須須神社への道は、海岸沿いの道路に降り立って、すぐに分かった。西に向かって森を望むと、神域を示す鳥居の先から、一筋の参道が人をいざなうように奥の暗がりへと伸びていた。
ここは、穏やかな内浦が尽きて、ほどなく外浦に回り込もうかという場所に位置している。海は波光を集めて砕け、燃え立っていた。あたかも俗世からの侵入を阻止して、目くらましを仕掛けているかのようだった。
それにしても、視線を転じた先の、この森の暗さはどうだ。
おれは、同じバスから降り立った観光客を尻目に、ひとり参道をずんずんと進んでいった。
重なるように繁った、樹齢数百年の木々たち。
それらの樹木と同化するように年古りた二つ目の鳥居が、訪れる者にさらなる覚悟を問いかける。
(ここから先は、おろそかな心を持っての立ち入りは許しませんよ)
おれは、ふと立ち止まり、自分の胸の内を覗いてみるが、いまだ目的も見えず混沌としたままだ。何をしたいのか、何を望むのか、光明らしきものはまったく立ち現れてこなかった。
試されて、立ち尽くす謙虚さがないのは、おれだけではなかったかもしれない。おそらく、ここを訪れる多くの人びとも同様だったろう。だが、そんな言い訳は意味がない。いま問われているのは、おれの心なのだ。
曖昧な心を抱いたまま、社殿に続く石段を目前にしていた。おれは、背後に迫る人の気配を気にして、先を急いだ。
登りきったところに、最初の拝殿があった。
境内に掲げられた縁起には、ここに高座宮と称する男神を祀り、すぐ近くの姫神である金分宮ともども須須神社と呼ぶ、その謂われが記されてあった。
ほかにも、奥州に落ち延びる際の義経伝説にまつわる品が奉納されているらしかったが、先を急ぐおれは素通りし、姫神の方に立ち寄って、そそくさと神域を後にした。
(コノハナサクヤヒメノミコトと言ったっけ)
「寄らずに行ったら、不機嫌になるだろうな・・」
軽口を叩いてみるが、自分の軽薄さが分かるだけで、少しも心が弾まない。ぼんやりと頭の中にあった真摯なものが、つかの間かき消された。
この日のうちに、禄剛埼も訪れた。観光といえばそのとおりなのだが、珠洲という奥能登の風土が産み出す情念を知りたいとの希求もあったのだ。
外海に接し、半島の最北端に位置するこの岬は、きょうのところは穏やかな表情を見せてくれた。だが、しばしば激しく荒れ狂う海の直情にも支配されている。
おれは、ふわふわと脳裡にただよう霧状の想念を振り払い、おれの母親であった女の素顔に、やっと向き合おうとしていた。
珠洲郡内浦町松波。そこが、母の出身地と聞いた。
一方、父の生地は鳳至郡能都町姫という地区で、おれの生誕地は、すなわち長男として跡を継いだ父と同じ住所で届けられていた。
父と母が知り合ったきっかけは、能登に数多いキリコ祭りのどれかだった。
おれが六歳の時に、二人そろってこの世から消えたわけだから、父の生地のドヤサまつりなのか、松波人形キリコ祭りなのか、あるいは観光客に評判の恋路火祭りだったのか、いまとなっては確かめるすべはなかった。
月遅れの七夕には、珠洲の見付海岸を舞台に、宝立七夕キリコ祭りも盛大に行われる。一度、灯明・火炎の魅力に取り付かれた若者なら、多少の距離はものともせず、仲間と集って繰り出したに違いない。
他にも、おれに因縁の柳田大祭など、数えたてればきりがなかった。
ともあれ、これらの祭りのどれかで、父と母は出会った。
叔父から無理やり聞き出したところでは、母はきりりと締まった瓜実顔の美人だったらしい。
「目は一重だが、なんともいえぬ罪作りな口元をしとってなあ・・」
父は一目で惚れて、何度も何度も母の許に通ったらしい。
誠意が通じたのか、翌年、母は父のところに嫁入りしてきた。おれが生まれ、夫婦の仲はますます睦まじげに見えた。
ところが、嫁ひとすじの父が、何かにつけて母を拘束するようになった。過度の占有欲から発する嫉妬の症状だった。
同窓会の集まりや、婦人会の会合にまで疑いの言葉を漏らすようになり、姑までが加勢して外出を押しとどめようとしたらしい。
勝気な母は、優位な立場を利用して、さまざまな抵抗を企てたという。おれを連れて実家に帰り、当分婚家には戻らないと駄々を捏ねたりした。
