続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

鶏が飛んだ!

2013-10-27 07:00:30 | 日常
 バードウオッチング・・・津久井方面に行く予定だったけれど、台風のため座学。

 先生が、鳥類に関する用語などを説明し「鶏は飛べません(一般的に)」と言われたとき、あの光景が脳裏を走った。

 息子が幼稚園児だったとき、近所の家で飼っていた鶏が庭から道路に出てきた。それを見た悪戯好きのあっちゃんが棒で追いかけたら、なんと佐藤さんの家の屋根に垂直に飛んだ。佐藤さんの家は斜面にあるため高台に作られている、その二階の屋根は三階建ての屋根に等しい高さで、その高さをものともせず追いかけられた助走だけで見事に飛び上がったのである。(びっくり仰天) その後、鶏は屋根から屋根へと飛び越えて行方知らずになってしまった。鶏の飼い主は「いいんですよ、姉から貰ったものの早朝から鳴くので、ご近所に迷惑だと思い、持て余していたんです。」と言い、しきりに謝るあっちゃんのお母さんを逆に慰めていたことを鮮明に思い出した。

「先生、鶏は飛びますね」と、言うと、
「はい、鶏は飛びます。通常は飛びませんけれどね、ブロイラーなども飛びません、飛ばないように飼育されていますから。木の枝に暮らす鶏も報告されていまして、原種は赤色野鶏といい、日本では名古屋コーチンなどがその類にあたるでしょう」と話された。

 あの鶏はどうしたかしら、衝撃とともに胸の痛む出来事だった。そういえば、衣笠山では野生化した鶏二匹を見たことがある。飼いきれなくなって放したと思われる。終戦後はどこかしらの家で鶏を飼い、卵はもちろん鶏も貴重な食料源だった。現に我家でも鶏の首を絞め、切り落とし、逆さに吊るして血を流し出し、湯に浸し、羽をむしり・・・残酷すぎてAh・・・。(その光景を見たために今でも鶏肉は食べられないと言う人もいるし、そのプロセスを出来ると言ったため、見知らぬ人からの依頼を受けたと言う人もいる)
 今でも誰かが・・・でないと、食べられない。鶏肉は安くてカロリーも低く手ごろな食材・・・でも、でも・・・いろいろ考えると、うーん・・・。

 すっかりブルーになってしまったけど、次回は「衣笠山」でのバードウオッチング、楽しみ。

『ポラーノの広場』132。

2013-10-27 06:47:51 | 宮沢賢治
「次のしるしはもう見えないんだ。けれども広場はちゃうどこゝからまっすぐ西になってゐる筈だからあの雲の少し明るいところを目あてにして歩いて行かう。もうそんなに遠くはないんだから。」


☆二つ現われる講(話)は常に再び活/動く。
 運/めぐる章(文章)の妙(不思議)を黙っている。
 部(区分けする)講(はなし)は、延(空間が広がる)である。

*ちなみに広場は基本的にコウ・ジョウと読んで、黄壌(黄泉、冥土)。

『城』1427。

2013-10-27 06:24:31 | カフカ覚書
「わたしといっしょにおいでなさい」と、紳士は言った。それは、命令的な口調ではなかった。しかし、命令は、言葉そのもののなかではなく、その言葉を口にしながらわざと冷淡そうにちょっと片手をふってみせた、その動作のなかにふくまれていた。

 命令/befehlen→befehden/戦う、争う、反目する。
 紳士/Herr→Heer/大群。

☆「わたしといっしょにおいでなさい」と、大群(大勢の死んだ人たち)は言った。それは争うためではなかったが、反目は言葉にはなく、故意の無関心にあった。