ワークショップ(美術館)の課題に「美しさ」を考えてくるようにとの指示があった。五感に心地よく麗しい感触を与えられるもの、というのが通常の答えである。
美しいと表するとき、まずは視覚からの反応が一般的かもしれない。もちろん美しい音色、美味、芳しい香り、優しい触感は外せない。けれど、それらの情報は視覚を併せての感想であることが圧倒的に多いのではないかと思う。
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる
この叙情、繊細さは、日本人特有の美意識かもしれない。抽象的な感傷である。
「美しさ」は、ある意味抽象的であって、これという定番はない。
「汚い色と思われる色であっても、隣に合わせる色によって輝き出すことがある。星の数砂の数ほどある彩色の組み合わせは限りない美を孕んでいる」とは某哲学者の言葉である。
『美は乱調にあり』は瀬戸内晴美の小説のタイトル(もしかしたら「岡本かのこ伝」だったかもしれない)。岡本太郎は「美しくあってはいけない、心地よくあってはいけない、きれいであってはいけない」という風なことを言っている。
美の概念を覆す戦闘的な発言である。
平和は美しく戦争は醜悪であるという正義。しかし戦火も意味を失いさえすれば、遠く美しい火花となる。矛盾だろうか、美の短絡。
自然は並べて美しいという。人為的でないことは称えられるが、一方では巧みの美に驚嘆の声が上がる。
多くの存在は表裏一体である。一方を見れば他方は見えない、ゲシュタルトの心理学を考えるまでもなく、美の奥行きは深い。
ワークショップ当日までに「美しいものを探してきてください」という一文に、こんなややこしいことを妄想するわたしは変わり者だろうか。
光り・・・見えることに帰していくであろう美の範疇。
(葉山の美術館は遠い)などと思わずに、自分に負荷をかけることこそ大切なのだと思いたい。
美しいと表するとき、まずは視覚からの反応が一般的かもしれない。もちろん美しい音色、美味、芳しい香り、優しい触感は外せない。けれど、それらの情報は視覚を併せての感想であることが圧倒的に多いのではないかと思う。
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる
この叙情、繊細さは、日本人特有の美意識かもしれない。抽象的な感傷である。
「美しさ」は、ある意味抽象的であって、これという定番はない。
「汚い色と思われる色であっても、隣に合わせる色によって輝き出すことがある。星の数砂の数ほどある彩色の組み合わせは限りない美を孕んでいる」とは某哲学者の言葉である。
『美は乱調にあり』は瀬戸内晴美の小説のタイトル(もしかしたら「岡本かのこ伝」だったかもしれない)。岡本太郎は「美しくあってはいけない、心地よくあってはいけない、きれいであってはいけない」という風なことを言っている。
美の概念を覆す戦闘的な発言である。
平和は美しく戦争は醜悪であるという正義。しかし戦火も意味を失いさえすれば、遠く美しい火花となる。矛盾だろうか、美の短絡。
自然は並べて美しいという。人為的でないことは称えられるが、一方では巧みの美に驚嘆の声が上がる。
多くの存在は表裏一体である。一方を見れば他方は見えない、ゲシュタルトの心理学を考えるまでもなく、美の奥行きは深い。
ワークショップ当日までに「美しいものを探してきてください」という一文に、こんなややこしいことを妄想するわたしは変わり者だろうか。
光り・・・見えることに帰していくであろう美の範疇。
(葉山の美術館は遠い)などと思わずに、自分に負荷をかけることこそ大切なのだと思いたい。