好奇心はあるけれど、それが自身の成長に結びついているかは甚だ疑問である。
でも、幼児の成長には驚かされる。自分の子供の時は小さな成長を見逃して来たけれど、孫という少し離れた客観的な立場だと、それを如実に実感する。
四才の孫、ついこの前までは電話での話も切れ切れだったのに最近では、こちらがもう話を切り上げようとしたら「まだ、キヨちゃんはもう少しお話がしたいの」と言ったのでビックリ。お父さん(息子)と公園に行って来た話や砂場で大きな山とトンネルをこしらえた話をし、「ぼくは四才だけど次には五才、六才、七才・・・」と言ったので、
「おばあちゃんなんか、もう六十六才だよ」と言ったら、
「そう、すごいね、すごく早く進んじゃったねぇ」と、笑わせてくれた。
毎日が成長、毎日が発見・・・小さな子供の眼を見習いたいな。
(そんなこと分かっている)当たり前の日常に発見はない。少しの差異にも感動する子供の眼に立ち返り、余生ではなく、新しい自分との付き合いを始めたい。
まだまだ・・・外観は年寄りそのものかもしれないけど、心の中は(リ)フレッシュ。
(まだまだ、これから)世間に向けて不敵に笑っている年寄りって・・・可愛くないかも
でも、幼児の成長には驚かされる。自分の子供の時は小さな成長を見逃して来たけれど、孫という少し離れた客観的な立場だと、それを如実に実感する。
四才の孫、ついこの前までは電話での話も切れ切れだったのに最近では、こちらがもう話を切り上げようとしたら「まだ、キヨちゃんはもう少しお話がしたいの」と言ったのでビックリ。お父さん(息子)と公園に行って来た話や砂場で大きな山とトンネルをこしらえた話をし、「ぼくは四才だけど次には五才、六才、七才・・・」と言ったので、
「おばあちゃんなんか、もう六十六才だよ」と言ったら、
「そう、すごいね、すごく早く進んじゃったねぇ」と、笑わせてくれた。
毎日が成長、毎日が発見・・・小さな子供の眼を見習いたいな。
(そんなこと分かっている)当たり前の日常に発見はない。少しの差異にも感動する子供の眼に立ち返り、余生ではなく、新しい自分との付き合いを始めたい。
まだまだ・・・外観は年寄りそのものかもしれないけど、心の中は(リ)フレッシュ。
(まだまだ、これから)世間に向けて不敵に笑っている年寄りって・・・可愛くないかも