続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

八月三十一日。

2012-08-31 06:27:32 | 日常
 八月三十一日は一年中で最も寂しく忙しい日であったと記憶している。

(自由な日々への別れ)
(宿題を果たしていないことへの恐怖)

 この二つはわたしを追い詰めた。亡母は(どうするのかしら)と傍で心配していたと言うけれど、ただ一行・・・
『わかりませんでした』と記して提出した年があったらしい。

 叱られたという覚えもないのだけれど、そういう呑気な時代だったのかもしれない。


 この状況はわが息子にも連鎖して、『どうするの!』と一週間も前からわめきたてる母に変貌していたわたし。

 夏休みの最終日(今は事情が違うらしくすでに登校している様子)である八月三十一日は思い出すたびに切なく記憶を消してしまいたい思いに駆られる。

(再び学校へ行かなくてはならない)

 この重圧・・・家の前を通学していく子供たちを見るたびに《頑張れ!》と、秘かに檄を飛ばしている。

 指折り数えて大人になり解放される日を待ったのに、月日は飛ぶように速く過ぎ、無関係な日々をもてあましている。

『風の又三郎』427。

2012-08-31 06:17:39 | 宮沢賢治
一郎はすばやく帯をしてそして下駄をはいて土間を下り馬屋の前を通って潜りをあけましたら風がつめたい雨の粒と一緒にどうっと入って来ました。

☆宇宙の他意、化(形、性質を変えて別のものになる)の他にも図りごとを兼ねている。
 果(終末)の真(まこと)、奥(奥義)の全ての二つを宣べている。
 普く有(存在)が留まり逸/かくれている初めての新しい記(記述)である。

『城』1019。

2012-08-31 06:06:54 | カフカ覚書
ラーゼマンだって、やれやれ助かったとおもうでしょうな。けれども、ブルーンスヴィックはあのころはかなりの勢力をもっていましてね。べつに雄弁というのじゃないが、なんでもわめきたてて大ぶろしきをひろげる男で、それだけでもまんまと乗せられてしまう連中がすくなくないのです。

 あのころは/damals→mals/傷痕。
 ein→Ahn/先祖。
 わめきたてる/schreier→schreibe/書かれたもの。 

☆けれどもブルーンスヴィック(激情の人)はこの傷痕に勝利を得て勢力を持っていました。別に雄弁と言うのではなく、先祖が書いたもので十分乗せられてしまう連中がすくなくなかったのです。