続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

疲労困憊だけど・・・。

2011-10-01 06:08:47 | 日常
 友人たちともあまり親密になれない孤独な性質である。どこかで自分は輪の中で外れ傍観する気持ちになっている。
(これではいけない)

 北下浦の会館で偶然テーブルを共にした四人、毎月の会食。・・・少し気持ちを重くして行ったけど、話は延々5時間に及ぶほどの饒舌(くたくた)
「わたしたちってどうしてこんなに気が合うんでしょう」と言う。(そうなの)

 海外はあっちにもこっちにも行ったという三人。(どこへも行ったことのないわたし)
 幾分か(大いに)話にずれがある。

 それでも、愉快に話を続けてわたしのバスの来る時間に合わせてお開き、バス停でわたしを見送ってくれる三人。
 どっと疲れて座り込むわたし・・・。


 三人の中のMさんは一目見たときに、どこかで会ったことがある・・・どこか・・・中学生のときのような・・・。
 懐かしい気持ち、11クラス、500人からいた同学年ゆえ、お互い面識はない。
 でも話の根底に同じ匂いを感じる。
 この人を見ていると同じ風土で同じ空気を吸っていた仲間だという強い連帯感が生じている。何を言っても肯けるし、何をしても一緒に笑える不思議な糸がある。
 Mさんが笑えばわたしも可笑しいし、Mさんが嘆けばわたしも胸が痛い。Mさんの話には自分のことのように感じ入ってしまう。

 縁あって寄り集っているわたし達・・・これから思いがけない発見や驚きがあるかもしれない。来月も第4金曜日、午前11時集合。(必ず行くつもり)

『風の又三郎』117。

2011-10-01 05:54:47 | 宮沢賢治
「五年生の人は読本の〔一字空白〕頁の〔一字空白〕課をひらいて声をたてないで読めるだけ読んでごらんなさい。わからない字は雑記帖に拾って置くのです。」

☆悟(真理に目覚める)念(思い)を称える神の説く品は傑/すぐれている。
 彼の聖なる得(恩恵)を説く辞(言葉)は、憎しみの鬼(亡霊)を弔い、修(正す)智(真理を悟り煩悩を断つ心の動き)である。

『城』612。

2011-10-01 05:43:34 | カフカ覚書
 ところで、Kがベットを離れてもよいだけの体力が回復したと感じたとき、三人はわれ先にと身のまわりの世話をしようと寄ってきた。

 ベット/Bett→wett/貸し借りなしである、縁が切れている。
 われ先にと/eilten→Eltern/両親、親。
 体力がある/Kraftig→Klaffen/ぎゃぁぎゃぁののしる。
 世話をする/bedienen→beedigen/真実であることを宣誓して保証する。

☆縁が切れ十分離れているのに、ののしられると感じたとき、全ての親はこちらが真実であることを宣誓し保証してくれる。