連ドラの「マッサン」でウィスキーが話題になっているので、久しぶりに飲んでみたら、なかなか香り高く素晴らしい味わい。本場スコットランドやアイルランドのウィスキーが一番だろうと思っていたのですが、むしろこちらのほうが素晴らしいような?するとサントリーの「山崎」が、イギリスのウィスキーガイド本で世界一の賞を受けました。日本のウィスキーは、いまや世界最高峰に登りつめたようです。
その立役者はおそらく2人。サントリーとニッカの創業者、鳥居信治郎と竹鶴政孝でしょう。竹鶴政孝の生涯は、自伝の『ウィスキーと私』と、川又一英の『ヒゲのウヰスキー誕生す』に詳しく書かれています。
竹鶴は学校を卒業後に、洋酒を扱う酒造会社で働きますが、そこでスコットランドに行ってウィスキーの製造方法を学んで来い、と留学を勧められます。まだ20代前半で当時莫大な金額のかかる留学をさせてくれるのですから、大変名誉なことでしょうが、船で何か月もかかる地球の反対側の国へ、なんのつても紹介もなく、ただ「英文で書いてもらった卒業証書一枚」を持って行くのですから、それは途方もない冒険だったでしょう。
彼はまず太平洋を渡ってアメリカ西海岸・サンフランシスコに到着し、そこでワイン工場を見学、それから大陸を横断してニューヨークに到着。時代は第一次世界大戦の真っ只中。竹鶴は大西洋を渡って英国へ行こうとしますが、ニューヨークで渡航の許可が下りずに2ヶ月も足止めをくってしまいます。途方に暮れていると、下宿のおやじが「それなら大統領に電報を打って文句を言え」と助言してくれます。
まさか、と思いつつも出してみると、その翌日に移民局から許可の連絡が届くのです。竹鶴は「アメリカはなんと面白い国だろう」と驚きます。「これが民主主義」というエピソードですね。合衆国は、主にヨーロッパからの移民で出来た国です(原住民のほとんどは虐殺されてしまいました)。
出身地や言葉の違う様々な民族がひしめきあって開拓をしたのです。とめどもない縄張り争いや紛争を避けてうまくやってゆくには、各地域、各団体が代表を出して議会制を敷くのが合理的です。なので民衆は議員や大統領に対して、おそらくはクラブ連合の話し合いに出てゆくサークルのリーダーとか、クラス委員長、生徒会会長に対するような同胞意識、「うまいことみんなに配慮してよ。よろしくやってくれよ」といった感情に近いものを持っていたのかもしれません。
一方で日本の議員や首相に対する意識は、こういった根っからの民主主義とはメンタリティが違うでしょう。いまだに議員を「先生」と読んだりするし、「大臣」などという時代錯誤的な言葉を使い、民衆の代表(「民主主義」なんですが)というよりは、白紙委任に近い形で従うべき「お上」といった感覚を持っている気がします(当の国会議員も選挙のとき以外は偉そうに勘違いしているやつが多いような)。とても長い間、日本は階級社会でしたからね。
ともあれ竹鶴は、アメリカ大統領に電報で文句を言って、アメリカ東海岸から英国のリバプールへ船で渡ることができたのでした。