また、柳田村から漁師見習いに来ている成人前の少年に付き添わせて、近くの真脇温泉に湯治に出かけたりもしたようだ。父は、監視役のつもりで母に同行させたのだが、母の立場に同情していた少年は、母のいたずら心に乗せられて、たちまち過ちを犯すことになった。
母がどんな心境で少年を誘惑したのか、誰にも分からない。一度だけの過ちだったのか、その点も判然としていない。
ただ、焼酎に酔った叔父を誘導して話を引き出しながら、おれは、ふと思い出したことがあった。それは、おれがニイチャンと呼ぶ少年の実家に招かれて行ったとき、いきなりおれの首に手を回して囁いた、少年の粘りつくようなことばだった。
「おまえ、いまでも乳吸うとるのかや・・」
少年のぎらつく目が、おれを脅しつけているふうに見えた。
「・・・」
答えられなかったのは、どんな理由からだったろう。もうすぐ小学生になろうとする身で、いまだに母の乳房に触れながら眠りに就くおれの、よからぬ癖を指摘されたような、怯えに近い狼狽だったろうか。
「おまえは、いいよなあ。でっかいおっぱい、独り占めだもんな」
そんな意味のことを言われたような気がする。幼い者を、揶揄し、いたぶる調子とは、どこか違っていた。明確に他者に向けられた呆気なさと異なり、ニイチャン自身につながる腐り豆の糸にも似た粘り気を感じさせられたのだ。
柳田大祭は、毎年九月の半ばに繰り広げられる白山神社の例祭だ。澄み切った星空の下、民話の宝庫として都会から採話に訪れる研究者も少なくないと聞いていたが、おおかたは、この大祭が目当てだったろう。
七つの集落から、人に担がれた七基の大キリコが白山神社を目差す。五基の神輿に乗り移った五つの神が、大キリコと交互に並んで、要所要所に設けられた旅所『ばんば』を廻る。神々が到着すると高さ五メートルもの大松明に火が放たれ、宮司と総代による神事が営まれる間、いっそう火勢を増してパチパチと火の粉を撒き散らす。
こども心に焼き付いた、火と人間の秘められたエネルギー。不気味で目を逸らしたくなる怖さの一方、臍の下から沸き立つ蕩けるような妖しさの兆し。神々の息付きを間近に、おれは、目を見開いたまま何も見ず、ニイチャンの腕がおれの首を絞めないかと恐れている。
こんな夜には、何が起こっても不思議はない。
男もおんなも、みんな狂いたがっているのだ。
おれが、反射的に首をすくめたとき、打ち上げ花火がドンと夜空に弾けた。神代に続く伝承が、こうして柳田の里に降り立つのだ。
おれは、家に戻ってから父に何を報告したのだろう。
根掘り葉掘り問いかける父の疑心に、どこかで触れてしまったのかもしれない。「なまくらな、とうとと、かあかが、おったがやと・・」
おれの頭の中に、どこで聞いたのか、引きずるようなお婆の声がひびいていた。やさしげでいながら、山から黒い風を連れてくる油断のならない声音だった。
「・・かあかのおっぱいは、満月よりも大きゅうて、星も雲もうらやむほどだと噂されておったげな」
おれの記憶は、そこで飛んでいる。昔話のくだりも、失われた記憶の代わりに、何者かが羽毛の一片として置いていったのかもしれない。
叔父の話によれば、ふしだらを嗅ぎつけた父が、母と漁師見習いの少年を呼びつけて、激しく叱ったのだという。
ただ叱責しただけなのか、屈辱的なことばで難癖でも付けたのか、あるいは暴力行為に及んだのか。ともあれ激高した父の剣幕に怯えた少年が、台所に走って出刃包丁を手にし、父を刺し、続いて母の胸元に切っ先を埋め込んだ。
それは、惨憺たる結末だったが、その場の構図からは、なるべくしてなった勢いとでも言うほかないものだったと、地元の警察でも見解が一致していたらしい。
おれは、そこまでたどって疲れ果てた。
おれの見解も、警察の見方と一致するのだろうか。
いままで封印してきたものが多すぎた。一晩眠れば、また繋がることも出てくるだろう。
明日は、恋路の民宿に泊まる。押し寄せる観光客と一緒になって、火祭りを楽しめるかもしれない。能登に生まれ、能登に住んで翻弄されたおれの生が、目の前で焔のごとく舞うかもしれないと期待した。
