どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

テスト・コースの青春(2)

2009-03-13 00:03:59 | 連載小説



 冬のうちに、大地を削る作業ははかどっていった。
 全長5・5キロメートルの周回走路を持つ楕円形のコースが、しだいにその姿をあらわにし始めていた。
 もともと松林や雑木まじりの自然林が広がる丘陵地を、削ったり均したりしながら重機が平準にあわせていく。
 その中を、先行する少人数の測量チームが黙々と動き回っている。雄太は、その中の一人で同世代の佐藤に好奇心を抱いていた。
 彼はいつも、スタッフと呼ばれる目盛りの付いた伸縮自在の計測棒を持って荒地に溶け込んでいた。地形によっては、かくれんぼするように見えなくなったり頭を出したりした。
 声が聴こえないので、余計に彼の動きが気になった。レベルを覗きながら手で合図する先輩の指示に従って、物見高い野兎のように草陰に見え隠れしていた。
「けっこう風がきつかったですね。お湯が沸いてますよ」
 川端設計の三人が昼飯のために戻ってきたとき、雄太は佐藤に声を掛けた。同じ仮事務所の一隅に席を置くので、休憩時に顔を合わせることが多いのだ。
「手がかじかんだもんね。この部屋ぬくいっすよ」
 防寒着を脱ぎ、カーキ色の作業衣姿で薪ストーブに手をかざす。
 さらに他の出向社員が二人、三人と集まってくると、いつの間にか佐藤の口数が少なくなった。
 測量補助員としてまだ駆け出しの身だからだろうか、周りの様子を見ながら行動するようなところがある。
 施工会社の社員と談笑する先輩たちの話を聴きながら、弁当をひろげるタイミングにあわせてお茶の準備をはじめていた。
 雄太は佐藤の気遣いに感心しながらも、男がそこまでやるのかと、歯がゆさに似た困惑を感じていた。
 湯沸かし器と簡単な洗い場が設えられた台所を何度も行ったり来たりしながら、それぞれの湯飲みに緑茶を注いで運ぶ姿は、お茶汲みの女の子となんら変わりなかった。
 雄太だったら、お茶ぐらい自分で淹れろよと反発したかもしれない。
 田代と赤羽に限らず、関わりのある職員に頼まれればクルマに乗せることはある。しかし、仕事の分担は明確にされていて、ここまでと割り切ることでプライドを保っていた。
 その点、佐藤は卑屈すぎるのではないかと雄太は気をもむのだ。
 測量士という国家資格を持った者と持たない者との格差なのだろうと察してはいたが、先輩の一挙手一投足に敏感になりすぎる気がした。
(いまどき徒弟制度じゃあるまいし・・・・)
 佐藤の吹っ切れない顔色を見ながら、我がことのように不満を募らせた。
「佐藤、午後からレベルを覗いてみるか」
 チームの中心で、他の二人にあれこれ指図をしていた先輩格の男が、お茶を運び終わった佐藤を振りかえった。
「あ、はい」
 恐れていることを強制されたような戸惑いが、佐藤の顔面に走った。ほんとうは期待していたのに、いざその場に直面すると慌ててしまうといった感じだった。
(おまえ、測量士を志した以上、いつまでもスタッフ持ちに甘んじて居ようとは思っていないだろう)
 大喜びしてよいチャンスを貰ったのだから、躊躇しているんじゃないよと佐藤をどやしつけてやりたかった。
 畳敷きの休憩室で、受験のための参考書を広げている佐藤に測量のいろはを訊いたことがある。
 平板測量とか、水準測量とか、必要に応じてさまざまの計測を繰り返すのだという。いくつかの機具について説明を受けたが、そのときは理解したつもりでも時間が経つとごっちゃになった。
 佐藤はもともと図形や数式に強いのだろうと解釈したが、何より実践が一番の勉強のはずだった。
 仕事には厳しい反面、時間を割いて後輩にチャンスを与えようとするリーダーの男に、雄太は頼もしさを感じた。
「佐藤さんは恵まれてますよ。試験に受かれば、測量士になれるんでしょう?」
 ストーブの周りから人が離れたとき、雄太は肩をぶつけるように近づいて横顔を見た。
「まあ、測量士補とか・・・・」
 佐藤は曖昧に笑みを浮かべた。現在の自信のなさと、将来への楽観がない交ぜになった、一筋縄ではいかない反応に思われた。
 発展性のない自分のポジションに比べ、上を目差す佐藤の立場がうらやましかった。だからこそ、優柔不断な印象に雄太の心は波立つのだ。
(この男、どうしてくれよう)
 どこまでも気になる存在だった。

