『空からのTUNAMI』

昨日はテレビで3.11東日本大震災から二年目の特集番組を数多く見た。
津波の爪痕とその後の復興の遅れをテーマにするもの、福島第一原発による放射能汚染と遅々として進まぬ補償に焦点をあわせたものなど報道の視点はさまざまだった。
その中で10チャンネルの「報道ステーション」が取り上げた東北3県の海岸線を巨大な防潮堤で結ぶ構想が着々と進んでいるという話には唖然とさせられた。
こんなことが現実になったら、岩手・宮城・福島の海から海水浴場はなくなり、街中から見る海の景観も著しく制限されることになる。
しかも、今回のような巨大津波に備えるのではなく、80年に一回、100年に一回の中規模津波に対する対策が主眼なのだという。
確かにこうした防潮堤がある程度の効果を持つことは明らかであろう。
しかし、4000億円とも7000億円ともいわれる巨費を投じて、80年~100年後の津波に対処しようという発想はどうにも納得がいかない。
これだけのお金があったら、もう少し住民に有効でやさしい街づくりが出来そうなものだ。
「100年後に津波が来たとき、コンクリートの防潮堤が老朽化していたなんてことにならないのかな」
津波被害者でもある住民の一人が漏らした言葉が、この計画の胡散臭さを見事に衝いている。
真相は定かではないが、前民主党政権時代にバタバタと立ち上げた諮問会議の一つ「東日本大震災復興構想会議」によるとりまとめに端を発しているらしい。
五百旗頭なんとかさんに復興税の必要性を言わせ、策を弄して策におぼれた菅元首相の頃の話である。
その後<消費税>とともに労せずして果実を手に入れた安倍政権は、東日本海岸線コンクリート・ベルトラインを強力に推し進めるものと思われる。
なんてったって大手ゼネコンの宝箱なんだもの。
被災地の街づくりと防潮堤がセットになっていて、防潮堤を拒否すれば町の復興もできない仕組みというから哀れだ。
「人質に取られているようなものだ」と現状を的確に把握する人。
一方「なんだかんだ言うより、予算がついているうちにやった方が得なんだ」と某知事。
これでは外野も住民も口をはさむ余地はない。
原発の周辺では魑魅魍魎が跋扈するし、政治の世界はおどろおどろしい。
人間の社会では、善意で動く部分もあるが、おおむね利害で対立してしまう。
経済だけでなく、思想や宗教までが争いのタネになっている。
人間には救いがないのか。
いやいや、アフリカの難民の女性が見せる無表情な表情の中にも、無意識に生きる気高さがあった。
同様に、昨日見た被災地の娘を津波で失ったお母さんの表情にも、くじけずに生き抜こうとする強さと貴さがあった。
為政者は、一般庶民の気高さに気付くべきである。
いくら防潮堤を築いてシテヤッタリと思っていても、いつ空からのTUNAMIがあなたを襲わないとは限らないのだから・・・・。
(おわり)

そ
そこに付け込んでおこぼれにあずかろうという政治家の薄汚いというか小狡い動き。
被災地の人たちの救いのない悲しみが11日のTVインタビュー画面から沁みだしてきて見るのも辛かったです。
さて、あのインタビューを見た人の多くが、またも密かに進行しつつある企みにうんざりしたことと思います。
3・11の大津波の際も、一部に設置されていた強固な防潮堤は役に立たなかったし、逆にいつまでも海水が退かずに復旧が遅れた経緯があります。
ある学者の勧めで築いた自治体の悔恨の言も、よくよく吟味する必要があるでしょう。
東日本海岸線コンクリート・ベルトラインは、これからもたくさんの反対者が力を合わせて阻止するべきです。
津波対策は第一に「逃げる」こと。
第二は「やり過ごす」こと。
最近、一階部分を鉄柱だけにして壁を造らなければ、津波の威力を相当軽減できる工法が研究されています。
大防潮堤とは真逆の発想で、すべて「逃げる」と「やり過ごす」考え方で街づくりをすれば、美しい景観と自由な漁業と観光を手に入れることができるはず。
多くの声を期待しています。
ありがとうございました。