自分自身を観察している。
自分がどんな人間であるのかを、面白がって見ている。
喜怒哀楽・・・あらゆる局面においてどんな行動をとるか、どんな発言をするのか、興味津々覗いている。
67才の古びた高齢者が、年月の重さをものともせず、軽々と浅はかな反応を見せる時の顔の歪みを見せてあげたいと思う。
返事に窮するような意地の悪い質問に鎮痛至極黙しているのを見ると可笑しくてたまらない。(いつもの威勢はどこへ行った?)
気の毒な状況にある人への対処の迷い(なるようにしかならないという諦念)、力を貸してあげられない無念、自分の非力を(所詮自分はこの程度の人間)あっさり認めてしまう苦さ。
何かをしようと決心しても、明日にのばす。明日は永遠の明日であることを知っているのに先延ばしする体たらくは、永遠に治りそうもないと、お前こそ気の毒だと笑ってしまう。
ろくでなし、そんなふうにしか見えないけれど、《頑張れよ、しっかりしろよ》応援しているんだ、わたしだって。わたし達の関係は傍から見れば同一であって、切り離せないのだから。
観察されているわたしは、観察しているわたしを恐れている。
自分がどんな人間であるのかを、面白がって見ている。
喜怒哀楽・・・あらゆる局面においてどんな行動をとるか、どんな発言をするのか、興味津々覗いている。
67才の古びた高齢者が、年月の重さをものともせず、軽々と浅はかな反応を見せる時の顔の歪みを見せてあげたいと思う。
返事に窮するような意地の悪い質問に鎮痛至極黙しているのを見ると可笑しくてたまらない。(いつもの威勢はどこへ行った?)
気の毒な状況にある人への対処の迷い(なるようにしかならないという諦念)、力を貸してあげられない無念、自分の非力を(所詮自分はこの程度の人間)あっさり認めてしまう苦さ。
何かをしようと決心しても、明日にのばす。明日は永遠の明日であることを知っているのに先延ばしする体たらくは、永遠に治りそうもないと、お前こそ気の毒だと笑ってしまう。
ろくでなし、そんなふうにしか見えないけれど、《頑張れよ、しっかりしろよ》応援しているんだ、わたしだって。わたし達の関係は傍から見れば同一であって、切り離せないのだから。
観察されているわたしは、観察しているわたしを恐れている。