 二月の短日が暮れようとする頃、赤羽が雄太に土浦行きを頼んできた。
 赤羽はこの日に限らず、仕事にかこつけてよく雄太に同道を求めた。
 クリーニングしたての作業衣に、編み上げの半長靴がよく似合っていた。図面の束を小脇に抱え、伸び上がるように歩く赤羽に憧れていたから、雄太もまた声を掛けられると嬉しいのだ。
 赤羽が夕方から出かけるときは、決まって亀城公園近くの青図屋に立寄って、お役ごめんとなることが多い。
「帰りに飯でも食っていってよ」と、チップに類する金を雄太に渡す。
 雄太を帰した後は、おそらくシャレードのホステスの許へに向かうのだろうと勘付いていたが、面と向かって尋ねることはしなかった。
 一方、田代の方はあまりシャレードに執心する様子はなかった。
 誰の紹介か、開発地に近い農家に賄いつきで世話になっていて、赤羽よりは地に足の着いた生活を送っていた。
 さすがに責任ある立場の所長だと、田代の日常に感心していたのだが、春の彼岸が過ぎた頃、佐藤の口から思わぬ情報を聴くことになった。
「田代所長のこと知ってます?」
 二人だけになった瞬間、耳元でささやかれたのだ。
 佐藤の話では、世話になっている宿泊先の後家さんとデキテイルらしいと、専らの噂らしい。夫婦気取りで晩酌している場面を近所の主婦に見られたらしい。
 ニヤッと笑って雄太を見るのは、彼がときどき田代の運転手をしているのを知っているからだろう。
 日頃の佐藤には似つかわしくない態度に、雄太も思わず身を乗り出した。
「夫婦気取りって、例えばどんなことよ?」
「そんなこと、ぼくに分かるわけないっすよ。・・・・洞口さんなら知ってるかと思って」
 どこか鎌をかけられているような気もした。
 雄太もまた血気盛んな若者だから、艶っぽい話には並々ならぬ興味を持った。佐藤に田代の噂を聞いてからというもの、近所の主婦はいったい何を見たのだろうと気になって仕方がなかった。
 数日後、うまいタイミングで赤羽を送っていく機会があった。雄太は運転しながら、上機嫌の赤羽にそれとなく水を向けてみた。
「最近、所長はこっち方面に行きませんね」
「ああ、たしかに・・・・。工事関係の人数が増えてきたから、外に出る暇がなくなったんだろう」
「田代さんは、単身赴任が長いんでしょう?」
「長いよ。ここだけじゃないからね」
 谷田部に来る前は、岐阜の工事現場にいたというから、妻子のいる神戸には年に数回帰るだけらしい。
「行く先々で、今回みたいに地元の家の世話になるんですか」
「そうだね、われわれみたいに寮暮らしってわけにはいかないからな」
「そうですか。みんな大変なんですね」
 畳み掛けて訊きたかったが、一呼吸入れた。いつかシャレードに同行したとき、ツマミに出された蓮根の酢漬けが旨かったと話題を変えた。
「そういえば、エッちゃんが君の事を気にしてたぞ」
「え?」
「いつか来た運転手さん、もう来ないんですかって・・・・」
 思わぬ展開にどぎまぎした。
 エッちゃんというのは、田代と赤羽がホステス相手に盛り上がる横で、ウーロン茶を飲みながらぼそぼそと近況を語り合ったホステス見習いの女のことだった。
 北浦に近い玉造町から出てきたという女性で、美人とはいえないがそれなりの女らしさを匂わせていた。
 雄太の見るところ、磨かれないまま三十路を目前にしてしまった素朴さが眉や襟足に滲み出ていて、いかにも地方都市といった郷愁を感じさせる雰囲気を持っていた。
(あのとき、何を話したんだっけ?)
 とっさに記憶を手繰ってみた。
「花見に行こうって誘われたと喜んでいたよ」
 雄太の疑問に答えるように、赤羽がエッちゃんの言葉を再現した。
 たしかに話の中で土浦の名所を尋ねたことがある。そのとき女の見せた反応が、不思議な感覚を呼び覚ました。
 桜の季節には桜川堤、夏の終わりには桜川堤の全国花火大会が凄いのだと、女は思いをこめて強調した。
 他にも案内すべき場所はありそうなものだと、多少オツムの具合を疑ったり、あちこち出歩く機会がなかったのかと哀れに思った記憶が蘇った。
 名所として桜川堤を紹介されたとき、約束ともいえない約束をした憶えはあった。雄太としては履行不要の戯れのつもりだっただけに、赤羽の介した言葉がいつまでも気になった。
 まさか、本気にしていたわけではあるまい?
 騙したつもりはないが、結果的に約束を破ることになるではないか。雄太の動揺は土浦に着いても収まらなかった。
 田代にまつわる噂を赤羽に確かめようとしていたのに、当初の思惑はすっかり吹っ飛んでしまった。

