<増え続ける本の行き場所>
皆さんは、身の回りに増え続ける本をどのように処理しているだろうか。
僕の場合は、そのときどきに欲しいと思ったものを無計画に買い続けた結果、身動きできないほど溜まってしまった。
もちろん読みたいと思うから購入するのだが、僕の読書のペースをはるかに超えて買うものだから、未読の書籍がどんどんその割合を増やしてしまう。
本の種類は大部分が文学書だから、すぐに読まなければ役に立たないといった制約もない。
新刊で買ったものもあれば、古本屋を漁って手に入れたものもある。
一口に言えば、いつか読むのだからとにかく手元に蒐めておきたいという施餓鬼のような心情に陥っていたのかもしれない。
もっとも、現在のブック流通スタイルは僕らの時代と大いに異なっている。
ブックオフのようなシステムができて、読み終わった本は比較的短期間に引き取られ、再び店頭に並ぶことになる。
その本を欲する者には絶好のシステムで、真新しい本が安価に手に入るのだから、爆発的に支持されたのもうなずける。
ただ、旧来の古本屋に馴染んだ僕ら年配者には、いくばくかの不満が残る。
以前は初版本や稀少本の価値が高かったが、今はどうなのだろう。
僕の知り合いで、初版本を必ず二冊購入する男がいた。
一冊は読むために、もう一冊はホコリ焼けしないように包装してコレクション用スペースに並べていく。
投機目的と思われる初版本投資は、彼の目論見通りにいったのだろうか。
一時期流行ったテレホンカードほどではないが、どうも上手くいったとは思えない。
神田あたりへ持って行けば、それなりに評価してくれるのだろうが、今は相対的に価値基準が下がってしまった気がする。
文学書そのものが読まれなくなって、需給のバランスが狂ってしまったという事情もある。
本棚の半分ほどがコミック本とCDに占められている現状を見れば、文学書の地位低下は明らかというしかない。
さて、稀覯本や初版本のコレクターではない僕の本棚の本は、いつか読まれるはずだった本である。
蒐めている時には、必ず読むつもりで買ったことに偽りはない。
ところが、あるとき家人に「あなた、この本どうするつもり? こんな嵩張るものを残されたら子供だって迷惑よ」と言われた。
関連で、大量の本を残されて困った知人が、父親の愛蔵書ゆえに捨てるに捨てられず、風雨に晒して傷んだ状態にした上でゴミとして処分したと聞かされた。
僕はその残酷な処置に内心怒ったが、価値観が違えばそうしたこともあり得ることを認めざるを得なかった。
そして、いつか読むから・・・・と思っていた僕の人生が、すでに最終コーナーに差し掛かっているというシビアな現実を意識させられた。
仮にあと10年猶予期間があったとして、視力も気力も減退するなかで、いったい何冊の本が読めるだろう。
これからは一冊の新刊本も買わず、図書館にも行かず、ひたすら手持ちの未読本を読み進めよう。
なんともみみっちい話だが、本というものに「命」に近い価値観を刷り込まれて育った僕には、読まないまま処分するなどということが到底できないのだ。
たしか『読まずに死ねるか』というタイトルの本があったが、内藤陳の模倣を承知で「読まずに死ねるか」と叫びたい心境だ。
思い立って一ヶ月、なんとか二冊の文庫本と一冊のハードカバーを読んだ。
再読の本では「江戸川乱歩傑作選」(屋根裏の散歩者、人間椅子など)に感服したが、『芋虫』には特に衝撃を受けた。
人間の心理と肉体をまるごと腑分けしてみせる力量は、日本の作家の中でも飛び抜けている。
また、山口瞳の『家族』・・・・こちらは井上ひさしの言うとおり、私小説の手法を借りて神話を作りあげようとする小説だ。
こんなに凄い作品を、忘れ去っていたり読まないまま屠ってしまったら大変な損失だ。
死ぬまでに何冊読めるかわからないが、買ったまま未読になっている本の中には宝物が眠っているに違いない。
ケチでみみっちい男がもう一度叫ぶ。・・・・「読まずに死ねるか」
そして、本を読んだあとも結局捨てることができず、家人を悩ますことになるのだろうと想像するのである。
(おわり)
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僕の場合は2つの系統の本に分けられます。
1つはいつか仕事で必要になるだろうと予感して購入した本で、ある程度分野別に系統化されています。
2つ目は純粋に読む楽しみのための本で、その時々の興味のままに行き当たりばったりに買ってしまったもので、バラバラです。
以前仕事場を移したとき、不要な本を一度処分しようとブックオフの人に来てもらって売ったのですが、あちらの査定基準は本の内容や稀覯性などとは全く関係なく、本の保存状態(きれいかどうか)だけであることを教えられました。
内容的にどんなに価値がありそうでも、そんなものは買取拒否でした。
「新古本チエーン」は僕たちが知っているいわゆる「古書店」とは全く異なる原理(本を内容とは関係なくものとして扱う)で存在していることを知りました。
それはそれでかえってすっきりしたくらいでした。
私の場合でいえば自分なりに価値があるのは、1の分野の古ぼけ日焼けしたような資料本のほうですから。
しかしそれらは私が死んだあと家族にとって、ほとんどゴミにしかならないはずです。
ああ・・・死にきれないナアー
お互い本には想いを残しそうですね。
ブックオフのようなシステムのことを、「新古本チェーン」というのですね。なるほどと思いました。
たしかに僕もいらなくなった本を店に持ち込んだことがあるのですが、あちらの基準から外れていて、大半を持ち帰ることになりました。
「そのまま置いていっても構いませんよ」と言われたものの、普通の古本屋なら少しは評価するはずだと思って持参の袋に戻したのです。
しかし、今ではどこでも新基準を取り入れていて、本の外観と奥付の発行年月日のみで判断するようです。
そのため、こちらも億劫になって処分をやめてしまいました。
したがって書棚の本はますます古くなるばかり。ならば意地でも読み切ってやれと決心したわけです。
これからも悩まされるでしょうが、悦びの場面も多いと信じています。
うれしいコメント、ありがとうございました。