続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

日常の試験?

2013-10-05 06:45:34 | 日常
 買い物・・・それは必要に迫られて行う生活の基本である。

 お使いに出る・・・惣菜の材料であったり日用品であったりと様々だけれど、わたしのような無精者は出たときに出来る限りの物を買う。もう今後一切買い物はしなくて済むくらいの心積もりで。
 だから帰り道の我が姿はむさ苦しいほどに物を背負い両手はいっぱい。よろよろと遭難者がやっと山から下りてきた時のような衰弱しきった顔つきだと想像するに難くない。


 重い荷物を背負い、やっとの思いで一歩一歩と、のめりながら歩く頭の中は空っぽ。(一刻も早く無事家に帰り着きたい、ただそれだけ)ため息をつきながら、力を振り絞って前進する。

 重いということだけで疲労困憊の頭のなかで、わたしは考える。

《一体何を買ってこんなに重いのだろう》

 牛乳二本、ソース、じゃが、芋玉葱・・・お砂糖・・・ああ、もう思い出せない。青菜も買ったけど下の方で押しつぶされてはいまいか・・・玉子もあるから床に置くときに《ドン》と置かないようにしなくては・・・もっと、もっとほかの物も買っているはずだけれど、思い出すことは不可能。

 
 そんな思いで家に帰り、冷蔵庫や収納を確かめると、(あらっ、無いと思っていたソースが三本もある)重複の予備品・・・。

 買ったものを思い出せず、買ってきたものを確認すれば重複。(冷凍するとしても、生ものは最悪)


 わたしの日常の試験は平均点以下、特売品を積み重ねてどうする! マイナス点が多く、追試験は必至。(長いこと・・・生涯の赤点組、汚名返上の賢い暮らしはできるだろうか)

『ポラーノの広場』110。

2013-10-05 06:36:07 | 宮沢賢治
「さうかい。ぼくにはよくわからないなあ。」
 そのときまた声がしました。
「ファゼーロ、おいで。お使ひに町へ行くんだって。」
「あゝいま行くよ。ぼくは旦那のとこへまっすぐに行くんだが、おまへはひとりで競馬場へ帰れるかい。」


☆照(普く光があたる=平等)の旨(こころざし)は、超(飛びぬけて優れた)考えである仰ぐ譚(話)を納めている。
 講(話)は教(神仏の教え)の場として常に記している。
 

『城』1405。

2013-10-05 06:25:54 | カフカ覚書
クラムが降りてくるまで、なぜこんなに長くかかるのだろう。雪のなかに長いこと立っていたあとなので、このあたたかさにぼうっとなって、Kは、クラムが早く来てくれればよいのにとおもった。

 降りてくる/herunter・・・零落する、衰弱する。
 雪/Schnee→Schnurre/馬鹿話。
 あたたかさ/warme→warnen/警告する、用心する。

☆なぜ氏族が衰弱するまで長く続けたんだろう。馬鹿話の中に長いこと留まっていた小舟への警告で、Kは、氏族の決定的な出現を望んだ。