 東京の神山から、二日後に霞ヶ浦湖畔のホテルで柳田と田代と赤羽を招待する打ち合わせ会を持つと連絡してきた。
 当日昼頃やってきた神山は、雄太の運転するランドクルーザーの助手席に乗り込んで、ロードローラーが往ったり来たりしながら路面を踏み固める走行部分を丁寧に見て回った。
 直線部分と、急勾配の角度を持つ四つのコーナーが、一ヶ月もすれば繋がろうとしていた。まだ時期は未定だが、その瞬間が近づいていると思わせる予感に満ちた作業工程に入っていた。
 バンクの完成にはまだ間があることを承知していても、地ならしされたコースが新生血管のように地を這い、延び切った部分で結合しようとする息詰まるような意思を感じた。
 予定では、梅雨入り前に直線部分を舗装してしまうつもりらしかった。
 雨降って地固まるとの格言もあるが、概ねしっかりした地盤の現場だったから、巨大なロードローラーで何度も何度も踏み固めれば、自然沈下を待たなくとも何の問題もないとの見方を神山が口にした。
 急ピッチの作業が続く中で、神山はクルマを降り、取り出した双眼鏡で四隅の壁をぐるりと見回した。
「このカーブが正念場だな」
「難しいんですか」
「当たり前だ。日本じゃ誰も造った事のない大それたバンクなんだ。猛スピードの自動車が外に飛び出さないように、傾斜角度の狂いは許されないんだよ」
 中央部分に取り残された荒野には、いつごろ手がつけられるのだろうか。
 コースの周囲にめぐらされる外構工事でも、相変わらず局所的な伐採と植栽作業が続いていた。
 造園業者や資材搬入のトラックの出入りが目立つようになり、雨水構に関係するのか地元ヒューム管工場の名の入った長大な製品が、トレーラーによって運び込まれてきた。
 テスト・コースに不可欠のピットや観測施設、運営組織が使用する管理棟、その他いくつもの付帯設備がコースの内外に作られるはずだった。
 完成図のポスターなどは早々と公表されている。
 メディアへのアピールが目的だったのか、地元対策の意味もあったのか、秘密めいたコースの役割に反して尻ぬけに見えるほどの開示をしていた。
 いずれにせよ、対外的なPRは、日本一のテスト・コースを造りつつある参加企業や関係団体の誇りを、幾重にもくすぐる効果があった。
「よし、行くぞ!」
 自慢げなのは、設計を請け負った神山設計事務所の社長も同様だった。
 日頃から乱暴な亭主の性格を嘆いていた従姉の言を俟つまでもなく、日本一だの画期的だのといった言辞で持ち上げられるものだから、ますます鼻息が荒くなっていた。
 夕方、定員一杯まで乗せたバンで土浦唯一の本格ホテル・レストランに向かった。もちろん、雄太の運転だった。
 噂の主である田代に、特別変わったところはなかった。
 ウワバミと呼ばれた柳田老人も、後部座席にちょこんと座って、柔和な顔で室内ミラーに写っていた。


               
 
 

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