
塔で有名なサンジミニャーノには、「スミレの聖女」の伝説が残っています。なにか可憐で素敵な雰囲気に聞こえますが、じつはとても厳しく悲惨なお話です…。
1238年、この街で生まれた娘フィーナは幼くして父を亡くし、10歳のころに病気になって、それから寝たきりの生活を送ります。まだ子供だというのに、病床で貧しい人々のために着物を縫ったりして過ごしました。
病気が進行して全く動けなくなると、粗末な板の上に寝て、キリストの苦しみに近づこうとします。 どうしてそーなるの…。 やがて母も死んでしまいました。 悲惨すぎるw
すっかり弱ってきた彼女に、ネズミが襲ってきます。シエナの聖カタリナには悪魔が訪れましたねェ。長い苦しみに耐えたのち、彼女は15歳という若さでこの世を去りました。
フィーナが亡くなったとき、教会の鐘が自然に鳴り出して、死体のまわりにはスミレの花が咲いたそうです。 死んでから花咲いても…w(゜゜)w
サンジミニャーノの教会にある「聖女フィーナの礼拝堂」には、彼女の絵がかかっていました。すっかり弱った様子でフィーナは板の上に横たわっており、隅にはネズミがおり、スミレも咲いています。人はいませんでしたが、写真を撮るのもいかがなものかと思い、こころのなかで手をあわせて教会をあとにしました。
サンジミニャーノには以前から行きたいと思っていたのですが、フィレンツェからバスを乗り継いでゆくという不便なこともあり、3回目のイタリア旅行でようやく訪れることができました。
このときは英国を一ヶ月ほど旅したあと(途中でアイルランドにも往復し)、ミラノに飛んでからフィレンツェにやってきて、それからサンジミニャーノにたどり着いたわけです。長い旅路を経て、とうとうここにもやってきたなあ、と思いつつフィーナの絵を見たわけですが、薄暗い礼拝堂で病床の聖女の絵を見るのもせいぜい数分だったか?
時間にしばられないひとり旅、何年も気になっていた絵をひと目見ようとはるばるやってきて、実現してみるとあっさりしたものだ。やはり旅というものは、夢みて準備をしているとき、そしてその体験を思い出しているときが人生のほとんどを占めている。これって恋愛と同じ。。。かな? (^益^;

教会で、こういうお話を聞いたら、みんな「私もこうあるべきだわ~」って思うんだろうかw
スミレは咲かなくっていいから、板の上は嫌だwって思うのは私の修行が足りないせいなんだろうなぁ^^;
修行の量じゃないです。趣味(信仰とゆうべきなのでせうか)の問題でせう。「ドブのなかでも前のめりに死にたい」なんていったのは星一徹だったか。アラスカの氷の山で死んだのは有名な登山家だったか。それって幸せだったのでしょうね、本人は。
しかーし、私はどうかな。白い壁の病室で管つけられて死ぬのもヤダな。やっぱり美女に手を握られて…がいいかな*゜益゜*