伊勢崎神社を見たあと、ふらりと出るとこんな長屋が。今や重要文化財だよねェ。
長屋の裏手のほうも見せてもらいたい気もしたが、さすがに入れないよねw
おおお、家が建ったときにはこんな木が育ってなかったはず。途中で切らなかった
のが偉いぞ。
さて相川考古館。1866年に金物屋の息子として生まれた相川之賀(しが)は、東京に
出て漢学を学び、それから英語を学び、1885年に単身で渡米留学。大変だったろうなあ。
それはちょうど西部開拓が消滅する頃、すなわちインディアンと呼ばれた原住民の
掃討が完了する頃。消えゆく文化を残そうとして、北米大陸原住民のお面やらなんやらを
だいぶ持って帰ってきました。
1914年に家督相続のために帰国してから(すると留学期間は30年近いの?!)郵便局長や
町会議員を務め(地元の名士だからなあ)、のちに群馬県史跡名勝天然記念物調査委員と
なり、県内の文化財の調査を行ったそうです。江戸時代生まれ、明治時代に留学、大正
時代に帰ってきて地元で活躍した人なのです。
最初の展示館に入ったら、何やらお勉強会が行われていました。
裏手にある茶室です。風流ですのお。
素敵ですねェ。美しい、という表現にぴったり。
ワビ、サビってやつですな。
稲荷社は土蔵造りで、金庫の役割も果たしていたとか。
さてこの横にある重要文化財収蔵庫と考古資料展示室にはお宝がたくさん。まずは
埴輪が並んでいました。群馬県には沢山の発掘現場があり、きれいな形で多くの
貴重な資料が掘り出されているのです。係員の方に説明を受けました。「この6体の
埴輪のうち、女性は3体ありますが、どれでしょう?」なんてクイズも。見ごたえ
ありましたが、残念ながら撮影禁止^^;
また展示室には之賀の集めたカナダ原住民の資料などいろいろありました。それと、
「昭和天皇誤導事件」の写真資料もありました。1934年(昭和9年)にヒロヒト君が
群馬に来たわけですが、そのパレードを先導する警察官が道を間違ってしまい(だって
土壇場で係が交代、下見してないやつが大群衆の集まる道を行かされたんだもん)、
待ってるほうでは「天皇様が来ない。行方不明!」と騒ぎだし、事件になったのでした。
それでね、その警部は責任をとって日本刀で自決しようとしたのです!素手で握った
ものだから、指が切れて力が入らず、喉をぶっ刺して死にきれずに一命をとりとめた。
驚くことに、自決しようとしたその態度に賞賛の声があがったとか。シェーwww
おさげに見えるから女の子と思ったら、大間違い。このヘアースタイルは、当時男子に
流行ったんですよ~、と説明されました。私は山岸涼子の漫画を沢山読んでいるから、
知ってましたよ~(^益^)b
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