続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

昨日の歩こう会。

2011-10-13 06:37:55 | 日常
 よく晴れた秋の日・・・最高の日和の中JR戸塚駅から舞岡八幡宮、舞岡公園を経て丸山台公園を散策。

 上永谷・・・中永谷・・・K製版があり、散々京急上大岡駅からバスで通ったところ。懐かしいと同時にこんなに開けた整然とした住宅街を控えていたことに少しの驚き、今は昔の繰言。

 この辺りを詳しく説明するY氏。
「どうしてよく知っているんですか」と聞けば「港南区役所に勤めていましたから」という。(「ああ、そうなんですか、わたしはこの辺り内職で通ったんですよ」とは言いそびれてしまった。


 今でもあるのかな、K製版・・・「給料の遅配が心配で給料日近くになると動悸がするの、だってローンは待ったなしだから」と言っていたKさん、元気にしてるかな。保育所の補助金のための署名を毎年依頼されたけど、お子さんももう成人なさったはず。会いたいな。衰退産業の憂き目・・・仕事さえあれば今でも・・・ああ、そのことは考えない。仕事さえあればこんな遠くでも通ったわたしが懐かしい。


 そんなことを考えているうちに上永谷駅に。永谷天満宮に寄って解散となった昨日は歩き足りないと感じるくらいの行程。
 来月は大楠山から西海岸に下る・・・少しづつ体力がついて「歩こう会」が楽しみになってきたわたし。感謝、感謝。

 

『風の又三郎』129。

2011-10-13 06:19:37 | 宮沢賢治
「ではこゝまで」と云って教壇にたちますと一郎がうしろで
「気を付けい」と云ひました。そして礼がすむとみんな順に外へ出てこんどは外へならばずにみんな別れ別れになって遊びました。

☆運(めぐりあわせ)の況(ありさま)の談(はなし)の律(物事の基準となる決まり)は、宇宙的な存在による。
 鬼(亡霊)は普く運(めぐりあわせ)による例(なかま)である。
 巡(めぐる)涯(はて)を推しはかる我意では、別々の有(存在)になっていく。

『城』624。

2011-10-13 06:05:21 | カフカ覚書
「ああ、忠実だとも。しょっちゅうこちらの様子をさぐってばかりいやがって。とりたてて意味のあることではないのかもしれんが、いまいましいかぎりだよ」

 忠実/treu→trauer/悲しみ。
 しょっちゅう/fortwahrend→Fort wahren/砦、護る。

☆「ああ、悲しみだとも。砦を護って機会をうかがうのは意味がないが、いまいましいかぎりだよ」