伊那の朝を迎えました。俺はホテルの朝食は食べず、できれば地元の喫茶店などに入り
たいのだが、歩き回っても見つからない。ひとつあったが朝はやってない。こうなりゃ
パン屋でもハンバーガー屋でも、コンビニでもいいのだが、ナイw 伊那あ~~~www
ま、コンビニがないのはそれでいい。地元の商店をつぶしますからね。というわけで、
何も食べずに出発だ。今日は伊那から飯田線に乗って天竜峡まで行くのだ。
飯田線は伊那を通る天竜川沿いに走るのだが、川は見えないのう。この川は浜松まで
伸びていて、前回の東海の旅で大きな流れを見たなあ。
電車は駒ケ根を通過。去年の6月に、標高2600mの千畳敷カールまで行きました。
この季節はそうとう厳しい雪と寒さでしょう。
山の中という感じですが、こちらは温度は低くても雪のない太平洋側の気候なのです。
終点の飯田に到着。今宵の宿はこちらですが、まずはこの先の天竜峡まで行きます。
電車を乗り換え。天気は最高。
どこに行ってもローカル線の駅にはこういった萌え系だなあ。たまにはこういう10代ではなく、
30~50代の色っぽい女性を使ってみてもいいぢゃないか。着物の後ろ姿だったりしたら、
つい降りてしまうおっさんもいるかもしれんぜ。
ルビがふってありますが、この漢字読めた?私は常連だった新宿の飲み屋がこの名前だった
ので、懐かしくて写真を撮りました^^; 吉田類も行ったし、高田純次も劇団の頃に
よく来たと言っていましたぞ。何年か前、入ったら若いアルバイトに「2時間で出て
もらいます」と言われたので、それからパッタリ行かなくなっちゃったんです。
常連にそういうこと言うかー?実に新宿・池袋・渋谷の繁華街では、このおぞましき
「2時間制」の悪性腫瘍が転移しつつあるのです。場所代を払うのが大変なこと、そして
空気を読んで適当に切り上げる客の呼吸がないってのが大都会のつらいところか。
というわけで、ようやく天竜峡に到着。有名な景勝地だそうですが、冬は空いてるだろ。
伊那の夜は、昼間と別人の顔だ。こういったネオンが延々と続く。人口比でものすごい
飲み屋の数だ。
さむいさむい。
以前に昼間歩いたときに次回入ろうと思った店は、こんな用水路の横にあったはずだ。
あったあった。いまや絶滅しつつあるサントリーチェーンの店。
「きりん」で客が全部入れ替わるくらいゆっくり飲んだのですが、このバーはちょうど
開店したところでした。ママさんはレジェンド系の着物姿。さすがサントリーチェーン
なので山崎が並んでいます。日本ウィスキーが人気になって、ガイコツ人が買い漁る
もんだから、酒屋には出回らなくなった高級酒。系列店だから、直接要求して入るそうです。
実にまろやかで素晴らしい香り。マルスの「越百」を思わせる。お値段はこっちがずっと高い。
この店は、俺が生まれる前からやっていたそうです。頑張ってると、1年に一回、画像で
ぶらさがっているプレートが送られてくるとか。
この店にはなんとキャピキャピの女の子がふたりいます。すぐあとに数人のおっさん達が
やってきて、テーブル席で接待が始まりました。
すごいミニスカートで、パンツ見えるぞ♪
今日ははいてないから見えるはずないよ。見えるとしたら具だよ!
下品な言葉やめなさい!
カウンターに渋いおっさんが山崎を飲んでいるんだから、ママさんに怒られていました。
こっちはしっとりとこの店の歴史を聞いていたんだからなあ。
2杯目はどうしようかと考えていたら、「山崎のハイボールが人気だ」というママさんの話。
「山崎を割るのはもったいない気がしますが」というと、何やら特別のソーダ水を贅沢に
使うそうで、「それなら美味しいに決まってますよ♪」というお勧めに従う。
ここのママさん、父親から店を継いだそうで、つまり人生この店一筋というわけだ。
伊那にこれほど飲み屋があるのは、ダム建設があったからだそうです。ダムひとつ造るには
大変な数の人々が何年もかけるので、莫大なお金が持続的に落ちるというわけ。それも
圧倒的な数は労働者だから、飲食店が流行るわけだ。
そういう危険な仕事で求人があるから、全国から危ないやくざ者が集まってきたそうです。
給料日から10日間ぐらいは大騒ぎになるそうで、血を見る喧嘩もしょっちゅうだったとか。
しかしここは少し高級なバーだから、「親方がいるから来たくない」と末端の人たちはあまり
来なくてよかったそうです^^;
お父さん(一代目」は景気のいいときに地元の組合でタイ旅行に行ったそうで(きりんの
おやじと一緒だ!)、100万円の束を2つ持って行き、「一束しか使わなかった」と後悔
しながら帰ってきたとか。あちらでは王様扱いだったそうでw
博物館行きレベルのジュークボックスがありました。内部にはレコードがぎっしり?
