続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

あらっ、もう雨。

2014-02-27 06:59:43 | 日常
「明日は昼前後、遅くとも夕方ごろには雨になるでしょう」との予報を受けて、今朝は早くに洗濯を済ませ、雨戸を開けたらすでに外は雨。

 焦がれていた雪の過酷を味わってみると、雨は救いのようにも思える(雨でよかった、この際、氷雨でもいいの)

 毎日空を見ながら暮らしている。天気予報を確認して明日を考える。
 桜前線が迫ってきているのも嬉しい。
 お花見・・・若いころには感じなかった桜への恋情。(来年もこうして見ることが出来るかしら)という危惧が微かにうごめく。
 当たり前のことが、突然塞がれてしまう予感・・・不吉。そういう感情が自身を蝕んでくると、一気に世界から突き放され、孤独に陥る。そういう自分に渇!
 
 ♪雨のち晴れるや~♪

 必ず晴れる明日は来る!と信じて、前向きにいく。

 六十七歳に明日は無いと思いたくない。六十七歳にも明日は来るし、明るい未来はある(かもしれない)。まずは、こうして可もなく不可もない状況に感謝すべきで、「あらっ、もうこんな年なの」などと、愚痴りたくない。

『ポラーノの広場』252。

2014-02-27 06:37:45 | 宮沢賢治
「うん。二十七日。どこでだ。」
「あれは何といふ道路ですか、経会の横から、村へ出る道路を一キロばかり行った辺りです。」


☆普く自由な死地の化(形、性質を変えて別のものになる)。
 果(原因があって生じるもの)の導く路(すじみち)には恐ろしい戒めがある。
 往(人が死ぬこと)の存(存在)を推しはかる。
 如何、露(姿が現れるか)逸(かくれて)変っている。

『城』1548。

2014-02-27 06:03:26 | カフカ覚書
 第十章

 Kは、戸外に通じる、風の吹き荒れている階段に出ると、闇の中をじっと見すえた。なんともひどい天候だ。

 階段/Freitreppe→frei Tramp/自由、渡り者。

☆十章/街上で(Strasse→Strafe/罰を暗示しているかもしれない)
 彼は外へ向かって悲しくも意のままの渡り者として、食(死の入り口)を見つめた。