さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

伊那の2件目はバー・アドニスへ

2019年01月06日 | 関東甲信越



伊那の夜は、昼間と別人の顔だ。こういったネオンが延々と続く。人口比でものすごい
飲み屋の数だ。



さむいさむい。



以前に昼間歩いたときに次回入ろうと思った店は、こんな用水路の横にあったはずだ。



あったあった。いまや絶滅しつつあるサントリーチェーンの店。



「きりん」で客が全部入れ替わるくらいゆっくり飲んだのですが、このバーはちょうど
開店したところでした。ママさんはレジェンド系の着物姿。さすがサントリーチェーン
なので山崎が並んでいます。日本ウィスキーが人気になって、ガイコツ人が買い漁る
もんだから、酒屋には出回らなくなった高級酒。系列店だから、直接要求して入るそうです。

実にまろやかで素晴らしい香り。マルスの「越百」を思わせる。お値段はこっちがずっと高い。



この店は、俺が生まれる前からやっていたそうです。頑張ってると、1年に一回、画像で
ぶらさがっているプレートが送られてくるとか。

この店にはなんとキャピキャピの女の子がふたりいます。すぐあとに数人のおっさん達が
やってきて、テーブル席で接待が始まりました。

すごいミニスカートで、パンツ見えるぞ♪
今日ははいてないから見えるはずないよ。見えるとしたら具だよ!

下品な言葉やめなさい!

カウンターに渋いおっさんが山崎を飲んでいるんだから、ママさんに怒られていました。
こっちはしっとりとこの店の歴史を聞いていたんだからなあ。



2杯目はどうしようかと考えていたら、「山崎のハイボールが人気だ」というママさんの話。
「山崎を割るのはもったいない気がしますが」というと、何やら特別のソーダ水を贅沢に
使うそうで、「それなら美味しいに決まってますよ♪」というお勧めに従う。

ここのママさん、父親から店を継いだそうで、つまり人生この店一筋というわけだ。
伊那にこれほど飲み屋があるのは、ダム建設があったからだそうです。ダムひとつ造るには
大変な数の人々が何年もかけるので、莫大なお金が持続的に落ちるというわけ。それも
圧倒的な数は労働者だから、飲食店が流行るわけだ。

そういう危険な仕事で求人があるから、全国から危ないやくざ者が集まってきたそうです。
給料日から10日間ぐらいは大騒ぎになるそうで、血を見る喧嘩もしょっちゅうだったとか。
しかしここは少し高級なバーだから、「親方がいるから来たくない」と末端の人たちはあまり
来なくてよかったそうです^^;

お父さん(一代目」は景気のいいときに地元の組合でタイ旅行に行ったそうで(きりんの
おやじと一緒だ!)、100万円の束を2つ持って行き、「一束しか使わなかった」と後悔
しながら帰ってきたとか。あちらでは王様扱いだったそうでw



博物館行きレベルのジュークボックスがありました。内部にはレコードがぎっしり?

う~ん、伊那の語り部のお話を十分に聞くことが出来た素晴らしいお店でした。
最後にゃパンツをはいてないというお嬢ちゃんが出てきて「また来てくださいね~♪」と
きたもんですw



月がきれいに出ていました。早く帰らないと寒くて凍えちゃうぜー。



おおお、漂泊の俳人、井上井月の全集かー。井月は19世紀の伊那周辺のホームレス俳人。
ふらふらとこのあたりを彷徨い、俳句を作っては酒を飲ませてもらったり泊めてもらったり
という自由人でした。乞食とからかわれることもありましたが、詩や書もうまかったので、
一部の人たちには歓迎されたのでした。以前井月が彷徨ったという山を歩こうと思いましたが、
みんな車だけが走っているような舗装道路になっていたので、行くのをやめたんです。

猪のだし汁を使った「井月蕎麦」なんてのもあるのか(^益^)w