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禅林寺の起源
元禄十二年(一六九九)八月台風のために建物が倒壊したので、松之坊は寺社再建不可能のために寺社地を村方へ返還した。
そこで村方一同は協議の末、江戸本所石原に在った黄檗宗賢洲元養禅師に寺社建立のことを懇請した。
かくして村方一同より官へ願い出で、元禄十三年十二月、黄檗宗霊泉山禅林寺と改称、江戸神田紺屋町駒田孫右衛門が開基となって堂宇伽藍の経営も着々と進み、当時天下の大小名より尊信を集めていた黄檗大眉門下の梅嶺道雪禅師を請して開山とし、賢洲禅師自ら第一代となり宗風の宣場につとめ、黄檗宗大本山万福寺の直末寺となり、現在に至る。
八幡社とは明治初年の「神仏分離」令によって分離し、塔頭で あった松仙院(八幡社を管理)と円通庵は廃仏毀釈のころ本寺に合併した。
(寺ガールにあやかって)
近年、歴史的に名を残した有名人の墓を訪ねることがブームになっているらしい。
明治以前の武将やその妻たちが葬られている寺へは、すでに<歴女>なるものが押し掛けているそうだから、<寺ガール>も類似の一派なのかもしれない。
厳密な分類はできそうもないが、まあ寺ガールと呼ばれる女性たちは、文豪とか著名文化人の墓所を選んで回っているのではないかと勝手に解釈している。
山ガールならともかく、寺ガールという変てこな流行りものが続いては、眉をしかめる者もいるかもしれない。
だが、過去を振り返ってみれば、昔から有名人の墓を訪ね歩く雑誌の企画もないではなかった。
暇を持て余したお嬢さん方が、山だ、夜景だ、廃墟だ、工場だ、寺だ・・・・と繰り出したところで、時代が大きく変わったというわけではないだろう。
○○ガールという命名を外してみれば、オタクっぽい男たちも同様に右往左往しているのではないかと思われる。
さて、前置きはともかく、当節のブームに煽られて(?)散歩の途中にふらふらと禅林寺に立ち寄ったのが今回のレポートである。
三鷹駅からは南の方向に当たるのであろうか、買い物などで門前をよく通る場所でありながら初めて訪れた次第。
禅林寺といえば『桜桃忌』で知られており、季節になれば毎年ここに太宰ファンが集まるのだなあと思いつつ、今日まで素通りしていたのである。
それが自転車のまま吸い込まれるように敷地内に入ったのは、入口に葬儀の告知や整理のガードマンがいなかった気やすさかもしれない。
風に後押しされて、ふわ~と奥へ進む。
ガラガラの駐車場の端っこに自転車置き場があり、一台だけ停まっていた。
どうしたものかと寺の門を見やると、なかなか立派な風格の禅寺である。
おそるおそる境内に進み、資料館の受付にいた女性に伺いを立てて太宰の墓のありかを訊くと、身振りを併用して教えてくれた。
言われた通り建物の前の通路から地下道をくぐり、傾斜を登って墓地を見渡したところがこの写真である。
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左右に仏様やら地蔵さんやらの石像が並び、石燈籠の間からまっすぐに整理された道が見渡せる。
奥の方で人声がするので、そのあたりに太宰の墓があるのではないかと見当をつけて進むと、案の定四、五人の家族連れがお参りをしていた。
ついででもあったのか、それともわざわざ訪ねてきたのか。
通路を塞ぐように展開しているので、手前で立ち止まっていると、「通りますか?」と若い女性から声をかけられた。
「いえ、どうぞごゆっくり」
だが、当方の目当ても一緒であることは見え見えで、小さな子供をふくむその家族は、はやばやと場所を譲ってくれた。
「ありがとう」
誰もいなくなったので、ゆっくりと写真を撮ることにする。
墓を被写体にしたことはほとんどないので、ちょっと落ち着かない感じがした。
一応撮る前に手を合わせて、レンズを向ける非礼を詫びた。
忌明け前とか、新盆とか、生々しい記憶があるうちは撮りたくないが、亡くなって数十年経っているのだから「まあ、いいか」と自分を納得させた。
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津島家の墓と太宰治の碑が並んでいるのは、それなりの理由があるのだろう。
この墓所からそう遠くない玉川上水で心中した作家が、家族や周囲の者にどう受け入れられたのか知らないが、いまだに女性ファンが多いのは確からしい。
それが文章の魅力なのか、長い睫毛のせいなのか、それとも甘え上手によるものか男の身ではなかなか分析できない。
まあ(嘘をついても正直)といった感じは、男でも分かるが・・・・。
あの雪深い青森の風土とどこかでつながっていることは、弘前市民と話をしても一様に「オサムさん」と慕っている様子からも窺える。
それもまた作品の魅力なのか、金木町のお坊ちゃんに対する親しみなのか、憐れみなのか、深層まではわからない。
最新の芥川賞作家の一人が、芥川の作品を評価しないと明言したのは可笑しかったが、太宰のファンならそのあたりの機微は理解できるのではないだろうか。
どちらの作家なら「一緒に死んでもいい」と思えるか、女性たちの軍配は迷わず太宰に上げられるだろう。
だから、どうだ・・・・という話ではなく、寺ガールにあやかって墓参りした(墓参ラー?)ついでの独り言である。
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ところで、太宰の墓のほぼ真向いに、森林太郎の墓がある。
夏目漱石と並び称される、明治の文豪森鴎外の墓所である。
知ってる人はとっくに知っているわけだから、別に魂消るほどのことではないのかもしれない。
とはいえ、労せずして二人の作家のお参りができてしまう事実は、寺ガールにも墓参ラーにもラッキーとしか言いようがない。
さっそく無礼を詫びつつ、森家の墓にもカメラを向けた。
立派な石組みに、時代と権威、学識、知性といったものを連想した。
人もさまざま、墓もさまざまだ。
<樹木葬>に思いを馳せるぐらいだから、こちとらは石にはこだわっていない。
死んで名を残すことより、日々楽しく生きることを願っている。
一説によれば、肉体は滅びても魂は生き続けているそうだから、魂に恥じないように生きて次に生れ来るときの記憶に好いものを残したい。
何かのめぐり合わせで禅林寺を訪れ、写真を撮らせてもらっていま去ろうとしている。
陽が傾いて、風も冷たくなった。
桜桃忌を迎える頃は、たくさんの人が訪れるだろう。
ひと足早く、開場前の舞台を見させてもらって、またもふわふわと自転車の上の人となった・・・・。
(おわり)
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"寺ガール"が存在するように寺社巡りのファンが現存しているのも分かるような気がします。
それと、そのお寺の名称からして禅宗派なのでしょう。そうだとすると、明治の両文豪は禅宗だったのでしょうか?
そんな気もするような、しないような……。
もっとも、宗派が何であろうと、お寺側は他宗派の墓入りや墓詣で拒むわけではないでしょうし。
ともあれ、今回の「歴史散歩」の巻は、窪庭さんらしい文学的素養が垣間見られ、心地良く読ませてもらいました。
このような知的タッチならば、次回、次々回の散歩記を読ませてもらうのも楽しみです。
そちらの鎌倉はいよいよ世界遺産に登録されそうで、歴史めぐり文学めぐりでフィーバーしそうですね。