どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

どうぶつ・ティータイム(78)

2008-11-19 01:04:15 | 歴史散歩
     
    「雷電」は規格外の<無類力士>

 「雷電」の生家と墓を見学した際の写真を一枚掲載したものの、なかなか全貌を伝えにくかった。
 さいわいブログへのコメントをいただき、「雷電」の意外な人となりを知ることができた。
 怪童、大男、怪力の相撲取り・・・・主に身体的な部分に目がいっていたが、(信濃者)と自称し、不遇な信濃の人びとを救った誠実な人柄を教えていただき、この伝説的な力士についての伝承を読み直してみた。

 以下は、生家であり記念館でもある建物の中央に展示してあった「雷電の由来」から一部引用したものである。
*天明4年(1784年)江戸相撲の浦風に入門
*天明8年(1788年)9月、松江藩主松平治郷のお抱え力士になる
*寛政元年(1789年)藩にゆかりの四股名「雷電」を名乗る
*寛政2年(1790年)11月、初土俵で西の関脇に付け出し、いきなり優勝
*寛政7年(1795年)3月、大関昇進・・・・かぞえ29歳
*寛政10年(1798年)生家を改築
*文化8年(1811年)現役引退・・・・かぞえ45歳
*文政8年(1825年)2月、四ツ谷伝馬町本宅で死去(59歳)

 雷電の現役時代は16年半に及んだことが、「諸国相撲控帳」に残されている。 現役引退後は、雲州藩の相撲頭として9年間雲州相撲を連れて巡業に回ったようだ。
 文武両道の達人と記されているから、力士としての力量のほか、人格識見ともに勝れていたことが窺える。
 東京深川の富岡八幡宮境内にある「横綱力士の碑」には、歴代の横綱がその名を刻まれているが、他に別枠で「雷電」だけが<無類力士>と記されているそうだ。

 この表示にこそ、桁違いの大関「雷電」に対する畏怖の念が現れている。横綱も一目置く無類の大力士「雷電」。
 現役時代の相手力士を死に至らしめたという風評もあり、一説にはその事故への戒めから生涯横綱を辞退し続けたとも言われている。
 真偽のほどは知るべくもないが、このあたりの経緯は、コメントを寄せられた(自然児)さんが詳しいかもしれない。

 昭和59年に自治体と地元の人々が資金を出し合って、雷電改築後183年を経て朽ちかけていた生家の復元を果たし、今日われわれが雷電を知る場を提供してくれている。
 道の駅『雷電』には、大関雷電の手形のほか、横綱谷風梶之助や稲妻雷五郎、釈迦ケ岳雲右衛門の手形もある。
 当時の手形は、掌を紙に押し当てる際モゾモゾと前後左右に動かしたため、手形だけでは正確な寸法はわからないのだという。
 一応、雷電の掌は長さ23.5センチ以上27.5センチ以下。(自然児)さんの教えてくれた25センチは最も妥当なところと考える。
 谷風の方は23センチだそうだから、雷電はやっぱり大物だ。

 ちなみに雷電の身長は197センチ、体重は188キロ、その上精神面のバランスも取れているようだから、『心技体』三拍子そろった理想の力士だったとも思われる。
 そうした力士たちが、それぞれ掌に墨をつけ、モゾモゾ手を動かして自分の手形をできるだけ大きく見せようと奮闘したのだろうか。
 男の一人として、可笑しさと共感を受け取った「雷電」めぐりだった。

 
 

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2 コメント

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雷電が寄進した常夜灯 (更家)
2014-03-12 23:21:17
現在、中山道を歩いています。

12番目の宿場町の倉賀野を歩いていたときのことです。

中山道と日光街道の分岐点の常夜灯の寄進者名に、
「雷電為衛門」と刻まれているのを発見しました。

私は、雷電は伝説上の相撲取りだと思っていたのですが、実際に、自分の名前を刻んで常夜灯を寄進したんだ!と思って感動しました!
(その写真は、2013.3.31のブログに載せました。)
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いまごろ発見(雷電について) (tadaox)
2018-06-12 00:08:00
(ウォーク更家)様、コメント頂いてたのに気がつかずに4年が過ぎていました。
雷電の寄進した常夜灯のこと、あらためて貴ブログを検索してみます。

中山道は雷電の生家(御代田)からも重要な交通経路にあたり、日光街道との分岐点に常夜灯があるというのは無縁じゃなさそうですね。

とにかく、いまごろ発見した迂闊さに頭を掻くばかり。
たいへん申し訳ありませんでした。
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