続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

納骨。

2014-04-29 06:38:48 | 日常
 伯母の死から二ヵ月半近く経ち、今日は納骨。
 期せずして、閉店セールで購入した黒生地をジャケット・スカート・ベストの三点に縫い上げた。着心地を優先したけれど、縫いあがりは不確か・・・。(自分で着るのだから)

 伯母は母の兄嫁であるけれど、従姉でもあるので、近しい関係。小さい頃からよく面倒を見てもらった。四軒長屋に隣り合わせて住んでいたので病床の母に代わって世話になったことは想像に難くない。転居してからも当たり前のように泊まり、なんとも思わず食事をし、遊び暮らした夏休みの思い出。長男の嫁としての責任で、姪を厭わず可愛がってくれたのだろうか。
 祖母や伯父を看取り、孫を育て、趣味に奔走し、株を楽しんだ99年の人生。


 後を追う者として、どんな時にも笑い飛ばすような快活さで進んでいく闊達な精神を継いでいきたい。どんな人生にも終りがあり、お骨に帰する日が来ることを胸に刻みたい。


 小さい頃、お祖母さんの家に集まってご馳走を食べたりして従姉弟たちと賑やかに過ごした。記憶は定かでないけれど、あれは法事か何かだったのだろうか。母方の七人兄姉、残る兄嫁である叔母はただ今99歳、従妹は目の離せない日常を奔走している。
 今日は出てこれるだろうか、従姉弟たちに会えるのは嬉しい。一緒に年を重ねていく刹那の点を線で結んでいく。
 最近では(もう少し)の眼差しで、お互い肯きあっているような一抹の寂しさがあるものの、(元気で頑張りましょう)の励ましがそれを大きく上回っている。

 自嘲まじりの(これから)、足腰萎え年寄り然としても、まだまだ未来(時間)は残されているのだから、しっかり歩いていきましょう。骨に帰する日、風塵となり、空に帰していくその日まで。

『ポラーノの広場』312。

2014-04-29 06:23:12 | 宮沢賢治
それが仲々長いし烈しいのです。私は暑いやら疲れたやら、すっかりむしゃくしゃしてしまひましたので、今のうち一寸床屋へでも行って来ようと思って室を出ました。


☆誅(罪を責めとがめる)を注/書き記し懲(過ちを繰り返さないようにこらしめる)を列(並べる)。
 詞(ことば)の諸(もろもろ)を比べ、金(尊さ)の溢れ駿(すぐれた)照(普く光があたる=平等)に憶(思いをめぐらす)講(はなし)である。
 雷(神なり)の詞(ことば)を悉(ことごとく)推しはかる。

『城』1608。

2014-04-29 05:57:46 | カフカ覚書
こうして、なにもかもがバルナバスがきらきらした服装をして初めて食堂の百姓たちのなかにはいってきたときとおなじ状態にもどったかのように、Kは、もちろん苦笑まじりにではあるが、バルナバスが肩にのせた手の感触をなにか特別な名誉のように感じた。


☆こうして、全ての人々を再びバルナバス(北極星の化身)は輝かせたが、Kの感覚はこの禁錮の言葉の死の接触に従うようにみえた。とは言うものの、復讐心が際立つのを感じていた。