続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

残念なわたし。

2013-10-25 07:04:36 | 日常
 どうもピントが外れている、呆けていると言ってもいいかもしれない。 

 先日の植物観察のときも集合時刻を勘違いして、自分では(まだ時間はある、間に合って良かった)という気持ちで悠々と駅に向かった。知人には手を振って見せたりして・・・。
 集合場所では衣笠CCの方が急ぎわたしに質問、
「渋滞していたのですか?」
「・・・?いいえ」と、にっこり。(この辺りが、すでにおかしい人になっているわたし)

 友人のそばに行くと、
「あなたさぁ、遅れてきたのにのんびり歩いて!」と、指摘された。《えっ?遅刻だったの》
「9時15分集合だったから、わたしは8時35分のバスで来たけど、みんな結構集まっていたわよ」

 ショック!(9時30分集合だと思っていたから、9時5分のバスで・・・)
 皆様、本当にごめんなさい。でかい態度(太っているうえに、膝に支障があって歩行困難なものだから)で現われたわたしを許して!


 山での植物観察が終わり解散。すると友人が、
「わたしは用事があるから十字路まで歩くわ」と言ったのを受けて、
「わたしも商店街で買い物をするから十字路まで歩くわ」と。

 十字路でバイバイしてハッとした。あの日、お財布を忘れたことを忘れていた。無一文で買い物は出来ない。

 何かそんな風にわたしはとろい。残念な傾向ではあるけれど、認めないわけにはいかない。
 本当に悔しいほどに、残念なわたしである。

『ポラーノの広場』130。

2013-10-25 06:46:24 | 宮沢賢治
処々にはせいの高い赤いあかりもりんと灯りその柄の所には緑いろのしゃんとした葉もついていたのです。

 処々はショ・ショ・と読んで、諸、書。
 高いはコウと読んで、講。
 赤いはシャクと読んで、釈。
 灯りはトウと読んで、悼。
 柄はヘイと読んで、併。
 所はショと読んで、諸。
 緑いろはロクと読んで、録。
 葉はヨウと読んで、要。

☆諸(もろもろ)書く講(はなし)の釈(意味を解き明かす)。
 悼(死の悲しみ)を併せ、諸を録/文字に書き記している。これが要である。

『城』1415。

2013-10-25 06:30:14 | カフカ覚書
しかし、ほんとうにまずかったのは、相手の出現におどろいて、姿を隠してくらむを待つだけのゆとりがなかったこと、あるいは、橇のなかにいて、扉をしめ、毛皮のうえにすわってクラムを待つだけの、すくなくとも、この紳士がそばに来るまで橇のなかに身をひそめているだけの気持の落着きと思慮がなかったことだ。

 待つ/warten→werten/評価する。
 橇/Schlitten→Schrift/書いた物、文字。
 紳士/Herr→Heeer/大群。
 クラム/Klamm→klan/氏族。

☆しかし、ほんとうに不快だったのは、相手の出現に驚いて、姿を隠し、クラム(氏族)を評価するだけの十分な時間がなかったことだ。書いた物(文字)のなかの企てを推論し、クラム(氏族)を支え来世にとどまり、クラムを評価するだけの、すくなくとも、この大群(大勢の死んだ人々)がそばに来るまで、書いた物(文字)のなかにとどめているだけの平静さがなかったことである。