(続く)
ここは、穏やかな内浦が尽きて、ほどなく外浦に回り込もうかという場所に位置している。海は波光を集めて砕け、燃え立っていた。あたかも俗世からの侵入を阻止して、目くらましを仕掛けているかのようだった。
それにしても、視線を転じた先の、この森の暗さはどうだ。
おれは、同じバスから降り立った観光客を尻目に、ひとり参道をずんずんと進んでいった。
重なるように繁った、樹齢数百年の木々たち。
それらの樹木と同化するように年古りた二つ目の鳥居が、訪れる者にさらなる覚悟を問いかける。
(ここから先は、おろそかな心を持っての立ち入りは許しませんよ)
おれは、ふと立ち止まり、自分の胸の内を覗いてみるが、いまだ目的も見えず混沌としたままだ。何をしたいのか、何を望むのか、光明らしきものはまったく立ち現れてこなかった。
試されて、立ち尽くす謙虚さがないのは、おれだけではなかったかもしれない。おそらく、ここを訪れる多くの人びとも同様だったろう。だが、そんな言い訳は意味がない。いま問われているのは、おれの心なのだ。
曖昧な心を抱いたまま、社殿に続く石段を目前にしていた。おれは、背後に迫る人の気配を気にして、先を急いだ。
登りきったところに、最初の拝殿があった。
境内に掲げられた縁起には、ここに高座宮と称する男神を祀り、すぐ近くの姫神である金分宮ともども須須神社と呼ぶ、その謂われが記されてあった。
ほかにも、奥州に落ち延びる際の義経伝説にまつわる品が奉納されているらしかったが、先を急ぐおれは素通りし、姫神の方に立ち寄って、そそくさと神域を後にした。
(コノハナサクヤヒメノミコトと言ったっけ)
「寄らずに行ったら、不機嫌になるだろうな・・」
軽口を叩いてみるが、自分の軽薄さが分かるだけで、少しも心が弾まない。ぼんやりと頭の中にあった真摯なものが、つかの間かき消された。
この日のうちに、禄剛埼も訪れた。観光といえばそのとおりなのだが、珠洲という奥能登の風土が産み出す情念を知りたいとの希求もあったのだ。
外海に接し、半島の最北端に位置するこの岬は、きょうのところは穏やかな表情を見せてくれた。だが、しばしば激しく荒れ狂う海の直情にも支配されている。
おれは、ふわふわと脳裡にただよう霧状の想念を振り払い、おれの母親であった女の素顔に、やっと向き合おうとしていた。
珠洲郡内浦町松波。そこが、母の出身地と聞いた。
一方、父の生地は鳳至郡能都町姫という地区で、おれの生誕地は、すなわち長男として跡を継いだ父と同じ住所で届けられていた。
父と母が知り合ったきっかけは、能登に数多いキリコ祭りのどれかだった。
おれが六歳の時に、二人そろってこの世から消えたわけだから、父の生地のドヤサまつりなのか、松波人形キリコ祭りなのか、あるいは観光客に評判の恋路火祭りだったのか、いまとなっては確かめるすべはなかった。
月遅れの七夕には、珠洲の見付海岸を舞台に、宝立七夕キリコ祭りも盛大に行われる。一度、灯明・火炎の魅力に取り付かれた若者なら、多少の距離はものともせず、仲間と集って繰り出したに違いない。
他にも、おれに因縁の柳田大祭など、数えたてればきりがなかった。
ともあれ、これらの祭りのどれかで、父と母は出会った。
叔父から無理やり聞き出したところでは、母はきりりと締まった瓜実顔の美人だったらしい。
「目は一重だが、なんともいえぬ罪作りな口元をしとってなあ・・」
父は一目で惚れて、何度も何度も母の許に通ったらしい。
誠意が通じたのか、翌年、母は父のところに嫁入りしてきた。おれが生まれ、夫婦の仲はますます睦まじげに見えた。
ところが、嫁ひとすじの父が、何かにつけて母を拘束するようになった。過度の占有欲から発する嫉妬の症状だった。
同窓会の集まりや、婦人会の会合にまで疑いの言葉を漏らすようになり、姑までが加勢して外出を押しとどめようとしたらしい。
勝気な母は、優位な立場を利用して、さまざまな抵抗を企てたという。おれを連れて実家に帰り、当分婚家には戻らないと駄々を捏ねたりした。
