続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

雪の日の思い出。

2014-02-10 07:00:12 | 日常
 こちら(三浦半島)では滅多に雪は積もらない。その雪が積もった日の事は、逐一覚えているほど記憶に刻まれている。

 小学校低学年のころ、大雪が降って嬉しくてたまらず外で飛び跳ねて遊び、手にした雪の純白を今しも口に運ぼうとしたとき、母の声がした。
「決して食べたりしてはいけないよ、放射能で汚れているからね」という厳しい叱責だった。
 第五福竜丸のことが新聞に大きく報じられ、子供心にも目に見えない放射能に恐怖を感じていたころの話である。

 ひどく気落ちして、雪のまばゆい白さを恨めしく眺めたあの日。
 それでも、近所に咲いたチューリップの色鮮やかな赤・白・黄色の花が、雪の中から見えたメルヘンチックな光景は忘れがたい。


 雪景色のロマン、その下の過酷。
 高校生のころに降った雪・・・まさか学校へは行かれまいと雪道を眺めていたら、肩をぽんと叩く人がいた。驚いて顔を見ると隣のクラスのNさんである。彼女の家からは、すでに4キロくらいは歩いて来ている。学校まではさらに3キロはあると思うのに、異に解さないという風な感じで、にっこり笑っていた。

 結局、わたしも学校に向かうことになり、途中クラスメートも交えて三人で辿り着いた時には、すでに休校の張り紙が・・・連絡網も何もないころの話である。
 教室で一休みしていると、突然歓声が上がった。S君の登場だった。S君は三浦三崎の人、三浦三崎から学校までは好天でも歩き徹すには余程の覚悟がいる距離。それをこんな日に!

 NさんもS君も立派過ぎて到底わたしの及ぶところではない。

 ああ、わたしはあのころから頑張りの足りない人間だった。自分の事ながら、本当に残念な人間であるわたしの末路も・・・補える努力(余力)は、あるだろうか。


 雪の日の思い出は尽きない。

『ポラーノの広場』235。

2014-02-10 06:43:00 | 宮沢賢治
窓の外の桜の木の向ふをいろいろの人が行ったり来たりしました。

 窓はソウと読んで、双。
 外はガイと読んで、我意。
 桜はオウと読んで、負う。
 木はキと読んで、記。
 向ふはコウと読んで、光。
 人はジンと読んで、要。
 行ったりはコウと読んで、講。
 来たりはキと読んで、記。

☆双(二つ)の我意を負う記である。
 光が要の講(はなし)の記である。

『城』1531。

2014-02-10 06:27:40 | カフカ覚書
「そして、あなたは、この調書によって少なくともそれくらいの事はかなえられるではありませんか。いいえ、ひょっとしたら、それ以上のことだって達成できるかもしれないのですよ」
「それ以上でことですって。どういうふうにしてできるんですか」
「あなたは、なんでもすぐに食べられるように料理してもらわないと気がすまない人ですが、そんな子供みたいな真似をおやめになりさえすればいいんです。


☆あなたは、この記録によって少なくともそれくらいの事はかなえられるのではありませんか。ひょっとしたら、更に死についても」「死についてですって、どういうふうにして?」
「いつもという訳ではありません。場末の先祖の死は同じようにエッセネ派の信徒とされるのでしょうか。