続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

生きることは闘うこと。

2014-04-23 06:54:57 | 日常
 幸福な結末というものはあるが、永遠に持続する幸福というものはない。もちろん気の持ち方一つで、いくらでも楽観視できるという見方も否定できないけれど。

 しかし、思いがけず負のスパイラルに陥るということは珍しくない。当然引き金になるきっかけは存在しているが、それに気づくことなく運命の力に押し流されてしまう不幸。
 姉は不運に見舞われた妹を助けるべく引き寄せ、姪である娘二人の大学までの支援をし、そして嫁がせた。同居の妹のわがままについては聞き及んでいたものの、家や庭の改装にいたるまで不承不承従った経由もある。そこまでして・・・(できるほうは幸福よ)とわたしは相槌を打っていた彼女の話。
「そうね、妹が来てくれたから・・・」とも姉である彼女は言った。

 姉であるKさんは更に年を重ね85歳、杖無しではどこへも行かれないが、押して外出を(リハビリのために)厭わないでいる。
「でもね、聞えたのよ。姪たちが『伯母さんなんて○○へ入れればいいのよ』って話すのが・・・。そして妹も、近所の方を巻き込んでいるのか『あのお姉さんとよく一緒にいられるわねって言われたわ』って澄まして言うのよ。『わたしはわたしの家で死んでいきます』って言ったわ」と淋しく笑った。

 他人の姉妹であれば、入ることもできないし、余計な口出しもできない。ただ淋しく肯いているきり・・・。
《身体に気をつけてね》心からそう願うほかは何も出来ない。

 いずれ(すぐに)わたしもあなたと同じ年になる。どこで、どんな運命が待ち受けているかなんて誰もご存じない。負けないで挫けないでと念じても、足腰萎えて身の置き所もないほど息絶え絶えの状況になったら・・・宿命だと達観し、静かに微笑むことができるだろうか。

『ポラーノの広場』306。

2014-04-23 06:19:01 | 宮沢賢治
採って来たたくさんの標本をもってその巨きな建物の間を自動車で走るときわたしはまるで凱旋の将軍のやうな気がしました。


☆再(重ねて)雷(神なり)が評(公平に裁く)。
 翻(形を変えてうつす、つくりかえる)の拠(よりどころ)の仏さまを鑑(姿を映して戒めとする)。字を動(感じる)と、視野(見解・思考)の双(二つ)が我意として遷/うつりかわる。
 照(光り)の群(集まり)を記している。

『城』1602。

2014-04-23 05:55:50 | カフカ覚書
「きみは、すばらしい記憶力をもっているな」と、Kは感心して、紙きれをバルナバスに渡した。「だがな、ほかの事柄でもすばらしい腕まえを発揮してもらいたいね。ところで、希望はないのか。なにも望みはないのかね。


☆「きみはすばらしい記憶力をもっているな」と、Kはいい、身分証明書をバルナバス(北極星の化身)に渡した。「ただ、しかしながら死もまた特別な事柄の伝記を示す。ところで何か希望はあるかね、小舟はあるのかね」