う~ん、伊那の語り部のお話を十分に聞くことが出来た素晴らしいお店でした。
最後にゃパンツをはいてないというお嬢ちゃんが出てきて「また来てくださいね~♪」と
きたもんですw
月がきれいに出ていました。早く帰らないと寒くて凍えちゃうぜー。
おおお、漂泊の俳人、井上井月の全集かー。井月は19世紀の伊那周辺のホームレス俳人。
ふらふらとこのあたりを彷徨い、俳句を作っては酒を飲ませてもらったり泊めてもらったり
という自由人でした。乞食とからかわれることもありましたが、詩や書もうまかったので、
一部の人たちには歓迎されたのでした。以前井月が彷徨ったという山を歩こうと思いましたが、
みんな車だけが走っているような舗装道路になっていたので、行くのをやめたんです。
猪のだし汁を使った「井月蕎麦」なんてのもあるのか(^益^)w
伊那に戻ってきました。むっちり度が完璧の女性がお出迎え♪
サービスショット(^益^)b
ホテルは「駅に近くて安い」で予約したのだが、なにやら閉店になっているではないか?!
開かない自動ドアから中をのぞいてみると、ガランとした洋品店跡。まさか???
裏に回ると、こちらもなんだか廃墟になったあとみたいな?
自動ドアは開いた。むぅ。。。 しかしホテルは上のようだ。旧式のエレベーターで上へ。
やってるやってる。すみませ~~ん!と声をかけると、中から人が出てきました^^;
フロントのフロアから客室に向かうと、どこもドアが解放されていました。予約の入って
いる俺の部屋は閉まっていました。使っていないと空気がこもるからかしら。部屋は昭和の
香りが漂っていました。
さて夜の一軒目は「きりん」へ。前回は最初から最後まで俺一人でしたが、今回は驚いた
ことにほぼ満席で、狭いところに入れてもらいました。向かい合って熱心に話していた二人の
間に入るので一瞬躊躇しましたが、「いいんだよ!ここに来たらみんな友達!」と典型的な
地元密着型の店です。
ここは燗酒を注文すると、専用のサーバーからタパタパと出てくるコップ酒。
今回は奥にも電気がついていました^^; 前は半分暗い店だったんですぅ。
最初は満席でしたが、カウンターの客はちらほらと入れ替わる。そのうち店のおっちゃんは
「このメガネ誰のだ?」と置かれたメガネを取り上げる。誰もわからない。誰かが忘れた
のでしょう。まもなく誰かの勘定になったとき、おっちゃんは自然にそのメガネをかけて
計算する。人のなのに使えるの?もしかして最初っから自分のだったってことはないよね?
こちらの地方の名物「山賊焼き」を注文。店主のおっちゃんは焼いているときにあっちへ
いったりこっちで話したりと焼き場で専念していないので大丈夫か?と思ったら案の定。
苦笑いで出してきましたが、カウンター隣のおっちゃんは「これは皮が旨いんだけどなあー」
と容赦ないダメ出し^^;
あとから右隣りにきたじーさんが面白かった。まだ飲む前からかなりへべれけになったような
話し方。ニコニコして上機嫌だが、自分のペースでレロレロと話し続ける。ホルモン焼が
出てきたときには、嬉しそうに食べて「う~~ん、これはまずい!」とうなる。
その笑顔がとても満足そうだったので、「うまい、じゃないですか?」と聞くと、「そうそう、
うまい!」とニッコリ。まじすか^^;
ほぼ全員高齢者なので、「物忘れがひどい」という話題で盛り上がる。するとこのナイスな
じいさん、「仕事で片付けようとしているときに電話がかかってきちゃうんだよ。そして出ると
全部忘れちゃう!やろうと思っているときに電話来るからぁ~」と何気に嬉しそう。よくこう
いう人を雇えるな^^;
この人こんな調子でほぼ意味不明に話し続けるのだが、人の話は聞かないようなので、やりとりが
難しい。反対側のじいちゃんがとっておきの話をし始めたのに、脈絡なく違う応対をするので
しまいにゃ「聞いてねえな!」と機嫌が悪くなって帰ってしまいましたw
まもなく面白いじいちゃんも帰っていきました。そのあとの客が下に落ちていた帽子を拾って
誰のだ?と聞くと、マスターが「ああ、さっきの変な奴だ。あいつ何を言ってるんだか、わから
ねェんだよ。前なんかあんまりひどいから帰れって言ったんだ!」と苦い顔。ここも出禁に
なっちゃったら行くとこなくなっちゃうから、そんなこと言っちゃダメですよ~。
