続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

難しいのは・・・。

2014-04-27 07:05:38 | 日常
 遠くて近いは男女の仲。されど、結婚となると難しい。ごく簡単に自然の成り行き(恋愛)で結ばれるカップルもあれば、周囲の配慮を重ねても(お見合い)、結婚にまで至らないケースも多々ある。

 偶々バス停で一緒になったA夫人の場合、「何とか結婚してもらいたいと、これはという親戚筋の娘さんに引き合わせたんだけれど息子は深酔いしてその日は寝てばかり。折角遠くから来てくださった相手の方には『こんなによく育てて下さって』とか何とか言い繕ったけど、結局、息子は却下。・・・もう諦めたわ、息子の結婚は」とこぼした。
 わたしも知っている息子さんだけど、小さい頃から優秀で優しくて、国家公務員という安定した職にもついている。条件は揃っているのに、なぜ?(心に想う人の存在が・・・いえ、詮索は失礼)

 その息子さんと同級生であるわが息子も未婚、一人暮らしを満喫している(?)
 どうして?
 
 結婚は勧めるべきか、自由に任せるべきか・・・。わたしの友人たちの多くも秘かに胸を痛めている。


 少し前なら、《顔も見ないで結婚した》という話はよく聞いたけど、現代ではありえない話になっている。結婚に対して切羽詰った気持が薄いせいかもしれない。
 どういう生き方をしても、後悔と未練は残る。幸不幸の尺度など無く、むしろ見えないものであれば、選んだ人生に肯くしかない。
 その結果は誰が選んだのでもない自分の選んだ道であり、難問の《答えを生きている》わけなのだから。

『ポラーノの広場』310。

2014-04-27 06:52:34 | 宮沢賢治
 なるほど、さう云って出て行く給仕を見ますと、首にまるで石の環をはめたやうな厚い繃帯をして、顔もだいぶはれてゐましたからきっと、その毒蛾に嚙まれたんだと、私は思ひました。


☆運(めぐりあわせ)を推しはかる講(はなし)である。
 究/つきつめると、詞(ことば)の兼ねた趣(ねらい)の釈(意味を解き明かす)がある。
 換(入れ替わる)講(話)の法(方法)で、他意の信仰を読む。
 我(わたくし)の講(はなし)は、詞(ことば)で試みている。

『城』1606。

2014-04-27 06:33:17 | カフカ覚書
「おれは、もしかすると、あすきみたちの家へいくかもしれん」と、Kは言った。「そのまえにまず、きみのほうから返事をもってきてくれたまえ。学校できみを待っているからな。じゃ、おれから姉さんと妹さんによろしくと伝えてくれたまえ」


☆わたしはもしかするときみたちの所へ行くかもしれない」と、Kは言った。「罪過が留まっているから、始めに死の言葉が襲うというのは(あなたたちの仲間/民族)の伝説だよ」