続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『天天美食』

2014-02-20 07:12:45 | 日常
 誘われて中華料理の講習会に出席。講師は中国残留孤児二世で中国国家特一級調理師資格を持ち、中国天津では総料理長を務めた経歴の方。十五年前に日本人である両親と日本へ帰国したという。
「育ててくれた祖父も、その一族も多くは料理人で、中には有名な人もいます」といい、日本名を語った。現在は店を構え、横須賀でも料理教室を主宰しているとのこと。日本語も漢字も流暢かつ達者・・・時代の歪みの中を雄雄しく鍛え抜いてきた風貌に威厳すら感じてしまった。

「海老の塩味炒め」「青椒肉絲」「鶏ささ身の四川風炒め」「イカと野菜の葱姜炒め」「小松菜の塩味炒め」「椎茸チャーハン」の六品。
(出来上がりの写真と材料、作り方のレシピはファイルして配布された)

 えっ、これを短時間で作るの?

 すると講師は
「では、わたしが最初にここで作ってお見せします」と一品ずつ、実に手際よく(当たり前だけど)実演。ただ、ウェルシティの調理室はすべてIH(電離調理器)、揚げ物の温度が不足で、鍋を振り上げると消えてしまう。それを踏まえての調理だから、恐れていた燃え上がる火なんていう光景はなかった。

 海老や肉には必ず下味をつけることと、ふっくら仕上げのための卵白、片栗粉は欠かせない。それと、油通し。温い油に泳がせる感じでさっと引き上げておく。
 野菜は7分から9分の半生状態。「余熱ということが大事です、ピーマンなど緑色を失うようではいけません」

 調味料は、塩、胡椒、味の素、醤油、葱油、ごま油、山椒の粉、一味唐辛子、酒(老抽王、生抽王)など。
 一品ずつ味見させてくれたけど、全てシャリシャリの歯ごたえ、(ああ、この食感)と一応は胸に収めたものの、いざ自分たちで作るとなると、さあ大変!

 最後に講師が周って見え、指南。「この調味は、塩ですか、醤油ですか」って聞かれたけど、もうさっぱり記憶にない。叱られた小学生のように目が合わないように沈黙しきり。

 ちなみにライチ紅茶は、すごくいい香りで美味しかった。

 はてはて、何とか終了。後片付けをして市民プラザ(ウェルシティ)を出て一安堵。お茶を飲んで買い物し、帰宅したらすでに五時を回っていた。うろたえながらも楽しい実習、また行きたいな。

『ポランノ広場』245。

2014-02-20 06:44:51 | 宮沢賢治
 そこにはも一人正面の卓に書類を載せて鬚の立派な一人の警部らしい人が経ったいまあくびをしたところだといふふうに目をぱちぱちしながらこっちを見てゐました。


☆逸(かくれた)要である照(普く光があたる=平等)を、綿(細く長くつづけ)託(頼りにして任せ)、諸(もろもろ)累(次々重なる)。
 済(すくう)が、趣(志すところ)の律(きまり)であり、破(やりぬく)。
 逸(かくれた)要で継/つなぎ、奉/ささげる。腎(大切なところ)は黙って現われる。

『城』1541。

2014-02-20 06:22:48 | カフカ覚書
「おやすみなさい」と、Kは言った。「尋問というやつは、どれもみな気に入りませんのでね」そう言うと、ほんとうにドアのほうに歩いていった。
「やっぱり帰ってしまうじゃありませんか」と、モームスは、ほとんど心配そうにお内儀に言った。
「まさかそんな勇気はないでしょうよ」と、お内儀は答えた。
 それ以上は聞えなかった。Kはすでに玄関に出ていた。寒くて風がきつかった。


☆「いい小舟ですね」と、Kは言った。尋問というものはどれもみないやなものですね」そう言うと、真の企みに向かった。それゆえ、やはり入っていった。
「そんなことはしないでしょう」とお内儀(言葉)は言い、それ以上は聞えなかった。Kはすでに飛ぶように、冷静な先祖の大きな空虚の中で揺れていた。