続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『新聞を読む男』

2012-08-16 06:44:44 | 美術ノート
『新聞を読む男』という題であれば、まず新聞を読む男を意識して見る。
 しかし四分割された画面の左端にその男を認めるものの、残りの三つの画面に男の存在はない。酷似というか、まったく同一に見える部屋の設えには、男の不在が漂うばかりである。
 円柱形のストーブは人に近似した存在感を持つが、以て非なるものであり譲歩の余地はない。

 なぜ、『新聞を読む男』なのか・・・男は確実に描かれているが、確実に描かれていない三倍もの画面によってその存在は小さく見え、むしろ不在の大きさに鑑賞者は惑わされるばかりである。

 この作品全体をマグリットの精神内部に置き換えてみると、男(父親かもしれない)は、一見こちらを伺っている風ではあるが、関心は新聞(外部)にあるとマグリットは言っている、あくまで新聞を読んでいるのだと。否、男はこちら(マグリット/家庭内)に細心の注意を払っているのかもしれない。しかし、息子(マグリット)はそれを否定し、あえて「新聞を読む男」なのだと表題をつけている。この微妙な差異・・・息子が成長し大人になったからこそこの曖昧な状況を具体化しえたのだと思う。・・・客観的には自分を含む家庭内を見ていたようであり、主観的には新聞(関心は外部にある)を読んでいたのだとしか思えない。

 不在の連続・・・居ないという不安心理。(マグリットの描く原点でもある)

『新聞を読む男』は『父の肖像』ではないかと、思う。

『風の又三郎』413。

2012-08-16 06:32:40 | 宮沢賢治
みんなは、ひそひそはなしてゐます。すると又三郎は、いきなり両手でみんなへ水をかけ出した。みんながばたばた防いでゐましたら、だんだん粘土がすべって来て、なんだかすこうし下へずれたやうになりました。又三郎はよろこんで、いよいよ水を跳ね飛ばしました。するとみんなは、ぽちゃんぽちゃんと一度に水にすべって落ちました。

☆幽の太陽の霊で衆(人々)を推しはかる謀(計画)である。
 幽の太陽を推しはかることが、逸/かくれている図りごとを推しはかり絡めている。

『城』1005。

2012-08-16 06:11:31 | カフカ覚書
これは、どうも残念なことですし、わたしの気持としても、はなはだ不本意なことです。というのは、わたしの功名心というか、希望というか、それは自分にかんする膨大な書類の柱は積みあげられては、どさりと音たかくくずれ落ちることではなく、しがない測量師としてささやかな製図台にむかって仕事をすることなんですから」

 書類/Akten→Acht/追放。
 束(円柱)/saulen→sauer/不愉快な。
 製図机/Zeichentisch→Zeichen Tausch/印、交換。 
 ささやか/ruhig→Ruin/崩壊衰亡。

☆不本意なことです。わたしの意志、わたしの自尊心は、不愉快な追放がおこり、餞別された測量師(土地のないことに気付いた人)である氏族の印(烙印)崩壊衰亡への交換に対して、不在証明することなんです。