また、柳田村から漁師見習いに来ている成人前の少年に付き添わせて、近くの真脇温泉に湯治に出かけたりもしたようだ。父は、監視役のつもりで母に同行させたのだが、母の立場に同情していた少年は、母のいたずら心に乗せられて、たちまち過ちを犯すことになった。
母がどんな心境で少年を誘惑したのか、誰にも分からない。一度だけの過ちだったのか、その点も判然としていない。
ただ、焼酎に酔った叔父を誘導して話を引き出しながら、おれは、ふと思い出したことがあった。それは、おれがニイチャンと呼ぶ少年の実家に招かれて行ったとき、いきなりおれの首に手を回して囁いた、少年の粘りつくようなことばだった。
「おまえ、いまでも乳吸うとるのかや・・」
少年のぎらつく目が、おれを脅しつけているふうに見えた。
「・・・」
答えられなかったのは、どんな理由からだったろう。もうすぐ小学生になろうとする身で、いまだに母の乳房に触れながら眠りに就くおれの、よからぬ癖を指摘されたような、怯えに近い狼狽だったろうか。
「おまえは、いいよなあ。でっかいおっぱい、独り占めだもんな」
そんな意味のことを言われたような気がする。幼い者を、揶揄し、いたぶる調子とは、どこか違っていた。明確に他者に向けられた呆気なさと異なり、ニイチャン自身につながる腐り豆の糸にも似た粘り気を感じさせられたのだ。
柳田大祭は、毎年九月の半ばに繰り広げられる白山神社の例祭だ。澄み切った星空の下、民話の宝庫として都会から採話に訪れる研究者も少なくないと聞いていたが、おおかたは、この大祭が目当てだったろう。
七つの集落から、人に担がれた七基の大キリコが白山神社を目差す。五基の神輿に乗り移った五つの神が、大キリコと交互に並んで、要所要所に設けられた旅所『ばんば』を廻る。神々が到着すると高さ五メートルもの大松明に火が放たれ、宮司と総代による神事が営まれる間、いっそう火勢を増してパチパチと火の粉を撒き散らす。
こども心に焼き付いた、火と人間の秘められたエネルギー。不気味で目を逸らしたくなる怖さの一方、臍の下から沸き立つ蕩けるような妖しさの兆し。神々の息付きを間近に、おれは、目を見開いたまま何も見ず、ニイチャンの腕がおれの首を絞めないかと恐れている。
こんな夜には、何が起こっても不思議はない。
男もおんなも、みんな狂いたがっているのだ。
おれが、反射的に首をすくめたとき、打ち上げ花火がドンと夜空に弾けた。神代に続く伝承が、こうして柳田の里に降り立つのだ。
おれは、家に戻ってから父に何を報告したのだろう。
根掘り葉掘り問いかける父の疑心に、どこかで触れてしまったのかもしれない。「なまくらな、とうとと、かあかが、おったがやと・・」
おれの頭の中に、どこで聞いたのか、引きずるようなお婆の声がひびいていた。やさしげでいながら、山から黒い風を連れてくる油断のならない声音だった。
「・・かあかのおっぱいは、満月よりも大きゅうて、星も雲もうらやむほどだと噂されておったげな」
おれの記憶は、そこで飛んでいる。昔話のくだりも、失われた記憶の代わりに、何者かが羽毛の一片として置いていったのかもしれない。
叔父の話によれば、ふしだらを嗅ぎつけた父が、母と漁師見習いの少年を呼びつけて、激しく叱ったのだという。
ただ叱責しただけなのか、屈辱的なことばで難癖でも付けたのか、あるいは暴力行為に及んだのか。ともあれ激高した父の剣幕に怯えた少年が、台所に走って出刃包丁を手にし、父を刺し、続いて母の胸元に切っ先を埋め込んだ。
それは、惨憺たる結末だったが、その場の構図からは、なるべくしてなった勢いとでも言うほかないものだったと、地元の警察でも見解が一致していたらしい。
おれは、そこまでたどって疲れ果てた。
おれの見解も、警察の見方と一致するのだろうか。
いままで封印してきたものが多すぎた。一晩眠れば、また繋がることも出てくるだろう。
明日は、恋路の民宿に泊まる。押し寄せる観光客と一緒になって、火祭りを楽しめるかもしれない。能登に生まれ、能登に住んで翻弄されたおれの生が、目の前で焔のごとく舞うかもしれないと期待した。
(続く)
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