続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

いつまで生きるの?

2014-04-16 06:29:26 | 日常
《わたしっていつまで生きるの?》
 きわめて素朴な疑問である。誰もそんなことはご存じない。黒い影が忍び寄る・・・いえ、純白の天使に風のように寄り添い誘われる日がやがて来る、そう夢想するほうが心安らぐ。
 残酷、陰惨、苦渋にまみれてあの世に強制送還されるなんてことは考えたくない。死は夢への誘いなのだとお気楽に楽しく胸に刻んでその日を待ちたい。

 例外なく、洩れなく現世から消えていく日がある。心肺停止、瞳孔が開く、脳死…某日の決定的瞬間をわたしはどう迎えるのだろう。煩わしさからの離脱、煩悩の消去は、むしろ喜ぶべき愛でたい現象である。原子に還り、この地上を浮遊する。
 蘇りを信じていないけれど、残存の霊魂をもって現世の人たちに悪戯をしてみたい。逆に考えると、前世の人たちに悪戯をされているかもしれない。

 カフカや賢治など縁もゆかりもないのに、わたしの中に棲みついてわたしから離れない。からかわれているのだろうか。
 いつまで生きるのか知らないけど、未熟な解答を報告する義務はあるやなしや。

 死はある意味解放である。義務や束縛から解き放たれるお許しの日でもある。(わたしはいつまで生きるの?)というのは不遜であって、生かされている時間を謙虚に受け入れなくてはいけないのかもしれない。

 生きることは、死をみつめ死を覚悟し死を前にして己を試されることではないか。この大いなる試験に文字は通用しない。

『ポラーノの広場』299。

2014-04-16 06:20:36 | 宮沢賢治
沖の岩礁へ渡ろうとするとみんなは船に赤や黄の旗を立てて十六人もかかって櫓をそろえて漕いでくれました。


☆宙(大空)の元(根本)は、照(普く光があたる)であり、図りごとの潜むを析(分ける)考えの記(書き留める)である。
 律(決まり)は自由で無いが、神が露(あらわれる)想(考え)である。

『城』1595。

2014-04-16 06:11:45 | カフカ覚書
使いの用件というのは、こうだ。<測量師Kは、親しく長官殿と面談することをご許可くださるようお願い申しあげます。Kは、このような許可にともなう条件がいかにきびしいものであろうと、もとより覚悟のうえであります。

 長官殿/Vorstand→Vorstadt/場末の市区、町外れ。

☆土地のないことに気付いた人は場末の市区の大群<大勢の死んだ人たち)と個人的に最もらしく話すことで同意されるようにお願いします。このような許可に伴う条件を組むことができるでしょうか。