続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

だらしない生活。

2014-02-04 06:14:30 | 日常
 時は瞬く間に過ぎていく。何と言っても外出を億劫がるわたしにはさほど面白いことも無く、淡々と目立たないように息を殺していた経過だといっても過言ではない。

《これではいけない!》と、自分の生き方を否定するくらいの活力はあったかもしれない。けれど、その後の一歩がなかなか踏み出せない。
 50才になったころ、「お母さんは、これから美術館通いをする」と言って息子に大笑いをされたことがある。そしてその通りその年には一度も美術館へは行かなかった。

 どこへも行かないで閉じこもり生活をしていたわたしに、来るべき警告が鳴った。膝痛である。どうにもギコギコ油が切れたような不自然な痛み・・・。
 歩かなくては!・・・どこへ? 
 公民館の講座で衣笠山を歩いたときの感激は忘れられない(歩けたんだ!)というこみ上げるような喜び。(このフィールドワークの解散地点が家のすぐそばだったので申し込んだ記憶がある。どんなに疲弊していても何とか家に帰りつくだろうという、いじましくも切ない覚悟だった)

 その後も公共機関などのイベントへ参加している。どれも積極的と言えない程度の活動(?)だけど、萎れていくわたしの潤滑油になっていることは確かだと思う。


(まぁ、こういう人間、この程度の人間である。)
 でもこれ以上年を重ねて(ああ、あの時に行っておけば良かったのに)と後悔したくない。(後悔だらけだけど)


 ほどほどに折り合いをつけて、何とか、頑張っていきたいと思っている。

『城』1525。

2014-02-04 05:59:05 | カフカ覚書
むろん、この希望についてこれ以上くわしいことは申しあげられませんし、とくにモームスさんは、秘書としての職掌柄、たとえかすかな暗示のようなことさえほのめかしたりはできないでしょう。

 ~さえ~できない/niemals→nei mals/決して~ない、目印。

☆もちろん、これ以上ハロー(死の入口)について詳しいことは言えません。とくに秘密の大群(大勢の死んだ人たち)の決定的な特徴、たとえ、かすかな暗示のようなことでさえ、目印は決してありません。