続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

なぜ?

2014-04-17 06:46:33 | 日常
《なぜ?》疑問だらけである。

 より良い答えを見つけるために心を砕いて前へ進もうとしている。単に錯覚に過ぎないのかもしれない。それでも『なぜ?』を問い続けざるを得ないのは・・・まさしく「なぜ?」と自分に問いたい。

 下手な絵、下手は許せるけれど、意図がない。描くべき理由が見つからない。絵というものを長いこと低いレベルでしか認識していない。他人の作品を観賞し、その意図に深く心を動かされたりすることはあるのに、一たび自分の事となると、まるで幼稚にしか手が動かない。
 それでも小さなサークルに所属し、手を動かしている(作業に近いかもしれない)。
「なぜ?」
 口淋しくて食べるお菓子に似ている。意味のない行為だから、止めようと何度も決心する。手習いは、自分でも衝撃を受けるほど陳腐な不出来。
 そして、毎朝目にする「楽しいスケッチ」さんの作品を見るにつけ、《雲泥の差、月とすっぽん》と自嘲。羨望と落胆の混濁した気持は清涼な朝の空気を曇らせてしまう。Ah、単なる鑑賞者になりたい。


 ためにならない経験はないという。そう自分を励ましている根拠は、ゴッホやマグリットなどの作品に触れ、自分なりの感想を直感した時にある。下手を自認しながら描き、抵抗があるからこそ、その線や色形に隠された意図を発見できるのだという秘かな楽しみは得がたい。手を動かしていることのご褒美的甘受である。

 でも、だから・・・やっぱり手を動かして下手な絵を描き続けていく習慣は捨てがたい。

 死ぬその瞬間に、「なぜ」は氷解するのだろうか。

『ポラーノの広場』300。

2014-04-17 06:28:05 | 宮沢賢治
夜にはわたくしの泊った宿の前でかゞりをたいていろいろな踊りを見せたりしてくれました。

 夜はヤと読んで、野。
 泊ったはハクと読んで、吐く。
 宿はシュクと読んで、宿。
 前はゼンと読んで、全。
 踊りはヨウと読んで、耀。
 見せたりはゲンと読んで、現。 

☆野(自然のまま、未開)を吐く(言う)。
 宿(前世)からの全ての耀(ひかり)が現われる。

『城』1596。

2014-04-17 06:19:09 | カフカ覚書
あえてこのようなお願いにおよぶにいたらざるをえなかったのは、これまで仲介の役をつとめた人物かが完全に無能であったからにほかなりません。その証拠として、Kはこれまで調査の仕事を少しもしていないし、村長から申し渡されたところにしたがえば、これからもけっしてしないであろうという事実をあげることができます。


☆それゆえ不自然なお願いになったのは今まですべて仲介の人が完全に拒絶したからで、その証拠としてこれまで少しも現場不在がないことに気付かなかったし、会衆の責任者に小舟を言い渡されれば、これからも決して外へ出ることはないと思います。