続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

犬も歩けば・・・。

2013-10-16 06:33:34 | 日常
 犬も歩けば棒にあたる・・・世の中は偶然に満ちている。

 明日は何が起るかわからない、一寸先は闇ではなく『一寸先は光』と言ったのを最近聞いている。なるほどな、と感じ入ってしまった。「逆も真なり」全ては表裏一体、偶然は必然かもしれない。

 なぜ犬だったかを考えてみると、要するに意図せず大望を抱かないでも・・ということで、目的意識がなくとも歩いてさえいれば何かに出遭うはずということかもしれない。

 淡々と、薄い努力で生きている。もっと貪欲になれたらと思う。わたしのなかには大きく(諦念)の作用が働いていて、それがわたしという枠を壊せないのである。他人頼み、他人思考に乗る、人が居てわたしが居るといった(ずるずるしたゆるい感度)の日常である。

「わたくし」は人の前に出てはならず、「わたくし」は常に人の後ろを歩くことで安心を得ている。謙虚というより怠慢、ずるくて影の薄い存在、それがわたくしである。

 犬だ・・・犬のようだ! と思うことがある。
(犬でもいい)と、思っている。

 犬も歩けば・・・、わたしは犬かもしれない。


*ちなみに自身の名前を出しているブログであるけれど、この名前に関してはカフカ作品に対する飛躍を十分気をつけ責任を持たねばという気持からであって、名前を誇示したいわけではない。(この名前は第二の名前であり、わたしであってわたしでない名前でもあるという気軽さも無くはない)

『ポラーノの広場』121。

2013-10-16 06:26:35 | 宮沢賢治
「どんななりでもいゝぢゃないか。早く行こう。来てる人が誰だかぼくもわからないんだ。」
 わたくしは大急ぎでネクタイを結んで新しい夏帽子を被って外へ出ました。


☆双(二つ)の考えに頼る図りごとを推しはかる。
 題(テーマ)を究(つきつめる)決(覚悟)である。
 辛(つらく苦しい)禍(不幸、災難)を暴(明らかにする)旨(考え)である。
 秘(秘密)の我意を遂(なしている)。

『城』1416。

2013-10-16 06:09:43 | カフカ覚書
ただひとつ安心できたことは、それがクラムでないということだった。それとも、これは、残念なことだったと言うべきだろうか。出てきたのは、Kがすでに二階の窓のところにいるのを見かけた紳士だった。

 クラム/Klamm→klan/氏族。
 紳士/Herr→Heer/軍隊、大群。
 窓/Fenster→Finsternis/蝕。
(二階の?最初)ersten→arrest/禁錮。

☆ただひとつ慰められたのは、彼がクラム(氏族)でないということだった。それともこれは非常に重要な意味なのだろうか。出てきたのは、すでに蝕(死の入口)に禁錮で停滞しているのを見かけた大勢の人たちだった。