続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

これからも新しく。

2013-10-20 06:47:00 | 日常
 好奇心はあるけれど、それが自身の成長に結びついているかは甚だ疑問である。

 でも、幼児の成長には驚かされる。自分の子供の時は小さな成長を見逃して来たけれど、孫という少し離れた客観的な立場だと、それを如実に実感する。

 四才の孫、ついこの前までは電話での話も切れ切れだったのに最近では、こちらがもう話を切り上げようとしたら「まだ、キヨちゃんはもう少しお話がしたいの」と言ったのでビックリ。お父さん(息子)と公園に行って来た話や砂場で大きな山とトンネルをこしらえた話をし、「ぼくは四才だけど次には五才、六才、七才・・・」と言ったので、
「おばあちゃんなんか、もう六十六才だよ」と言ったら、
「そう、すごいね、すごく早く進んじゃったねぇ」と、笑わせてくれた。

 毎日が成長、毎日が発見・・・小さな子供の眼を見習いたいな。

(そんなこと分かっている)当たり前の日常に発見はない。少しの差異にも感動する子供の眼に立ち返り、余生ではなく、新しい自分との付き合いを始めたい。
 まだまだ・・・外観は年寄りそのものかもしれないけど、心の中は(リ)フレッシュ。

(まだまだ、これから)世間に向けて不敵に笑っている年寄りって・・・可愛くないかも

『ポラーノの広場』125。

2013-10-20 06:38:03 | 宮沢賢治
「さあ、こっちへ行くんだ。向ふに小さな樺の木が二本あるだらう。あすこが次の目標なんだよ。暗くならないうちに早く行かう。」ふぁぜーろはどんどん走り出しました。
 ほんたうにそこらではもうつめくさのあかりがつきはじめてゐました。わたくしもまたファゼーロのあとについて走りました。


☆光の講(はなし)である。
 照(普く光があたる=平等)の価(ねうち)を黙って字で翻(形を変えてうつす)。
 二つの黙って現われる案(考え)がある。
 想(思いめぐらす)考えを捜し、推しはかり、総/まとめている。

『城』1420。

2013-10-20 06:08:12 | カフカ覚書
もしやおれがこの中庭へはいりこんだことをひどいと言っているのだろうか。
「どうしてこんなところにいらっしゃるのですか」
 紳士はすでに小声になり、ゆっくり息をはきながら、いったん起ったことはどうしようもないとでもいうような、あきらめに似た口ぶりでたずねた。なんという質問だろう!なんと答えたらよいのだろう!

 息をはく/ausatmend・・・息を引き取る。
 答える/Antworten→entwurdigen/~の尊厳を冒す。

☆もしやわたしがこのハロー(死の入口)にはいりこんだことを、ひどいといっているのだろうか。「どうしてここいるのですか」と大群(死んだ人々)は、すでに息を引き取っており微かな声で、こうなったことは取り消しがたいというように訊ねた。
 なんという質問だろう!なんという尊厳の冒涜だろう!