ニッカのウィスキーで、ピートを使わない「クリア」という製品があると聞いて
試しに飲んでみました。ウィスキーを造るときには、ピート(泥炭)を燃やして
麦芽を乾かすので、そのときにウィスキー特有の焦げ臭さがつくわけです。
それがないウィスキー。やはり右のスコッチのほうが旨いな^^;
竹鶴はスコットランドで学んで来た本格的なウィスキーを造ったとき、ウィスキー
に慣れていない日本人が「焦げ臭い」と嫌がって、会社はそのピート臭を抑える
ように要求しますが、それがなくちゃあウィスキーじゃないだろう、と竹鶴は
苦しみます。
飲みやすい=売れるだろう製品を造りたい会社の主張もわかりますよねー。しかし
こんな「クリア」なんて製品を出したら、政孝さんは草葉の陰で泣いてないか?
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竹鶴政孝は、大阪高等工業を卒業して酒造会社に就職し、それからウィスキーの作り方を学ぶためにアメリカを経由して英国に渡り、スコットランドの名門エジンバラ大学に行ってみるが、そこは文系の大学なので理科系のあるグラスゴー大学に引き返した。しかしそこの授業はすでに日本で学んでいた内容だとわかり、実際の作り方を学ぶために実習先を探すのでした。
グラスゴー大学の先生にウィスキーの本を紹介された。竹鶴は大胆にもその著者に会いに行き、教えを乞うが、かなりの額の報酬を要求されて断念。その後はスコットランド北部に散在するウィスキー工場を飛び込みで訪ねては実習の申し込みをするのでした。田舎町に行ってはホテルで宿泊を拒否されたり、工場には紹介者があるわけでもなく、どれだけ苦労をしたことでしょう。なにせ日本に帰ったら、ひとりで工場を設置してウィスキーを造る責任者になるという使命があるんですよ。
さて驚くのは竹鶴の語学力です。彼は日本で工業を専門とした学校で醸造学を学んでいるだけですので、特に英語を専門に勉強したわけではありません。現在のように「生きた英語」やら「コミュニケーション重視」などという教育を受けたわけはなく、おそらくは旧来の文法、訳読重視の語学教育を受けたはずです。
しかし彼はひとりでアメリカ大陸を横断してワイン造りを学び、グラスゴー大学では化学の講義を受講し、「もう学んだことばかりだ」と気がつきます。アメリカでは訛りに苦しんだようですが、それは当たり前で、英国に到着すると「わかるので嬉しい」と言っています。帰りに奥さんのリタと一緒にアメリカを渡るとき、リタはアメリカ訛りがわからずに、竹鶴が通訳をしてやったのです。
彼は日本を出てから何か月も経たずに、普段の生活には困らずに、大学の授業を受けるくらいの会話力を身につけているのです。彼が卒業した大阪高等工業はその後編成されて現在の大阪大学の前身だったのですから、エリート校です。専攻科目でないとしても、当時の英語の授業はレベルが高かったのでしょう。文法、読解の徹底的な訓練おそるべし。それで鍛えられた語学力は、原書で化学の専門書を読むことが出来、日常会話などすぐに可能にしたわけです。