今回の旅の最後の夜は、贅沢にあさひ鮨。
予約しておいた席はカウンターのはじ。目の前が大旦那だったので、「今朝ヴァンガード
でお会いしましたよね。後ろに座っていたんです」と言うと、うしろの店員さんが
プッと笑い(毎朝あそこで仲良しグループが集合するのは有名なのです)、大旦那は
「いい仲間がいて、毎日会うのが楽しみなんだよ」と嬉しそう。
気仙沼といえばフカヒレ。あさひ鮨ではこの寿司が食べられるのですー。
ここのヒレ酒は「フカヒレ酒」。フグのほうがもっと香ばしい気がするが、まあ
ここに来たらフカでしょう♪ カップにもフカの絵柄^^
大旦那は、いまの俺の家の近くの有名店で寿司職人の修業を始めたことがわかり、
その修業時代の話に花が咲く。飲食店で働く人は、若い頃に東京に出てきて修業を
した人が多いですからね。俺が生まれる前の話ですよ^^;
喫茶マンボにも行かねば。
ム、いちごがタワーになった「いちごババロア」は3月に入ってかららしひw
そういえばいままで冬に来るときはいつも3月だったか。
これで会津、三陸の行くべき店はコンプリート。充実した一週間でした^^;
港も見違えるように復興したよ。グーグルストリートビューではまだ更地なんだよw
気仙沼の港を一望できる達成感を味わったあとは下山である。よくここまで
登ったぞ(^益^)b
239メートルか。このところ函館山、札幌の藻岩山と頑張ってるねェ。
帰りはなだらかな道だ。今回の登山では誰ともすれ違うことはなかったなあー。
途中でワーっと雪が舞いました。
気温が低いので、すぐに溶けません。結晶がよくわかるふんわり雪。あ、これ袖ね。
ここで看板があり、下に神社があるとか。それにしてもすごく急だぞ。坂に立って
いられないで、ズルズル下がるほど。少し滑りながら、踏ん張って降りてゆく。
止まるのもできないので、ふとももの筋肉を最大限に使いながら少しずつ降りる。
やっとこ神社だー。階段って、普段うんざりするけどありがたいものなのね。。。
踏んだとき平らだもんー。
ああ、こういうところに出てホッとする。
山を下ると「ひざが笑う」とかいう状態になったりするけれど、ああいう坂を
下るとひざではなく腿の筋肉にくるねー。温泉に入ってモミモミしとかないとー。
いつもの「コロッケ屋」で少し遅い昼食。旨い安い、ちと愛想ない^^;
あ~平地を歩くのは楽ちんだー。普段は全然意識してないけどねー。寝るときに花粉で
鼻が詰まってると、普段は意識しないで呼吸ができることのありがたさを痛感するもの。
いつかこの世から旅立つとき、ベッドの上できっと「外を自由に歩き回れること」の
ありがたさを感じることでしょう。いや最後に「ベッドのありがたさ」を思ったり
しないだろうなあー? というわけで、あちこち旅行しては酒を飲んでいる風来坊の
生活ができることを日々感謝せねば。。。
さあて早めにホテルに帰って温泉に入って、疲れた足を癒しましょうか。このあと
「海の市」まで行って、横浜に嫁いでいる妹に牡蠣とホタテを送ってやったのでした。
ホテルの窓から、ふたつの橋が重なって見える高さになりましたw
*この翌日から3日ほど、腿の筋肉痛がありましたよーw
さすが復興記念公園だけに、ありがちな全裸像ではありませんな。なかなか素敵な
少女像です。
さていよいよあちらの安波山に登りますか~。
ホテルの向かいから朝に見た安波山。展望台もあるようだぞ。
するとわかりますでしょうか、ワ~っと雪が降り始めたのです。雪山登山かーw
なかなかの降り方になったので、延期にしようかと考えた。風も冷たいし、もっと
気候がよくなった頃になあ、、、。
しかししばらくすると止みました^^; いまはまだ午前中なので、ホテルの部屋の
掃除も終わってないようだし、まーいくかー。 住宅街の一番上の家は廃屋?
