続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ワークショップの課題。

2014-02-26 06:34:06 | 日常
 ワークショップ(美術館)の課題に「美しさ」を考えてくるようにとの指示があった。五感に心地よく麗しい感触を与えられるもの、というのが通常の答えである。
 美しいと表するとき、まずは視覚からの反応が一般的かもしれない。もちろん美しい音色、美味、芳しい香り、優しい触感は外せない。けれど、それらの情報は視覚を併せての感想であることが圧倒的に多いのではないかと思う。

 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる

 この叙情、繊細さは、日本人特有の美意識かもしれない。抽象的な感傷である。
「美しさ」は、ある意味抽象的であって、これという定番はない。

「汚い色と思われる色であっても、隣に合わせる色によって輝き出すことがある。星の数砂の数ほどある彩色の組み合わせは限りない美を孕んでいる」とは某哲学者の言葉である。

『美は乱調にあり』は瀬戸内晴美の小説のタイトル(もしかしたら「岡本かのこ伝」だったかもしれない)。岡本太郎は「美しくあってはいけない、心地よくあってはいけない、きれいであってはいけない」という風なことを言っている。
 美の概念を覆す戦闘的な発言である。

 平和は美しく戦争は醜悪であるという正義。しかし戦火も意味を失いさえすれば、遠く美しい火花となる。矛盾だろうか、美の短絡。


 自然は並べて美しいという。人為的でないことは称えられるが、一方では巧みの美に驚嘆の声が上がる。

 多くの存在は表裏一体である。一方を見れば他方は見えない、ゲシュタルトの心理学を考えるまでもなく、美の奥行きは深い。

 ワークショップ当日までに「美しいものを探してきてください」という一文に、こんなややこしいことを妄想するわたしは変わり者だろうか。
 光り・・・見えることに帰していくであろう美の範疇。

(葉山の美術館は遠い)などと思わずに、自分に負荷をかけることこそ大切なのだと思いたい。

『ポラーノの広場』251。

2014-02-26 06:23:30 | 宮沢賢治
「では訊ねるが気味はどういふことでファゼーロと知り合ひになったのか。」
「ファゼーロがわたくしの遁げた山羊をつかまへたくれましたので。」
「うん。それはいつどこでだ。」
「五月のしまひの日曜、二十七日でしたかな」


☆腎(大切なところ)の訓(おしえ導く、さとす)を置いている。
 業(前世の悪行の報い)の屯(寄り集まる)酸(いたましい)様(ようす)は、悟(真理に目覚めること)に付き、過(あやまち)を容(聞き入れる、許す)。

『城』1547。

2014-02-26 05:51:40 | カフカ覚書
Kがだまってしまったので、亭主は、彼をなぐさめるためか、それとも、早くこの場を切りあげようとしたの化、講つけくわえた。「まあ、まあ、だからといって、天からすぐに硫黄が降ってくることもありますまい」
「おっしゃるとおり、そんな空模様でもなさそうだね」
 そう言って、ふたりは、笑いながら別れた。


☆そこでKは面倒になったので、彼をなぐさめるためか砦へ行くためか、こうつけくわえた。
 「だからと言って天からすぐに同じような流浪を強制するわけでもあるまい」
 「そうです。そんな小舟の予感が降ってくることもなさそうだしね」
 二人の復讐には隔たりがあった。