「山里は万歳遅し梅の花」
芭蕉の作品の中ではあまり知られていない句を取り上げた。
三河万歳という伝統芸能は昭和の初めごろまでは残っていた。
新年になると各家の戸口に立って縁起のいい万歳を披露し祝い金をもらう。
実入りの良い都会を先に回るので辺鄙な山里へやってくるのは梅の花が咲くころになる。
ちょうど今頃~3月初旬の時期になろうか、それでも山里の村人は万歳を迎えてめでたい気分を味わうのである。
現在では「漫才」は知っていても「万歳」は知る人も少なくなった。
ほとんど死語に近くなった。
わたくしたちは身の回りからこうした言葉がなくなっていくのを意識することもなく受け入れている。
毎年、国語審議会が使われなくなった言葉と新語を入れ替えて発表しているのでニュースなどで話題になることも多い。
今回は芭蕉の句の中でも忘れられがちな作品を紹介することで、言葉の生き死にを考える一助にした。
<参考>
国語審議会は1934年に設置され、1949年に改組された、日本の国語政策に関する審議会である。
「当用漢字表」、「現代かなづかい」、「常用漢字表」、改訂「現代仮名遣い」などをはじめ、国語政策に関する多くの建議・答申を行った。
中央省庁の改変に伴って、2011年に廃止され、以後は、文化審議会国語分科会が実質的な内容を継承している。
なお、これとは別に名前に使用できる漢字には法務省の「戸籍法」が関係しているのでややこしい。
聞いたことがない句で、意味も分かりませんでした。
「三河万歳は、実入りの良い都会を先に回るので、辺鄙な山里へやってくるのは梅の花が咲くころにな
、との解説を読んで、なるほどと納得しました。
私は、幼少期を、熊本県と宮崎県の県境の小さな町で過ごしましたが、相撲の地方巡業、サーカスなどは、熊本市内の公演から1~2か月遅れで来ていましたので実感です。
>地方巡業... への返信
こんばんは。
相撲の巡業やサーカスも市内よりは1~2か月遅れで来ていたんですね。
ぼくも茨城県の田舎で相撲の巡業と木下サーカスを見て興奮した覚えがあります。
一回ずつしか見た記憶がないので逆に印象に残っています。
負けた方のお相撲さんが客席に降りてきて風呂敷づつみを持ち去る仕草で笑わせたり、大型テントの設営から見ていて翌日の公演を想像して眠れなかったり、「美しき天然」のメロデイーとともによみがえります。
それらも山里ならではの楽しみだったんですね。
いろいろ思い出しました。
ありがとうございました。