続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『赤いモデル』

2012-08-27 14:27:26 | 美術ノート
マグリット『赤いモデル』
 このおかしな靴の奇妙さばかりが目に付く作品の意味は何だろう。

『赤』といえば血液、生命・・・。
 あるいは赤字から不足・・・。
 あるいは共産主義についてか・・・。

 思いを巡らせて見る、観る、凝視する。
 板で隔てられた空間は質素であり、釘跡が見えるので辛うじて裏で支えられていることが判明、もちろん全面的に信用の出来る造作として描かれているわけではない。
 落ちている数個のコイン。ぎりぎりまで吸ったと思われる煙草の吸殻とマッチ、捨てられたヌードの切り抜き。
 最も異様なものは、素足と革で作った靴との結合。
 そして小石のざらつく地面。

 少なくとも豊かと言うイメージではない。素足に小砂利は痛いだろうし、コインは小銭・・・。けち臭い煙草の吸殻は嗜好品の貧しさであり、捨てられたヌード写真の切り抜きは快楽の抑制を意味しているのかもしれない。

 とすると、あの足先と結合した靴は頑強な労働者の靴、素足は強制的かつ重労働を想起させる。
 
『赤』は、共産主義を意味し、過酷な労働を暗示する。肉体上部が描かれていないのは『個性の喪失』ではないか。作品の大部分を占める虚しいほどに張られた板の等間隔、横線。削られただけの板は質素なイメージ。・・・これは虚飾を排した平等を暗示しているに違いない。何に支えられて在るのか、危うい平等である。
 赤い血の流れるべき肉体の喪失(不足)したこの作品・・・共産主義という現象を説明するための暗示、単純化した仮説としての作品なのだと、わたしは解釈する。
 マグリットの静観、答えは作品の中にある。
                                (写真は西村書店『シュルレアリスムの絵画』より)

未来?

2012-08-27 06:50:41 | 日常
 二十四時間テレビのテーマは『未来』

 わたしにとっての未来・・・65才のわたしの未来はどれくらいあるのなか?

 とにかくはっきりしているのは死ぬまで生きなくてはならないという基本的な事実。健康への願い、自分の足で歩き続けることへの執着・・・(そのほかはどうでもいい)というわけでもない。未練?

 宿題を地道にクリアーしていくライフワーク。無に帰していく徒労だとしても構わない。なぜか自分の中でやらねばならないと決めている仕事にわたし自身が逆らえない。

 無心論者に近い考え・・・だから信仰者であったり、信仰を否定するような立場にないノンポリ凡人。それなのに、どういうわけか強く押されるような運命を感じて思考し続けている。何かを否定しようかとか、攻撃することも視野にない。ただひたすらカフカや賢治、独歩の考えに忠実に耳を傾けているに過ぎない。

 地道な作業に未来は感じられないけれど、行間の中に見る真実に胸を打たれ共感し、喜びを得るという至福。極めて個人的な喜びかもしれないけれど、それがわたしにとっての進行中の未来である。

『風の又三郎』423。

2012-08-27 06:41:39 | 宮沢賢治
   九月十二日、第十二日

 九月はク・ツキと読んで、空、付き。
 十二日はジユウ・ジ・ヒと読んで、自由、字、陽。
 第十二日はダイ・トウ・ジ・ジツと読んで、題、等、慈、実。

☆空に付き、自由な字(文字による)太陽。
 題(テーマ)は、等(平等)である慈しみの実(内容)である。

『城』1015。

2012-08-27 06:18:55 | カフカ覚書
「皮屋のラーゼマンのですか」と、Kはたずねて、ラーゼマンのところで会ったひげ面の男のことを話してきかせた。
「そう、その男です」
「彼の奥さんも知っていますよ」Kは、いくらか当てずっぽうに言った。

 皮屋/Gerber→Garbe/光の束。
 ラーゼマン/Laseman→Lase man/読む、人。

☆「光の達人?」と、Kはたずねて、読み解く人のところで会った気性の激しい人について話してきかせた。
 「そう、そうです」
 「自由の存在を知っていますよ」と、Kは運を天にまかせて言った。