続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

それなりの自分。

2013-10-28 06:50:04 | 日常
 Tさんの手作りの品を見せていただくと、自分の手作りのお粗末が判明する。彼女の場合、先ずその道の先生につき指導を受けているから、材料も手順もしっかりしているし、部品なども手芸材料店で求めている。だから、見栄えも既製品に劣らないどころかむしろランクアップ、立派な高級品である。

 引きかえ、わたしの手作りは安直で大雑把、どことなく貧相でチープな仕上がり。比較すること自体無理な話なのだけれど、それでも現実に見比べて(がっかり)することが多い。


 ずうっと、そう。お金をかけるということを、どこかで諦めている。それでも作ることが好きで、次から次と役にも立ちそうもない物を性懲りもなく作っては無駄に時間を潰している。

 Tさんを羨む反面、尊敬している。お金持ちと言ってしまえばそれきりのことだけれど、無謀な買い物をしているわけではなく、ごく堅実に自分の手で、より高度なものを仕上げるための努力を惜しまないだけなのである。
「作り出すと止まらなくて、夜中の一時二時までやってしまうのよ」と熱意を語るTさんは素敵! いろいろ見せていただいていると、感動もするし、ため息も出る。(とてもここまでは・・・)


 不器用で気短か・・・これでいいものを望むのはちょっと無理。
 でもいいわ・・・それなりの自分で、これからも行く・・・行くしかないもの。

『ポラーノの広場』133。

2013-10-28 06:36:57 | 宮沢賢治
 わたくしどもはまたあるきだしました。俄かにどこからか甲虫の鋼の翅がりいんりいんと空中に張るやうな音がたくさん聞こえてきました。


☆餓(食物が足りなくて生命を維持できなくなる)による荒(ききん)の衷(心の中)、考(思い)を詞(言葉)にすることは空しいけれど、衷(心の中)を聴くことによる文(話)である。

『城』1428。

2013-10-28 06:25:24 | カフカ覚書
「わたしは、ここである人を待っているのです」と、Kは言ったものの、もはやクラムに会えるという当てはなく、ただ原則を盾にとってそう答えたまでだった。

 当て/Hofnung→Hof/太陽の暈。
 盾にとって/grundsatzlich→Grund satz/基本的な、命題。

☆「わたしは、ここである人を待っている」と、Kは言った。さらに、ハロー/太陽の暈(死の入口)は、何かの結果ではなく、基本的な命題(信条)である。