえ後悔されて、おれが軽蔑した父親同様の理不尽な嫉妬に、こころが波立ち始めていた。
 落ち着きのない波動を残してしまった。
 おれは、思いなおして一礼をした。帰りがけに、もう一度大ケヤキを仰ぎ見た。人も獣も、等しく慰撫してくれるこの世の傘だった。
 月夜の晩に、狸の親子がとことこと出てきて、仲良く会話を交わしたりするのかもしれないなと、想像した。
「おかあさん、あそこに坐っている怖い顔のどうぶつは、なに?」
「あれは、狛犬っていう神様のお使いらしいよ。あたしたちと同じ獣の仲間なのに、ここの神様は、人間より信用しているんだって」
「へえ、だったら、ぼくたちも、いつか神様から声を掛けられるかもしれないね」
「そうだよ。だから、おかあさんの言うことをちゃんと聞いて、いい子にしてるのよ」
 おかしな想いが、おれの周りに漂っていた。
 この村にいると、昔話が自然に湧いてくるのかもしれなかった。
(ニイチャン、会えなくてよかったよ)
 おれは、頭の中だけで、制裁した。
 頭の中だけでも、殺すことはできなかった。
 何本もない路線バスを待って、宇出津駅に戻った。そこから恋路までは、鉄道で数駅だった。穴水方面から乗り継いできた客で、車内はごった返していた。みんな祭りを待ちかねて、体のなかから弾んでいた。
 途中、松波駅から乗車する客がどっと乗りこんできた。
 おそらく、恋路駅の記念切符を買ってきたのだろう。恋路はシーズンだけの臨時停車駅のはずだから、ロマンティックな恋路発の乗車券は、代発行する松波駅でしか手に入れることができないのだ。
 昼は神事、火祭りはまだ先だ。能登の祭りは、始まりが遅い。
「いまから、入れ込んでると、夜中まで持ちませんよ」
 はしゃぎすぎる若い娘たちに、ひとこと声をかけてやりたいような心境に戻っていた。

   (続く)


 


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