というわけで、午前中に近くまで来たけど見なかった伊藤博文旧宅地・別邸に
やってきました。
この小さな茅葺屋根の家が伊藤博文の生まれ育ったところです。博文は17歳のときに
吉田松陰の門に入りました。
こじんまりしていていい感じです。
そのお隣にあるのが東京に建てた立派な別邸。これは初代総理大臣になったあとの
ものですから、すんごい立派。萩市に移築したのです。
いかにも明治の建築らしく、畳の部屋に床の間、天井には洋風の灯りです。
博文さんは、内閣総理大臣のあとに枢密院議長、貴族院議長などを歴任し、総理大臣
には4回もなりました。そして日本が朝鮮半島を侵略・併合したときに初代韓国統監
になりました。なので左下の写真には韓国の民族衣装をまとっています。どうよコレw
私は子供の頃、千円札が伊藤博文の顔だったので、なんか偉い人なんだろうと思って
おりました。しかし韓国を植民地にして、そこの統監になった様子を見て複雑な気持ち
になります。彼はハルピンで、韓国の民族主義運動家(俺たちの国を取り戻せ!と
頑張っていた人たち)に暗殺されてしまいます。それは殺人、テロといえましょうが、
見方によってはそいつは悪の親玉に仕返しをした正義のヒーローともいえるのです。
*伊藤博文の師匠、吉田松陰は「お国のために」テロを企てて死刑になりました。
伊藤博文はテロで殺されるときに、松陰はあの世で、どのように思ったことか。。。
ここで頂いたパンフレットの略年譜には、「満州訪問の途上ハルピン駅頭で死去」と
書いてあります。もともと松陰一派の尊王攘夷運動で活躍し、英国公使館焼き討ちに
参加し、討幕に成功したから官軍になって大出世してお札に顔が刷られたわけですが、
動乱の時代というものは、見方や立場によって正義とも悪とも成り得るのだと考え
させられるのです。おそらく、ここに歴史を学ぶ大切な意味があるでしょう。古い
過去の知識を得ることではなく、現在のものの見方をより良く柔軟なものにするために。
庭の灯篭には菊の紋。ちょっと割れてるか?
天井にはもんのすごい杉の一枚板が!
デカいお屋敷の、一部しか移築してないそうです。
商人じゃないから、あまりゴテゴテと装飾してないところがまたシンプルでいい。
そう、風格が感じられますね。
こんなのも素敵です。
移築前の写真がありました。
さてさて、今日は100円バスに何度も乗ってずいぶんと歩き回りましたー。
最後は30分ほど歩いて帰りました。
歩けばこういう素敵な街角の様子も見られるってもの。
寒いので、ホテルの近くの酒場に。なんかオサレな外観だぞ? 店員はチャーミングな
アルバイトのおねいさん。画像の左の、外に向かったカウンターに座りました。
すると向かい側におととい入った面白いおっちゃんのいる酒場が見えました^^
地酒を順番に頂きました♪
さすが港町だけに、日本海の魚が美味いぞ。
牡蠣はこっちでも獲れるのかな。
昨夜うら寂れた街を歩いて2軒目はあきらめていたので、ここでたっぷり飲ませて
頂きました。さあて萩は3泊してたっぷり見物したので、明日は俵山温泉に。
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