続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ゲーム。

2014-04-19 05:58:08 | 日常
 ゲームはいつも人の心を躍らせる。
 我を忘れて夢中になる。そのあとの達成感、あるいは虚脱感だろうか。

 面白いとされているものに人生ゲームがある。けれど、仮想ではなく現実のゲームとなると相当のエネルギーが要る。
 旅行好きのAさんの場合、夫は寛容にも両手を広げて送り出してくれるが、長期の海外旅行の間愉しむ女の存在があった。女の夫から電話で知らされたという。
「だからね、言ってやったの、知っておりますわ」ってね。そんな経由から、Aさんは離婚を申し出たけれど、夫からは(社会的地位もあり)「そんなみっともないこと出来るか」と一蹴されたらしい。

 すでに相当の時を経てその女が亡くなると、葬儀の後日、頭を畳にこすり付けて「これからはよろしく頼む」とAさんに懇願した由。身勝手な男への復讐・・・腹に据えかねる思い、その修羅場をわたしは知らないけれど、夫婦の絆が利害関係で結ばれているシーソーゲームである以上、どちらに軍配が上がるかは微妙である。
 結局、家庭内のことは周囲からは何も見えず聞えず無風を装い、現在に到っている。

 しかし、Aさんの夫は最近医師から余命三年の宣告を受ける診断(審判)をくだされ、昨日の話では「あと、一年半なの」と、Aさんは高らかに笑った。82歳のAさん、元気闊達。
「これからの自由、今の幸福を愉しまなくちゃ。お金には不自由しなかったし、これからもね」とほくそ笑んだ。

 ゲームに選択の自由はあるのだろうか。明日をも知れない迷路を彷徨するワクワク感、努力と忍耐と戦略、複合的な条件を計算し見えない明日を待つべきか、目前のボタンを押すべきか・・・宿命か意思か、神のみぞ知る。
 生きて在る限り、ゲームに終了はない、その日までが闘いである!

『ポラーノの広場』302。

2014-04-19 05:49:53 | 宮沢賢治
 そして八月三十日の午ごろわたくしは小さな汽船でとなりの件のシオーモの港に着きそこから汽車でセンダートの市に行きました。


☆永遠に付、太陽の等(平等)は化(教え導く)の語(言葉)の照(普く光があたる=平等)で、記している。
 千(たくさん)兼ねている考えの記は鬼(死者の魂)の赦(罪や過ちを赦す)の旨(考え)の講(はなし)である。

『城』1598。

2014-04-19 05:28:00 | カフカ覚書
測量師は、このようなお願いがいかに法外なものであるかをよく承知しておりますし、長官殿にできるかぎりご迷惑にならないようにあらゆる努力を惜しまないつもりであり、どのような時間上の制約にもしたがい、会談のさいにしようすることを許される語数にしましても、必要とみなされる決定に服する所存であります。たとえ十語しか許されなくても、それで十分に用が足せると信じております。


☆土地を失ったことに気づいた人はいかに死に伴う懇願があるかを知っている。場末の市区の大群(大勢の死んだ人たち)に、できるかぎりそれと知れない努力をするつもりであり、どのような現世の制約にも屈服させ、ある種の先祖を必然的に冥界においても限定するのです。このような運命の定めは尊厳を失い(衰弱)、噂が広まるのではないかと思います。