続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

観察。

2014-04-10 07:01:20 | 日常
 自分自身を観察している。
 自分がどんな人間であるのかを、面白がって見ている。

 喜怒哀楽・・・あらゆる局面においてどんな行動をとるか、どんな発言をするのか、興味津々覗いている。

 67才の古びた高齢者が、年月の重さをものともせず、軽々と浅はかな反応を見せる時の顔の歪みを見せてあげたいと思う。
 返事に窮するような意地の悪い質問に鎮痛至極黙しているのを見ると可笑しくてたまらない。(いつもの威勢はどこへ行った?)
 気の毒な状況にある人への対処の迷い(なるようにしかならないという諦念)、力を貸してあげられない無念、自分の非力を(所詮自分はこの程度の人間)あっさり認めてしまう苦さ。
 何かをしようと決心しても、明日にのばす。明日は永遠の明日であることを知っているのに先延ばしする体たらくは、永遠に治りそうもないと、お前こそ気の毒だと笑ってしまう。


 ろくでなし、そんなふうにしか見えないけれど、《頑張れよ、しっかりしろよ》応援しているんだ、わたしだって。わたし達の関係は傍から見れば同一であって、切り離せないのだから。

 観察されているわたしは、観察しているわたしを恐れている。

『ポラーノの広場』293。

2014-04-10 06:42:42 | 宮沢賢治
それからその辞令をみんなへ一人ぢつ見せて挨拶してあるきおしまひ会計に行きましたら会計の老人はちょっと渋い顔付きはしてゐましtがだまってわたくしの印を受け取って大きな紙幣を八枚も渡してくれました。


☆字による霊(死者の魂)を逸(隠している) 図りごとを兼ねている。
 相(二つのものが互いに同じ関係にあること)を察(よく見る、明らかにする)。
 解(ばらばらになったもの)を継(つなぐ)考えで廻(まわる)で啓(人の眼を開く)労(力を尽くして働く)の図りごとである。
 重ねた信仰は普く隠れている。需(求める)趣(ねらい)の題(テーマ)は、死を蔽う永遠に埋(止まらずに遠くに行く)途(みち)である。

『城』1590。

2014-04-10 05:58:06 | カフカ覚書
わたしが使いにいくのは、自分からすすんでやっていることなんです」
「わかったよ」と。Kは、バルナバスをじっと見つめ、助手たちからは故意に眼をそらせた。助手たちは、舞台のはね上げ戸から姿をあらわすように、かわるがわるバルナバスの方のうしろからのそっと顔をのぞかせては、Kを見てびっくりしたと言わんばかりに、風の音を真似たような口笛をかるく鳴らしてすぐまた引っこんでしまうのだった。ふたりは、こういうことをして長いことたのしんでいた。


☆「わたしが小舟に乗るのは自由な意思でやっていることなんです」「わかったよ」と、Kはバルナバス(北極星の化身)を見つめ助手(頭脳)を故意に無視した。助手たち(頭脳)はかわるがわるバルナバス(北極星の化身)の出入り口のうしろにKを見て驚き、先祖の空虚な死体が小舟をなしているという秘密を漏らしたが、すぐにまた姿を消してしまった。ふたりはその環を楽しんだ。

*北極星(化身)の後ろにK/太陽(死ぬと太陽になるという考え)がいると言うことは光の環が出来る、それを楽しんだということかもしれない。(恒星の後ろに恒星であれば眩しすぎる光景?)