「枝豆二百円」とボードに書いてありました。安い。しばらくあとで、「あっ、三百円なのに
消えてる!ちょっと一本足しといて!」とマスター。「注文して食ったあとで一本足すのは
ずるいよぉ~」と笑う。「量が多いからいいでしょ♪」と笑ってごまかす。
「こうなりゃ途中でどんどん線を足していきゃあいいんだ!」と言うと、隣のおっちゃんが
「三までしかできないだろ。四はねーから」と言うので、「五までもっていけますよー」と
切り返す。政治家の領収書なんてそんなもんじゃ?その上に一本足しゃあ一桁上げること
だって出来るってもの。ちなみにこの店はすごく安いので、100円増えるだのなんだのは
全く問題にならない良心的な店なのです。
酔っ払いのくだらない戯言は延々と続くのであった。。。
「高遠駅」というバス停に戻ってきました。このちょっと先に「旧池上家」がある。
行ってみると閉まっている。張り紙を見ると、「高遠駅の観光案内所に行ってください」
と書いてある。いま通ってきたのに~~w
観光案内所に戻って入ると、カウンターの向こうに係員のお嬢さんがひとり。「旧池上家
を見たいのですが」と言うと、「すぐ戻ります」的な表示をカウンターに置いて、「いま
行きますから先に出てください」とおっしゃる。
先に歩き出すと、お嬢さんは観光案内所の裏から出てきて一緒に旧池上家へ向かう。
「おひとりで管理されているのですか」と言うと、「人がいないものですから」と
ちょっと照れる(*´д`*)・・・
お嬢さんは俺のために鍵を開けてくれて、「ご覧になりましたら案内所にひと言
お願いします」とお帰りになりました。
池上家は味噌屋さんだったのです。左に見えるは酒かー?醤油かな^^;
土間と畳、大きな囲炉裏に木の階段。俺の好きなものが全部あるではないか。
この金庫の大きさ。儲けてやがったな。。。
財宝、というほどではないが、お金がたくさん出て来たようです。
帳場。ここは働き者の座るところ。俺は2階から降りてきて、引き出しからちょいと
拝借して飲みに行く、という身分だといいなあ~。
旧池上家から少し歩くと、古本屋があります。実はここ高遠は、英国の古本屋の街
ヘイオンワイとコラボ(?)して、ブックフェアなんて企画をやったり、古本で街おこし
を計画したことがあるという話。しかし街を歩いた限り、ここ以外に店はなかったぞ?
ここもドアが閉まっていた。呼び鈴はないし、ドアをどんどん叩いたり大声で人を
呼んだりする気にもならなかったので、このまま去ることにしました。ちと期待はずれ。
というわけで、高遠の散策は終わりました~。
高遠なつかし館の裏には、代々高遠藩の眼科医を務めた旧馬島家の住宅が移築されて
います。とても立派な本棟造りの武家住宅。なつかし館に入ったとき、係員の方に
「こちらの旧馬島家と、バス停の裏にある旧池上家の住宅も見られますよ」と言われ
ました。3施設コンバインドのお得なチケット。そしてなつかし館を見ていると、
「馬島家も開けましたから、どうぞご覧ください」と言ってもらいました。2つの
建物をひとりで管理されているワンオペ。
中に入ると、「三丁目の夕日」のロケに使われたと表示されていました。
映画を見直してみると、主人公の茶川さんの実家として使われていました。
(ちなみに「あくたがわ」ではなく、「ちゃがわ」と読みます)
藩医は偉いから、格式高い武家屋敷に住んでいたのですねー。
素晴らしい造り。
冬は寒いだろうけれど、静かで落ち着いた生活だったのでしょう。
大学まで出て、小説家になると言ったら父親に勘当されてしまった茶川さん。
そりゃあ高度成長期に大学に入れたらエリートの卵。田舎で期待を背負って、
それで「小説家」なんつったら親は怒るかもしれません。
当時は戦後の復興期からテレビや洗濯機が手に入る時代になり、頑張れば
それなりに金持ちというか、近代化の恩恵を受ける「出世」ができるチャンスが
ありましたから、そんなときにそういうルートからはずれるのは親からすれば
「残念」だったのでしょう。でも「物書き」で生計を立てられる幸せな時代で
あったとも言えるのですよ。
眼科医のなごりも残っています。
ガラスも微妙に歪んでいて、それもまた味があっていい。
一番奥は生活エリア。女性はとても忙しい生活だったことでしょう。なつかし館の展示品
より、こちらの建物のほうがずっと見ごたえがありました。