一番上のいい場所なのに、どうやら空き家のようだ。左の家なんか立派な木造なのに
ねえ。
ここもいい場所だってのに、一番上に限って空き家になるのか?
ううむ、このあたり、どうやら一番上の一等地に思えるようなところに限って
空き家になるらしい。そりゃあ毎日のアクセスには大変だろうけれど、上にあって
まわりを見下ろすほうが俺にはいいと思うけれどなあ。
いよいよ登山口。「りゅうの階段」というそうです。
少し頑張って登ると、最初の展望台「ひのでのてらす」に到着です。
ここで日の出が見られるのかー。
下のホテルから見ると、向こうの三陸沿岸道路と奥の大島に渡る橋が重なってひとつに
見えるのですが、ここまでくるとしっかりふたつ^^
さっきいた復興記念公園のモニュメント、右には恵比寿様のいた神社が下に見えました。
気仙沼の朝を迎えました。今日は天気もいいので、ホテルの向かい側に見える
安波山(あんばさん)に登ってみようか。
まずは港町ブルースの歌碑のボタンを押して、流れる森進一の歌を聞いて出発だ。
まずはヴァンガードに。
いつもの常連グループさんたちがカウンターにずらり。気仙沼の重鎮たちが勢ぞろい。
来ないことがあると電話がかかってきて「欠席届」の連絡があるくらいなのです。
みんな笑っておしゃべりして、子供の仲良しグループみたいにはしゃいでいるのを
いつもうしろから聞いているのです。
まずは浮見堂に行って、前回見なかった「おえびすさん」を見なければ。
向かい側が滞在している気仙沼プラザホテル。
いま黄色の矢印のところに立っています。これから安波山の麓にある復興祈念公園
(緑の矢印)に登ります。
「おえびすさん」は三代目。初代は第2次世界大戦時の金属回収で国に共出してしまい
ました。海の藻屑となったか。二代目は、東日本大震災の津波で消失。海を探しても
見つからなかったので、この三代目が作られたのです。立ち姿で、鯛ではなく鰹を
抱えているところが特徴です。
しかーし、なんと2020年に二代目が海底で発見されて、引き上げられることになり
ました。戦争で亭主が亡くなったとの知らせがあり、再婚したらひょっこり戻って
きたみたいな?いやいや大丈夫。えびすさまは何人立ってても誰も困ることはない。
上の五十鈴神社まで登ってきました。
おお二代目!鰹を抱えてなくて、鯛を釣りあげてるぞ?
私の部屋は、右奥の最上階。カーテンが開いているので、まだ掃除が終わってないな^^
「外壁工事をしているので、窓から外が見えない」と断りがありましたが、そんな
ことはありませんでした。でも工事中のお詫びに2000円のクーポン券をくれました。
だからなんですかと言われそうですが、このホテルのフロント係のお嬢さんたちは
美人ぞろいです♪
さてさて復興祈念公園に登ってきました。
さすがに高いところに来ると、港の全景がよく見える。ずっと奥、湾を出た太平洋の
海面が光っています。あそこは晴れているのですね。
ホテルも見下ろす感じになったでしょ。あ、俺の隣の部屋の掃除が終わったー。
ホテルとは反対側の鹿折地区。ここは津波でほぼ全滅、火災に見舞われてほぼ全焼、
なんと多くの船が打ち上げられた場所なのです。夜のニュースで火の海の様子が
放映されて、「気仙沼が燃えています!」とキャスターが叫んだのを思い出す。
こんなになっていたんですよ。
2015年に歩いたときはこんな風景でした。。。
復興祈念のシンボル「祈りの帆(セイル)」に入れました。この横に慰霊碑があり、
そこには犠牲者全員の名前が刻まれており、両親と幼い娘さんの名前が並んでいる
のを見て泣けてきてしまいました。((+_+))